sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

映画:ドリーム

2017-11-08 | 映画


これは子どもたちにも見てほしい映画だと思いました。
たとえば奴隷の話ほど重くはないけど、子供が見て刺激の強すぎる表現はない。
ここで描かれている差別には過酷な肉体的暴力や虐待はないし、
世界トップレベルの天才的頭脳の女性たちの話なので、
一般の人たちの生きるか死ぬかというようなつらい差別は描かれていないけど、
それでも十分差別の不条理さを感じることができる映画だからこそ
子供たちに見てほしい。
できれば学校や地域で多くの子供たちに見る機会を与えてほしい映画と思った。
また、奴隷の話よりは、より現代に近い人たちの話で身近に感じる分余計に、
ここで描かれる人種差別に信じられない思いをする子は多いんじゃないかな。
こんなことが、ほんの50年前にまだあったなんて、信じられない!って。
世界トップレベルの頭脳を持つNASAのチームでさえ、
人種差別や女性差別のない人って、こんなに少なかったのかという驚き。
本当に中学生や高校生に見てほしいなぁ。

公民権運動が盛り上がりつつある頃1961年の話。
当時のNASAには、黒人の女性たちもたくさん働いていたけど
彼女らは、どんなに優秀でも能力を生かせる仕事につけない。
働く部屋も、トイレも別。昇給も昇進も難しい、そういう状況でした。
でも東西冷戦下、宇宙開発熱が高まるにつれ、優秀な人材が必要とされ
主人公の3人の女性も、それぞれ能力を発揮する機会がやって来ます。
ところが、様々な差別が仕事の邪魔をする上、成果を出しても中々認められない。
そういう困難に負けず頑張り続け、やがて周りにも認められるようになった
勇気と才能のある女性たちの、実話ベースのお話です。

NASAって当時の世界トップレベルの頭脳が集まってたわけなのに
差別に脳みそは関係ないのねぇ、と思う。
男性はナチュラルに女性を劣ったものと見なしてるし
白人はみな、黒人と白人は違うと何の疑問もなく思ってる。
ただ、中には、疑問を持ったり気づいたりする人もいるはずで、
自分には差別心はないのよ、と無自覚に言う嫌味な感じの女性上司役を、
白い肌にブロンドのキルスティン・ダンストがとてもうまく演じていますが、
この役の彼女も根っからの意地悪な人ではなく、
無自覚差別の嫌な感じと同時に、揺れる部分もあって、
自分の偏見に疑問を持ちつつ揺れる感じなんかもよく描かれている。

主人公の3人の女性は、みんなものすごくいいです。
頭の良さもかわいさも強さも弱さも全部それぞれにあって、
人間的にもとても魅力的に描かれている。3人とも大好きになります。
上司役のケビン・コスナーもよかった。
黒人用トイレの表示を壊した後、NASAではみんな同じ色の小便をする!って
捨て台詞のように言うところ、すごくすかっとした。
世界は少しは良くなってるとこがあるし
もっとよくしたいと思えるいい映画だなぁと思いました。

他にも感動的なシーンはたくさんあって、
主人公たちが差別されて悔しくて涙がでそうなところもあったし、
逆に頑張った成果が出てうれしくて涙がでたとこもある。
計算室の女子たちを引き言えて意気揚々と廊下をずんずん歩く場面とか、
気持ちいいし、凛として勇ましい場面なのに、なんか涙が出そうになったな。

この、やるべき仕事をやり、柔軟に権利を勝ち取っていく女性たちが
不条理な差別にさらされる様子を見てても疲れないでいられたのは、
彼女らのまわりにいつも理解と愛情があふれていたとこかなとも思う。
彼女らには友情や愛情溢れる家庭、調和のとれた温かいコミュニティがあったし
意欲も才能も教養もあったので希望が持てたんだな。
希望が見えていて、これから良くなると信じられれば、
疲れはずっと少なくすむものです。

またこの映画で描かれているのは人種差別だけでなく女性差別もだろうけど
人種差別に関しては、ひしひしと不条理を感じるのに、
ここで描かれる女性差別に関しては、日本があまり変わってない部分が多くて
さほど意識しないで普通に見てしまったかも、と後で思いました。
人種差別は、日本でもアメリカでもこの時代よりはずっと良くなったと思うけど、
女性差別は、日本ではいまだにかなり根強く残っているものね。
そしてそれに慣れちゃって、いちいち傷つかなくなってしまってるかもしれない。

ここまでは、たくさんの人の絶賛と完全に同意見の部分。
ここから少しだけ、不満ってわけじゃないけど、
なんだか釘を刺したくなったことを書きます。

天才的頭脳を持つインテリエリートでさえこれだけの差別があったわけだけど、
こういう「役に立つ」「重要な」人たちではない普通の人たちも、
辛いことは多かっただろうなぁと、帰り道にはぼんやり考えました。
たとえば、「ドリーム」のヒロイン達は差別に対して
政治的に戦っていたわけではないし、声高に反差別を謳っていたわけではない。
むしろデモをする人たちを見て子供達に、危険だから近寄らないでと言ってた。
騒動が起こると実際に危ないからで、運動を否定してたわけじゃないだろうけど
彼女らは、差別に反対し自分たちの権利を勝ちとることには特に積極的ではなく、
自分たちの生活を守りつつ、自分のやるべき仕事をしっかりやって、
正しい主張をするべきときにだけするようにしていました。
それが彼女たちの戦いで、それは十分正しいし、大変な努力で頭が下がるし
それ以上何も要求することも批判することも、わたしにははできません。
ただね、そういうやり方が効果的だったのは
彼女らが選ばれた天才だったからだなぁと思うのですよ。

頭脳と才能と勇気があり、くじけず戦った彼女らの努力とその功績は素晴らしくて
大いに賞賛されるべきだけど、
才能も何も持ってなくて白人の役に立たなくても、国の役に立たなくても、
彼女らと同様に尊重されなくてはいけない、
どんな人も差別されてはいけないんだということも忘れちゃいけない、と思って
なんか勝手にずっともやもやしてしまったのでした。
役に立ち才能のある仲間だけは特例で認めてあげる、
ってことになっちゃいけないんだよね、と。

ネットで見かけた、この映画の感想の中に
これを子供達に見せたい、なぜ差別がいけないかよくわかるから、
優秀な人を閉じ込めることの愚かさがよくわかるから、
と言うような内容のものがあって、たくさんの人が同調してたけど、
同じように子供達に見てほしいと思ったはずのわたしが、
うーん・・・と思ったのはそこでした。
差別がいけないのは、優秀な人が活躍できないからだけではなく、
能力や出自に関係なく、活躍できてもできなくても、
とにかく属性などで人に上下をつけてはいけないからなのだという
根本的なことを忘れそうな感想に思えたからです。

いちゃもんでしかないように聞こえるかもしれないけど、
自分はいつも声なき力なき見えない人たちが気になる。
自分がそうだからでしょう。
僻みのようなものかもしれないので、あまり言えないけど。
これは選ばれた天才達の話で、
彼女らは並外れて優秀な彼女らなりに自分たちのやり方で戦ったけど、
天才でない他の人たちもそれぞれのやり方で戦ってたんだなー、
たくさんの人がいろんな戦い方をしてきたんだなーということも
忘れないでいたい。
この映画に対する批判ではないんですよ。素晴らしい映画だし大好き。
ただ、この映画を見る側の姿勢として、
天才達を活かさないから差別はいけない、というだけの短絡的な
考えになってほしくないなぁと思っただけです。
余計な心配かもしれないけど。