散歩者goo 

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昨日記150404土(朝寝坊 ギャラリー廻り ギャラリートーク 花見 ジム・筋トレ)

2015年04月05日 14時20分29秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
曇  最高/最低℃ =25.1  14.3
一昨日は、日中副食製造に追われ、夜にジムでランニングした後、薬店で購入しなければならないサプリメント類があり、購入に走ったりして普段なら家で食事をしている時間まで動き回り、その後洗濯したり夜食を調理して食べたりと生活のペースがずれ込み、床に就いたのは1時過ぎだった。
ジムの運動の疲労もあったので体を休めるため、目覚ましを切って寝た。

起床したのは、4月1日と同じ9時前。
ぐっすりと、心地よい睡眠をとった。
通常、年をとると朝が早く、睡眠も浅くなるというが、確かにそう感じることもなくもないが、同時に若い時と変わらぬ睡眠状態になることも度々である。

午後から、いつものように西天満のギャラリーを回ったが、新しくやっていたのはOギャラリーだけであった。
作家もいたので、話をしようとしていると、子連れの来客があり、仲間内で話が盛り上がっているようなので、作家とはほとんど話さずギャラリーを出た。

こうしたことは何度も体験しているが、とにかくギャラリーに子連れのファミリーが来ると、作品やアートの話はすべてすっ飛んで子供や家族の話になる。
気楽に見ていい作品も多いので、そういう場合は気にならないが、表現する内容によっては、クラシック音楽の演奏会同様に、子連れの場合は一工夫あってもいいのかもしれないと思ったりする。
(例えば、他の人が外で子供を見るとか、子連れの日を設けるとか)

昨日は、ギャラリー白でギャラリートークがあるということがFBで紹介されていたので、それに間に合わすために、普段よりかなり早く出た。
当然、大阪城公園の混雑も計算しての話だ。

いざ大阪城公園を通過しようとすると、予想通り多くの人に出くわした。
ゆっくり人並みをかき分け自転車を走らせるうち、桜が気になって堀端の桜を観に行った。
桜は丁度満開だった。
桜の下では隙間なくシートが敷かれていて、それぞれ輪になって老若男女が咲け酌み交わし花見を楽しんでいた。
とりあえず私の中のミニ花見を済ませ桃園の前を走ると、今度は桃の花が満開であった。
桜と桃が同時に満開になることは、かなり少ない
桃色、白の桃の様々な桃の花を愛でながら、時間を気にしながら大阪城公園を通り抜けた。

天満橋に来ると、大川の桜が満開で、やはり大勢の花見客がいた。
大川での花見は、大阪城公園程は、混雑していない。
そんなことで、予定より30分近く遅れて、ギャラリー白に到着した。

ギャラリーの3階では、奥村氏と陶芸作家が、対話をしている最中であった。
今回の展覧会はすでに、3月28日に観ていて、何人かの作家と話もしているし、以前何度か話した作家もいる。
私が昨日行ったときに、取り上げられた作家は、すべて以前に話を聞いたことのある作家だった。
私が作家と話した時に発した、質問と同じ話が出たが、以前に作家からその考えも聞いていたので非常に分かりやすかった。
現代美術と、現代陶芸とのことが話題に上ったが、それにまつわる掘り下げるべき問題や考え方は多くあるし、以前からそうした問題を私も考え続けていて、自分なりに現段階での答えは持っていて、いずれまとめてこのブログで提示したい。
今回、単なるギャラリートークで、誰かが司会して作家が語ると思っていたが、奥山氏が質問しながら展開するとは知らなかった。
確か、奥村氏は2kwやノマルのギャラリートークでも司会をされていたと思うし、すべての会場で、私も質問したので、印象に残っている。(いずれの場合も司会者を知らずに行った。)

ギャラリートークの後、天満橋に寄る前に、大川端を通ったが、桜が満開で美しいので自転車を押して、大川端の遊歩道を散策した。
未だ花吹雪には至らず、落花はほとんど無く、丁度満開になったところのようだ。
ところどころに白い山桜が植えられていて、白さが目立った。
青空であれば、数倍美しかったに違いない。

天満橋のいつも行くファストフードの店では幸い天気が悪いこともあり、窓側の席を確保し、しばらく対岸の桜を愛でながらコーヒーを飲んだ。
夜に、筋トレに行こうと思いたち、普段よりかなり短い時間で店を出て帰宅した。

帰宅して、朝食のパンや牛乳がないことに気付き急いで2つのすーぱーに買い出しに走った。
なんとかジムの門限に間に合いそうな時間に帰宅し、購入した商品を置いて、準備してあったバッグを持ってすぐにジムに行き筋トレを行った。
帰宅後夕食作りをし、夕食はすっかり遅くなった。
12時過ぎになって、寝る前に少しだけFBを見てから寝ようと、思って開けた。
そこには、思わぬ長文の記事が載っていて、以前はならーとでも見た作品のことが書いてあった。
よく読むと、現代美術の基本である過去とは違う前衛作品の在り方の基本を揺るがす話、即ち盗作疑惑であった。
芸術における盗作は、問題外の話であろう。
作風が似るとか影響を受けるということは、当然の話であるが(そもそも芸術・文化は模倣や影響なしには考えられない。)、コピーや盗作は違う。
論文のコピペも似たような問題を含んでいる。
そうしたことで考えたり、そのついでにいろんな記事を読み始めたり、友達申請したり、歯の治療の記事で、私が今現実に治療していることと重なるので、長いコメントを書いたりして、結局床に就いたの一昨日と同様1時過ぎになってしまった。

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