So many stars

ヴォーカル(おやすみ中)、音楽講師、トウリーダーなどなど😊❤️

ヴィオラが

2013年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム
父から届いた。

父とこうちゃん、二人で植えたそう。

すみれ

母がヴィオラを好きだったかどうか聞いたことないけど

たぶん、ヴィオラなら安いから

こうちゃんにあんまりお金使わせたくなくて

それで好きって言ったんだろうなって、姉と私は意見が合っている。

(こうちゃんには言ってないけど。)

でも、確かに

こういう小さくて、強くて、やさしい花はよく育ててたっけ。

それから、

一緒に草とりしたとき

私が「雑草だらけだね~」と言ったら

「雑草と言う名前の草はない」
って怒られたっけ。


対話

2013年01月24日 | 日記・エッセイ・コラム

母の急死という大事件に、身も心も大ショックで、

こんな風にオーバーに嘆き悲しみ、いろんな方の優しさに甘えている毎日です。

父は父でやっぱりヘンで、

腕時計に母と自分のイニシャルを彫るわ、仏壇を買うわ、同じことばかり何度も言うわで

40年間母が甘やかしてきたものだから、

本当に大変だと姉が言っていました。

姉は姉で、母とはずっと一緒に暮らしてきたから、今寂しさと向き合ってるんだろうなと思います。

食べ盛りの男の子二人と、だんなさん、そして父、と

男ばっかりの家庭になっちゃって、大丈夫だろうか。

私は、新しい楽しみをみつけたこともあり、なんだか少しずつショックから快復されつつあるみたいです。

楽しみというのは、母の顔を描くこと。

絵なんて中学の美術の時間以来だけど、なんだか無性に母の顔を描きたくなって

世界堂に走りました。スケッチノートと色鉛筆を買いに。

しばらくして、やっぱり基礎がないと・・・・と気づき、

デッサンの本なんかもみつけてきた。

何枚描いたかな。

デッサンて、良い時間が過ごせる。

静かに母と対話してるみたいで、すごくすごく心が落ち着きます。

こんなときですら、笑みさえこぼれてしまう。

「あるがままを見る」ということを教わってるような気がします。


再度のお知らせ

2013年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

すでにお知らせさせていただいたとおり

明日23日のLiveは中止させていただきますね。

まだ自分をコントロールすることが難しいのです。

ちょっとしたことで神経を尖らせては反省し、

誰かのやさしい一言で、あぁ今日は泣かないで眠れると安心し、

そんな繰り返しを味わっています。

これでは母のために悲しんでいるのか

自分のために悲しんでいるのか、どっちなんだか。。。

こういう状態で人前に出るのは、公害を撒き散らすようなものなので

Liveで元気を出したいとも思いますが、やっぱり中止させていただきます。

予定してくださった方には、心からありがたく感謝いたしますとともに

予定をくるわせてしまったこと、お詫び申し上げます。

また、共演のみなさん、お店にもたくさん迷惑をかけてしまいました。申し訳ないです。

これも自分を見直す機会なのかもしれません。


何を見ても

2013年01月20日 | 日記・エッセイ・コラム

母を思う。東京に戻って一人になると、なおいっそう。

あの時ああしてあげればよかった。

あの時あんなこと言わなきゃ良かった。

自分の都合ばかり優先して、実家にもあまり帰らなかったし。

母は、家族のピンチのときは真っ先にどこにでも来てくれるのに

私は、母がピンチのときに力になれなかった。

母ももう戻らないけど、以前の私ももう戻らない。と思う。

エリザベス・キューブラー・ロスが発表した「喪失の5段階」

によると、人は

否認・怒り・取引・抑うつ・受容

という順番で喪失を受け入れるとのこと。

実家で家族と忙しくしていたときは、まさしく「否認」だったと思う。

どこかへ旅行に行っているだけのような気がしてたのに。

こんなに悲しいのにまだ第一段階だなんて、

本当にこれからどうしたら良いんだろう、と思っちゃうんだけれど。

母が倒れてICUにいる間に作った「交信ノート」。

意識がない母にあてて、伝えたいことをずっと書きながら何とか自分を保っていました。

今も続いてる。

これを書いているときだけ、ちょっと気持ちが安らぐような気がして。

亡くなる前の晩は、朝までずっと母の手を握りしめていました。

小さな小さな声で、好きだった歌を耳元で歌ったり、話しかけたり。

そのときも、やっぱりとても安らいだ気持ちがしてました。