父とこうちゃん、二人で植えたそう。
![すみれ](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/9a/9b5d61b3780b0baed1bc9c8466918c97.jpg)
母がヴィオラを好きだったかどうか聞いたことないけど
たぶん、ヴィオラなら安いから
こうちゃんにあんまりお金使わせたくなくて
それで好きって言ったんだろうなって、姉と私は意見が合っている。
(こうちゃんには言ってないけど。)
でも、確かに
こういう小さくて、強くて、やさしい花はよく育ててたっけ。
それから、
一緒に草とりしたとき
私が「雑草だらけだね~」と言ったら
「雑草と言う名前の草はない」
って怒られたっけ。
母の急死という大事件に、身も心も大ショックで、
こんな風にオーバーに嘆き悲しみ、いろんな方の優しさに甘えている毎日です。
父は父でやっぱりヘンで、
腕時計に母と自分のイニシャルを彫るわ、仏壇を買うわ、同じことばかり何度も言うわで
40年間母が甘やかしてきたものだから、
本当に大変だと姉が言っていました。
姉は姉で、母とはずっと一緒に暮らしてきたから、今寂しさと向き合ってるんだろうなと思います。
食べ盛りの男の子二人と、だんなさん、そして父、と
男ばっかりの家庭になっちゃって、大丈夫だろうか。
私は、新しい楽しみをみつけたこともあり、なんだか少しずつショックから快復されつつあるみたいです。
楽しみというのは、母の顔を描くこと。
絵なんて中学の美術の時間以来だけど、なんだか無性に母の顔を描きたくなって
世界堂に走りました。スケッチノートと色鉛筆を買いに。
しばらくして、やっぱり基礎がないと・・・・と気づき、
デッサンの本なんかもみつけてきた。
何枚描いたかな。
デッサンて、良い時間が過ごせる。
静かに母と対話してるみたいで、すごくすごく心が落ち着きます。
こんなときですら、笑みさえこぼれてしまう。
「あるがままを見る」ということを教わってるような気がします。
すでにお知らせさせていただいたとおり
明日23日のLiveは中止させていただきますね。
まだ自分をコントロールすることが難しいのです。
ちょっとしたことで神経を尖らせては反省し、
誰かのやさしい一言で、あぁ今日は泣かないで眠れると安心し、
そんな繰り返しを味わっています。
これでは母のために悲しんでいるのか
自分のために悲しんでいるのか、どっちなんだか。。。
こういう状態で人前に出るのは、公害を撒き散らすようなものなので
Liveで元気を出したいとも思いますが、やっぱり中止させていただきます。
予定してくださった方には、心からありがたく感謝いたしますとともに
予定をくるわせてしまったこと、お詫び申し上げます。
また、共演のみなさん、お店にもたくさん迷惑をかけてしまいました。申し訳ないです。
これも自分を見直す機会なのかもしれません。
母を思う。東京に戻って一人になると、なおいっそう。
あの時ああしてあげればよかった。
あの時あんなこと言わなきゃ良かった。
自分の都合ばかり優先して、実家にもあまり帰らなかったし。
母は、家族のピンチのときは真っ先にどこにでも来てくれるのに
私は、母がピンチのときに力になれなかった。
母ももう戻らないけど、以前の私ももう戻らない。と思う。
エリザベス・キューブラー・ロスが発表した「喪失の5段階」
によると、人は
否認・怒り・取引・抑うつ・受容
という順番で喪失を受け入れるとのこと。
実家で家族と忙しくしていたときは、まさしく「否認」だったと思う。
どこかへ旅行に行っているだけのような気がしてたのに。
こんなに悲しいのにまだ第一段階だなんて、
本当にこれからどうしたら良いんだろう、と思っちゃうんだけれど。
母が倒れてICUにいる間に作った「交信ノート」。
意識がない母にあてて、伝えたいことをずっと書きながら何とか自分を保っていました。
今も続いてる。
これを書いているときだけ、ちょっと気持ちが安らぐような気がして。
亡くなる前の晩は、朝までずっと母の手を握りしめていました。
小さな小さな声で、好きだった歌を耳元で歌ったり、話しかけたり。
そのときも、やっぱりとても安らいだ気持ちがしてました。