散歩者goo 

タイトルのgooは、同名のHPやブログと区別の為付けてます。HPの「散歩者」はこのブログ筆者の私とは全く無関係です。

昨日記130322金(16/3晴 ギャラリーAMI-KANOKO 吉井秀文展 芝高康造展)

2013年03月23日 15時28分57秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、午後からFBで紹介されていた、日本橋のギャラリーAMI-KANOKOに行った。
吉井さんは、以前、2000年に廃業したギャラリーくるせで個展をしたこともある顔なじみの作家であり、芝高氏も天野画廊等の個展でお話を伺ったことがある。

昨日は、二人の個展を見てから、なんばパークスで行われている展覧会「ボーダーレスのゆくえ」を見に行く予定であった。
ところが、芝高氏や吉井氏とも作品についての話が盛り上がり、長い時間はなしていた。
その上、2階の吉井氏の話が終わって、下におりたときに、ギャラリーの方から、3月30日に開催される、「評論を書くことを考えてみる会」についての紹介があり、その件で話が盛り上がった。

ところが、その日、生駒のギャラリーから展覧会の案内が来ていて、それに参加する予定をしていた。
ギャラリーのオーナーおよび二人展の片方の作家さんとは、ギャラリー時代から馴染み深かった人なので、はずすわけには行かないと思っていた。
結局、生駒の展覧会のパーティーへは、少し遅れて行く事にして、「評論を書くことを考えてみる会」にも参加することにした。

実は、芝高氏や吉井氏の作品は、コンセプトもしっかりしているが、ある意味現代美術として難解なところもあり、評論するにはいい材料だと思っている。
吉井さんの作品は、美術館でも展示され、学芸員が評論も寄せている。
30日に行われる会は、会費制(一般1000円)で自由参加だそうである。
各作品についての大学生の評論をベースに話を聞き感想を話そうというものらしい。

多分両氏の作品を目の前にして、現代美術の見方に対して様々な意見が出てくると予想される。
しかも、両氏の作品のコンセプトが明快で、作品の質が高く、ある意味一見難解?なところもあるだけに、私はよく評論にありがちな言葉の羅列や、自分の論理の構築に自己陶酔しているようなものではない、本当の分かりやすい哲学的で美学的にも納得の行く話しを聞きたいと期待している。

その後、吉井氏や芝高氏と私の3人とたまにギャラリーの方が加わって、関連した話に花が咲き、ギャラリーの終了時間までお邪魔してしまった。

コメント