sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

20年前の卒論も

2008-10-17 | 芸術、とか
しつこいですが、もう一回卒制の話。

あ、そうか、と思い当たった。
担当の先生は、わたしのデッサン、
ほとんど見たことないんだ、と。
そりゃ、心配にもなるし信用できないよねぇ、と。

夏のスクーリングの時も50号の絵は
すでに半分彩色した本画を持って行ってたので
デッサンは見せてなかったし
春の面談時にはデッサン自体、まだほとんどしてなかったし
今回の提出も、構図も色も
最終的な大下図にまとめたデッサンしか出していないのだから
わたしの、最初の試行錯誤である写生を
見てないことになります。
夏の授業の最終日に、100号用の写生を10枚ほど持って行って
構図とか1日考えてた日に、それだけは見せたつもりでいたんだけど
考えてみたら最終日、担当先生はお休みで、いなかったのだった!

それではデッサンしてない生徒と思われても
仕方ないなぁ~


考えてみると一度目の大学生だったときも似た状況だった気がする。
英文学科だったので、王道はシェイクスピア研究。
シェイクスピア研究に、わりと力を入れてる学校でもあったので
半分以上の生徒が卒論はシェイクスピアを選ぶのですが
わたしは当時、少しずつ知られて来た
アメリカのミニマリズムの小説が気になって
そっち方ばかり見ていた。
でも、ミニマリズムの小説自体が、まだ評価が定まる過程で、
わたしには、とてもそれを見定めたり評論したりする力はなく
あいだを取って(?)アメリカ小説の若い古典フィッツジェラルドを選んだのだけど

なんか、状況が今と似てないですか?(笑)

今となっては、ミニマリズムの小説は小さなブームというか
流れでしかなく、それはそれでまだ好きだけど、
それ以上にシェイクスピアの素晴らしさの方を痛感するわたしですが

20年以上経って絵でもまた、相変わらずの自分だなぁ、と気付き
自分にあきれて笑っちゃいました。

今いろいろ迷うのは若いときほどの無知では
なくなっている証拠だと前向きに思いましょう。