sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

部分的に

2020-06-07 | Weblog
差別の問題でほんとうに辟易するのが、
ある問題には真っ当で鋭く寛容で真摯な意見を持つ人が、
別の問題だと軽やかにヘイトしてしまうことの多さ、しかもヘイトの自覚が全くない。
フェミニストの人のトランス差別などもそれのひとつであることが多いですね。
そういう人を、イシューごとに信用したりしなかったりするか、
あるいはいいこと言ってても、もう人として全面的にダメと判断するかは
わたしの場合ケースバイケースかなぁ。

ツイッターなどで見かける有名人の発言は、よっぽどその人全部を拒否してないと
シェアしたりすることはありますが、
たとえば三浦瑠璃は女性の性被害問題に関してまともなことを言ってても、
もう見直すということはないですね。基本的なところで差別主義者だし、
全方位差別主義者と思ってた人がまともなこと言うとむしろ驚きます。

逆に他はまともなのに、何かに関してだけおかしいという人も多くて、それも悩ましいです。
トランス差別はこっちが多いかもな。

でもリアルの知り合いや友達などは、もっと難しいです。
考えがいくらか違っても普段の付き合いの中では問題なく気持ちよく付き合える人も多い。
でも差別や人権に関することで、どうしても受け入れられないところがあると悩みます。
友達の中には、そういう相手はバシッと切り捨てるという人もいて
しっかりした態度だと思うんだけど、自分には難しい。
自分の態度はもうはっきりさせるべきだし、そうしようとは思ってるけどね。