散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記150607日(ブドウの害虫駆除 ジム・筋トレ 副食作り)

2015年06月08日 18時35分37秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =25.9  15.
昨日は、近つ飛鳥博物館で行われる、講演会に参加しようと思っていた。
しかしその前に、夕食等の副食を準備しておく必要があった。
それと、少し前から気付いていたブドウに大量の害虫が発生しみるみる葉が穴だらけになっていて、このままいけば、ブドウが丸坊主になる危険性があった。
二つのことを同時には無理なので、ブドウの対策を1時間程度やり、1時間程度副食を作ってから博物館に行こうと思った。

いざブドウの蔓で虫のいそうな蔓を切り取ると、そこには予想よりはるかに多くの虫がいた。
仕方なく高枝切バサミを使って、穴のあいている葉の蔓を切り取った。
ほとんどの蔓に多くの虫がついていて、12時過ぎになっても終わらないので、近つ飛鳥博物館へ行くことをあきらめた。
虫取作業は終わらないので、とりあえず2時で一旦作業を打ち切り、いつものファストフードに食事に出かけた。
帰宅後、虫取を再開し大量の虫をブドウの葉と一緒に獲った。

夕方からはとりあえず3食分の副食を作り40%程度の工程を済ませ、ジムに行った。
ジムでは筋トレを行い、その後1.3km程時速9.6kmのスピードで走った。
ランニングによる疲労はなかった。

ジムから帰宅後再び3食分の副食を仕上げてから11時頃夕食をとった。
そのため寝たのは、1時を過ぎていた。
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昨日記150606土(京都でのギャラリー回り JARFO・宋由美子展)

2015年06月08日 13時10分27秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
快晴  最高/最低℃ =24.8  14.4
6日は、午前中前日のランニング疲労の影響で7時前に起床して、そのままダラダラ過ごした。
昨日記を短く書き上げ、昼になって食材を買い2軒のスーパーを回り、ついでに昼食用の弁当も買った。
缶詰があれば、それで昼ご飯にするがあいにく切らしていた。
昼食後すぐに京都に出かけた。

京都では、三条界隈の現代系の画廊を、すずき―虹―モーニング―東山―クンストアルツト―16の順で
回った。
三条通りや東山や白川は新緑が映え、路傍の花も含め、いたるところに花が咲き美しかった。

ギャラリーすずきの川嶋守彦展は、あっけらかんとした表現が面白かった。
作家は、コンセプトも何もないというし、本人も意識していないようだが、フェイクで現代美術らしく表現していることそのものがユニークなコンセプトにみえる。
例えばストライプの平面作品は、地塗りの上にテープを貼ってあるだけだが、描いたように見え、ある意味ミニマルアートを感じさせる。
また置いてある造形物は、ペラペラの印画紙で出来ている。
その印画紙は、鮮やかな色の展開図を焼き付けてもらったものであるという。
ホワイトキューブの中に置くといかにも造形作品らしく見えるが、箱形に置くとペラペラの印画紙なので自然にたわみ、いかにも作りこんだように見えるのだ。
それぞれの平面や立体作品は、テープや印画紙を使用しているが、テカリによる反射を意識していて、光の彩の面白さも意識しているという。
現代系の画廊に入って作品を観ると、観客は作品のコンセプトとか表現の美しさと言った表現内容を考える。
川嶋氏の作品は、本人は意識していないようだが、鑑賞者に現代美術作品としての幻想を抱かせるが、本人は、実はそうしたコンセプトと言った煩わしいものをあえて否定して単純に表現したという。
しかし結果的に単純な作品でありながら、現代美術らしく見せるということをコンセプトにした現代美術であるということが出来る、複雑な構造の作品ともいえる。
当然のことながら、本人は制作時には現代作品らしく見えるように、単純ではあるが丁寧に意識して制作しているようだ。

一口に現代美術といっても、様々な表現があり、違った系列の作品を同じ物差しで鑑賞することは不可能である。
極端に言えば、表現するものの価値観・パラダイムが違うのである。
例えば、同じ音楽でも義太夫の聞き方でハードロックを聞くことは出来ない。
いずれも音楽芸術であるが、パーツも文法や文脈の価値観が全く違うのである。
そこに現代美術の面白さがある。
従って、それぞれの表現の仕方のルールの中でいい作品、面白い作品が存在するのである。
それぞれの価値観・パラダイムは、常に創造されている。
例えば、ビートルズが誕生したときは、世間では騒音とか雑音といわれた。
現在では、ビートルズは学校の教科書にも採用されているという。
その時世間は新しいビートルズの価値観を知ったのである。

また余談が長くなった。

その後東山三条のマックでコーヒーを飲みながらの読書を楽んだ後、近くのJARFOで開催される宋由美子展とオープニングのギャラリートークに参加した。
宋さんは、JARFOで毎月開かれた現代美術夜ゼミでの馴染みのメンバーである。
会場は満員だった。
宋由美子さんと貴志カスケさんの対話でギャラリートークは進められた。
途中から、会場の参加者(京都関係の知り合いはほとんどいないので、よくわからないが、作家や団体の有力者の方達が多かったようだ。)との美術関連の討論が活発に行われ面白かった。
<中にはえんえんと一方的に自説をまくし立てて、論理や中身はないが芸術万歳的なことを言う不思議な人もいたのも、面白かった。(正体不明?)>
ギャラリートーク終了後、パーティーがあり、そこで顔は知っているが一度も話したことのない
先生方とも、いろいろ話が弾み、収穫だった。
その中で、印象的だったのは、私が美術論議でよく持ち出す記号論に関し、現代美術家のM氏が記号論やゲシュタルト心理学に非常に造詣が深いことを知り驚いた。
帰宅したのは11時過ぎで、パーティーでは、それほど食べてなかったがよく飲み、お腹は空いていなかったが、念のためバナナやチーズをかじって栄養補給した。
寝たのは1時を回っていた。
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