sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

「断片的なものの社会学」3:「あなたを選んでくれたもの」と読む、瞬間や断片それぞれの奇跡

2015-10-18 | 本とか
→「断片的なものの社会学」1:浮かび上がるもの
→「断片的なものの社会学」2:「あなたを選んでくれたもの」と読む
  消費しない誠実さ
・・・の続き。

「断片的なものの社会学」は、本の帯に星野智幸さんがこう書いていいます。
>この本は何もおしえてくれはしない。
>ただ深く豊かに惑うだけだ。

一方「あなたを選んでくれるもの」はフォトインタビュー集、と呼べばいいのか、
映画の脚本に行き詰まってたミランダ・ジュライが、
広告紙の売りますコーナーの人たちに片っ端から電話をかけて、会った記録。
カメラマンと助手を連れて、パソコンを持っていない、ネットに無縁に
リアルの人生を生きる、本来ならきっと知り合う機会もなかった人たちの
人生の断片を彼女の視点を交えて記録したもの。
知らない他人のアルバムを集めている人、
庭でウシガエルのおたまじゃくしを育てて売る高校生、
クリスマスカードの表紙部分だけ売る老人・・・
写真もとてもよくて、新潮クレストブックスの本らしい、いい本と思う。

それらの「何かをクリックすることを」を知らない
「”@”のついたもう一つの名前を持って」いない人たちの中には、
エキセントリックな人もいるし、多くは貧しく、
時代にも取り残されている人々だけど
リアルの本物の人生の、どうでもいいような断片について、
「断片的なものの社会学」ととても似た意味の記述がありました。

もしかしたら残りの人生は小銭なんかじゃないのかもしれない。いや、あるいは最初から最後まで全部が小銭だったのかもしれない。数え切れないくらいたくさんの小さな瞬間の寄せ集め…うんざりするほど同じことの繰り返しで、なのにどれひとつとして同じものはない。…すべてはただなんということのない日々で、それがひとりのの人間の~運がよければ二人の~不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこの固有の意味も価値もないからこそ、それは奇跡のように美しい。「あなたを選んでくれたもの」

そしてさらに、世界中のすべての小石が、それぞれの形や色、つや、模様、傷を持った「この小石」である、ということの、その想像をはるかに超えた「厖大さ」を、必死に想像しようとしていた。いかなる感情移入も擬人化もないところにある、「すべてのもの」が「このこれ」であることの、その単純なとんでもなさ。その中で個別であることの意味のなさ。
…私の手のひらに乗っていたあの小石は、それぞれかけがえのない、世界にひとつしかないものだった。そしてその世界にひとつしかないものが、世界中の路上に無数に転がっているのである。

私たちはこの断片的な人生の断片的な語りから、何も意味のあることを読み取ることはできない。
…そして、だからこそ、この「誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない」語りは、美しいのだと思う。徹底的に世俗的で、徹底的に孤独で、徹底的に厖大なこのすばらしい語りたちの美しさは、一つひとつの語りが無意味であることによって可能になっているのである。「断片的なものの社会学」


この2冊を交互に読んでて、とても面白かったし、
読み終わった後に見た映画が何本か、
ことごとくこれらの本に書かれていることと関連あるような、
オチのついていない色々な人生の断片を見せられるような映画だったりして、
いつまでも余韻の続くような読書体験でした。
こういう風に、頭の中でいろんなことを思い出したり、
いくつものことがつながるのは本当に楽しい。
できるだけたくさんのものを見たり聞いたり読んだりしたいと思うのは
これのためかもしれない。(ブログに書かないと忘れるけど。笑)

苦手な夏には脳みそもヨレヨレで、植物図鑑眺めるか、
俳句をゆっくり味わうかくらいしかできなかったんだけど、
涼しくなってきて、やっとじっくり本が読めるのが、うれしい。

追記:続きのリンクも貼っときます
→「断片的なものの社会学」4:自分の境界線


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