散歩者goo 

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皆様あけましておめでとうございます。(友達 格差 新自由主義 野党・民主党)

2016年01月02日 13時04分09秒 | エッセイ &余談 ・短感・片言雑事
今年も読者の皆さまが、健康で活躍されますように。


さてこの昨日記を含むブログは、私的なことや、考えや思いを思いつくままに書いています。
よく社会問題や政治的なことや芸術・考古学・古代史や自然・科学に関しても適当なことを書いておりますが、特に政治宗教の問題では意見が違う方も多いと思いますが、お許しください。
私は、極右・ネトウヨや極左やカルトや迷信に関しての意見は無視しています。
そうしたもの以外は、できるだけ右から左までの意見は、しっかり聞くようにしたいと思っています。
しかし、個人的友情や友達関係については、個人の持っている思想信条宗教と関係ありません。
私の友人には、右も左も維新もいます。
ただFB等のSNSでは、例えば「いいね」やコメントのお返しをすると、きりがなくそうしたことに振り回されるので適当(気まぐれ)に思った時だけ行います。

話を戻しますが、権威といわれる人の話でも、うのみにせず事実に照らし疑って聞いています。
考古学に限らず、医療健康面でも権威といわれた人たちの話が、新しい事実の発見で完全に否定されたり、逆の事が正しかったりすることを、多数経験しているからです。
(例えば、数十年前までは、「運動中は水を飲むな)が常識だったが、今は激しい運動中はみずを飲めという。肝炎の時はタンパク質を避けるというのが医療の常識だったが、現在はタンパク質を食べて肝臓の修復を早めるというのが常識。)

私の立ち位置は中道リベラルです。
しかし、同じリベラルでもまた保守でも、最近はそれぞれの問題で個別に意見が分かれています。
例えば、昔であれば、革新系であれば反戦、安保反対、反原発、反合理化と意見が同じでしたが、最近はリベラルでも保守でも、そのグループ内でも各問題で意見は多様化しています。

その中には、事実を確かめないで、教条的に信じ込んでいる人も多いようです。
例えば、20年前の話ですが、「具体美術協会はアメリカの手先や」という発言を大真面目に語っていた人を知りました。
どうしてそんな話になるのか、まったく理解できませんでした。
又低レベル放射線問題は非常に微妙な問題ですが、分からないことはわからないとし、学会が認める正確な事実はこれだけあるという事実を基に議論すべきと思い、疑わしきは結論が出るまでは、運転を中止することが必要と思います。

別の問題では、以前私は大企業の開発研究費の優遇に反対という意見に対し、開発研究費は企業業績を伸ばし、従業員の賃金を増やすためにも必要という意見をツイッターに投稿したところ、私を新自由主義者と誤解し雇用の規制緩和を推進することが必要という人が、私の意見をリツイートしました。
現在の格差の一因は、まさに雇用の規制緩和に起因し、大量の非正規社員を生み一気に格差を拡大しました。
私は無秩序な雇用の規制緩和に反対です。
企業の競争力確保は大切ですが、大企業による下請け中小企業からの収奪構造こそが問題です。
合理化による中小企業の収益増すら大企業により余分に収奪され、その結果大企業には過剰な利益が蓄積され、大企業の正社員の待遇は業績に応じ更に向上し、逆に中小企業に働く人の賃金や労働条件は、大企業に収奪された分引き下げられ、大企業と比べて大きな格差を生んでいます。
更にそのしわ寄せを、身分の不安定な非正規社員に持ち込み、収奪の標的にして企業利益を上げ、そうした構造が成果を上げたため、非可逆的な中小企業の正社員から非正規社員へ流れが定着しています。

こうした不公正を是正するには、大企業や中小企業にかかわらず、同一労働同一賃金を実現すべきです。
そのうえで新製品開発や改善で合理化を図る企業努力により利益増を図るべきで、適正な労賃やその他待遇を削るのは間違っているし、その結果、働く人たちの可処分所得を縮小し消費の減少を招くことで、企業は自分自身の首を絞めていると思います。
野党、特に第一党の民主党は、新自由主義・格差の問題を正面に据えて積極的に日常活動を展開し戦うべきだと思います。
(弱肉強食を許す新自由主義自体国民に理解されていないし、ピケティー教授の示した資本主義の資産格差の実態の理解も国民に浸透していない。多数の国民を味方につけ政権奪取するには、本質的な格差問題や新自由主義の問題点の理解の浸透が不可欠で、それに対応した政策宣伝をすると国民にわかりやすいと思います。)


話を元に戻しますが、間違ったデータや、誤解しやすいトリッキーなデータ(例えばグラフのメモリの幅を途中から変える)を使って人を説得しようとしたり、繰り返し発言して信じ込ませようとする人たちは、信用しません。
ことほど左様に、できる限り対立する意見では、両方の意見を聞きどちらが事実なのか、又論理的に正しいのか、いつも考えることにしています。
私と違う反対の意見も、聞いて考え私の考えに問題や間違いがあれば、こだわらず改めます。

ただ、価値観・信仰の問題や美醜やセンスの問題は、その人の環境(風土・時代・民族・風習・家族・宗教・言語・経済・教育)や生まれつきの個性で決定され、論理で解決できる問題ではないので、お互い違いを認め尊重するしかありません。
ただし個人や社会の価値観は、時間とともにどんどん変化します。
例えば、若い時に嫌いだったものが、中高年になる良さがわかるという経験は誰でもしています。


改めて、個人の話に戻りますが、まだ昨日記の記載も積み残し、新年2日に新年の挨拶とは、なっとらんという叱責も聞こえそうですが、今年は、できるだけ、メリハリつけて生きようと思っています。
具体的には、目標立ててやるときや仕事の時は緊張してバリバリやり、それ以外の時は適当に、ダラダラと過ごそうと思っています。
無論、対人関係や仕事で約束したことは、ダラダラすることなくできる限り守ります。
さて昨日記やブログの記載は私にとって重荷ですが、個人的なことなのか、社会的約束なのかわからないこともありますが、このブログで毎日書くといっていたので今後も遅れることはあっても昨日記は毎日続けようと思います。
ただし何も書くことがないことも多いですが、その時は、気が向かない限り適当事務的短文で終わりますが悪しからずお許しください。


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