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和の呼吸

2020年06月17日 | 日記・エッセイ・コラム
毎日呼吸に取り組んでいて(アメリカのメソッド)、疑問に思う部分や身体に負担になるところもあるにはあるのですが、とにかく黙って1ヶ月続けてみようと思いJust do itの精神で取り組んでました。
まずは身体に覚えさせること、やってみることが大事と言う気持ちで。
そこへ、以前買った「能に学ぶ和の呼吸法 安田登著」を読んでみて
あぁ、日本の呼吸の考え方とはこれほどまでに深いのかと感銘を受けました。
アメリカのヴォイスサイエンスと言うメソッド自体はとても合理的で良いのだと思うのですが、和の呼吸の考え方は、ただ大きな声を出したいとか高い声が出せるようになりたいとか上手く歌いたいとかの境地とは全く次元が違った。。。
本質の部分ってすごく大きいように思います。


だからと言ってそのヴォイスサイエンスのトレーニングをやめると言うわけではないし、どちらが優れていると言うことではないんですが、
自分の立ち位置(日本人ということ)を踏まえて、月並みな言い方だけど視野を広く持たないといけないなと思いました。
どうしてこんなことを思うかと言うと、
そのボイスサイエンスの講座(オンラインの動画講座)で先生(日本人)が、ちょくちょく
「日本人は・・・」
と言う発言をされるんですね。

「日本人は」の後にくるのは「口を動かさない」とか「舌の筋力が弱い」とか、言語の特徴による能力についての発言が多いのだけど、それを聞くたびに消化しきれない気持ちになってました。

以前、勉強のために謡のレッスンに行っていた時に能楽師の先生が「西洋の音楽をなさっている人は必ず矛盾に行き当たるだろうから、お稽古の継続をよく考えてください」と言うことをおっしゃいました。

先生のお謡は、近くで聴いても能楽堂で(しかもお面をつけて)聴いても聞こえてくる音量が全く変わらずと言うもので、小さな部屋でも大きな会場でもその大きさに合わせて聞こえてくると言う、そんな声でした。

私たちが「海外から学ぶ」と言う時、その海外はかなりの割合で北アメリカかヨーロッパであることが多いように思います。
もともと持っているもの、歴史、お能のようなすごい芸術などなどの土台を見ないまま欧米のものをそのまま取り入れるのは、この本を読むとなんだか滑稽な気がしてきてしまう。

日本人は取り入れたものを発展させることに優れた能力があると言われているので、とにかく学んでそれを一度風土や歴史や身体構造に合わせて身につけていくといいのかもしれないですね。柔らかい心が必要。

ちなみに、アメリカ人が歌うボサノヴァは子音がすごく英語っぽいし、ブラジル人が歌うスペイン語は所々ポルトガル語の発音のままだったりするけれど、
それがとても無理してない雰囲気が伝わってきて心地よく感じます。
日本人が歌うジャズやボサノヴァやポップスなんかもきっとそう聴こえているのですよね。

「日本人離れした」と言う定型の褒め言葉にあるように、私たち日本人は無意識的に自分を否定しているけれど、もうそう言う時代ではないかなと思います。

本書の中にある白隠禅氏を重いうつ病から助けた「内観の秘法」の呼吸法で唱える言葉が好きです。
この呼吸法は眠る前に行うもので、眠くなったら眠ってOK、眠れなければ良い修行の機会と捉えて朝までやりましょうというもの。
現代訳をご紹介しますね。(※気海丹田というのはおへその下の丹田のことと理解してOKと思います。)

・私のこの気海丹田は全く偽らない自己本来の姿である。自己本来の姿、すなわち面目には鼻の穴などなくても本来の「元気」はどこからでも巡ってくる。

・私のこの気海丹田は我が故郷の家だ。自分が安心して託すことのできる場所だ。それはすでに自分の中に存在しているのだからなんの消息があろうか。

・私のこの気海丹田はまさに浄土そのものだ。浄土とはほかでもない我が心のうちにある。煩悩即菩提だ。自分自身が浄土なのだから、何をいまさら荘厳に飾り立てる必要があるだろうか。汚いこの身でも浄土である。

・私のこの気海丹田はまさに我が心の阿弥陀仏だ。すなわち自分自身が阿弥陀仏なのだ。自分が阿弥陀なのにいまさら阿弥陀の説く法などを聞く必要はあるまい。

外へ外へと求めることが間違いなのだなと気付かせてくれる内観の法です。
自分自身の中に備わっているんだよと唱えながら深いかかと呼吸をしてみると、ものすごい安心感とエネルギーが湧いてくるように思いました!(30秒くらいで眠ってしまいます)