散歩者goo 

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昨日記160705火(猛暑日 労組結成の時の思い出 )

2016年07月06日 17時49分36秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
晴  最高/最低℃ =36.3  26.0
暑かった。
だが、気温が36.3どの割には、夏バテ感や疲労感もなく、昼間も家でそれなりに好きなクラシック音楽を聴いたりして過ごせた。
無論暑さ対策として、路上の水撒きやシャツも通風のよい薄型速乾シャツに着替えたりしている。
冷蔵庫には普段はおいていない、果汁100%のジュース類も入れ、その一部は冷凍し、アイスでも食べられるようにしている。
今これを打っているが、室温は約33度あるが、ミニファンの風を受けているので、汗は出ているが問題ない。

朝に、珍しく最初の会社E社(入社時中小企業だったが、当時環境試験装置のトップメーカーで10年勤め設計技術関係の仕事をしていた。)で一緒に労働組合を作ったF氏から電話があった。
F氏は1年に1回程度電話をかけてくる。
お互いの近況や、当時の関係者の話でしばらく盛り上がった。

私が勤めていたE社(当時の名前は社長の名前のT製作所だった。)は、今は東証一部上場企業だが、私が30歳前退職した時は、大証の2部にも上場してなかったが、最先端を走る企業で、設計技術基準なんかも電気設備の技術基準も参考にしながら技術チームで独自の設計基準を作ったりして、面白かった。
ロシアの宇宙開発関連の大規模プラントも輸出し、多くの同僚や先輩が、当時のソビエトに行ったが、その詳しい話は、全く聞くことが出来なかった。(私もプロジェクトに入っていたが、ソ連には行けなかった。)
当時、日曜日祝日のみ休みの時代で、そのプロジェクトで百数十時間の残業をしたことがあった。
同僚は、帰宅して家の風呂に入って眠り溺れかけたと言っていた。
入社、4-5年目?当時、私が会社から指名されて1年間給与委員会の委員長をやった関係で、その年、ある程度の賃上げを達成でき、その時に会社の総務課長も含め、民社党系の全金同盟に給与水神の資料を聞きに行ったことがあった。
給与委員会の役は、会社指名で1年交代なので辞めてほっとしたが、翌年の給与は、世間水準からするとわずかしか上がらなかった。
こんな給料なら転職した方がましと思ったが、仕事は面白かったので、組合を作って賃上げできないか考え、密かに、元給与委員会のメンバーに声をかけて有志を集め、全金同盟の担当者に相談した。
このとき、声をかけたものに裏切られ会社に密告されたら、解雇される覚悟はあった。
その後、数回の相談で、組合結成の話になり、会社を解雇されたときの対応策も聞いたうえで、組合結成に踏み切った。
仕事中密かに署名簿が回わり、私の所にも回ってきたが、ドキドキした。(発起人は書いてなく、結成大会で集まることが書いてあった。)
上司が知れば、すべてが終わり、解雇されることは目に見えていて、人生の賭けだった。
結成大会の当日、多くの人が残業をやめ、用事があるということで参加してくれた。
翌日始業と同時に、組合結成届を全金同盟の地区責任者と同行して社長に提出すると、会社役員は非常に驚き、職人気質の社長は強く怒っていた。
その後、会社の妨害工作もあったが、翌年の春闘では、ストを構えて賃上げと週休五日制の要求を掲げて、スト直前まで行った。
その時、会社の通用門には、ずらっと全金同盟の地区加盟企業の組合旗がずらり並び、労働歌が大声で流され騒然とした雰囲気となった。
ストは昼休み開けから突入予定だった。
組合に闘争資金はなく、不安だったが、全金同盟も負けるわけにはいかないと全面支援の態勢だった。
始業ベルが鳴る前に総務課長が血相を変えて組合事務所に来て、交渉を始めたいと言ってきた。
交渉が始まり、徹夜に近い交渉で大幅賃上げと週休二日制を勝ち取った。
それ以降会社の経営方針が大きく変わり、待遇もよくするが、仕事の生産性も上げる方向に切り替え、それ以降、会社は次々と大きな仕事をこなし、技術的にもトップレベルになり、大きく発展した。
私はその後数年で書記長を退いたが、組合は問題なく機能していた。
後日分かったことだが、組合の会計担当を自ら申し出て会計をしていた経理部の男は、会社から指示されて組合員となり、組合のスパイをし、それとなく組合の方向性をコントロールしていたという。
とにかく組合結成後、E社は業績を伸ばし、何度か業績不振があったようだが、今や大企業となった。
F氏(元副組合長)とは そんな懐かしい昔話もした。
組合幹部で、会社役員になったものもいるし、私の元上司(当時課長)二人が本社の社長になっていた。

余談の自慢話が長くなった。
この日はそれ以外、夜にジムに行き筋トレをしたことと、無くなった副食を当面必要な4食分を製造した以外、特記事項はない。

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