線路端日誌

東海地方の鉄道を中心に、細かいネタからこつこつと。

秋アキのキハ58 54

2007年08月19日 11時38分38秒 | 鉄道
大館から秋田へ移動する際、花輪線からの直通快速に乗車しました。まだキハ58・28が残っていたうえに、それがかなり古い車両でした。置き換えの時は迫っているのでしょう、沿線にはファンの姿がちらほらと見られました。秋田到着後、まだ出るなよと念じながら、撮影しました。


秋田にて


写真の1両目(大館方)は、キハ58 54


製造年は、「昭和36年」

秋田には、これより若いと思われるキハ58 24がいますが、どちらにしても、今までよく残ってきたものだなと思いました。

ただ、製造は古い車両ですが、車内は綺麗に改装され、リクライニングシートが装備されている車両です。キハ110系列に置き換えられると、レベルダウンは必至でしょう。

函館市電を撮る

2007年08月18日 23時15分29秒 | 中小民鉄
北海道の路面電車のひとつ、函館市電。お手軽に、函館駅前から湯の川方に一つ目の電停・松風町付近で撮影しました。


松風町にて

ここにいた一時間弱の間で一番多くやってきたのが、710形でした。1959年~1961年にかけて製造された車両で、調べてみると間接自動制御を採用しているそうです。

何枚も撮れたので並べてみます。


 
 

710形は、711号の一両だけ車体更新がされました。工事を施工したのは国鉄五稜郭工場というのが不思議です。函館には他にも車体更新車は存在するのですが、それらとは異なる見事に切妻な前面形状は異彩を放っているように思えます。

711号。この姿も22年経過した


810号と720号

800形は、710形についで1962年から製造されました。制御方式が間接日自動制御となったことと、引き戸の形状が変更点です。8000形への車体更新が進み、全12両のうち半分以上が姿を消しています。撮れたのはラッキーでした。


8003号(もと804号)

車体更新車・8000形は、1990年以降に800形を車体更新して登場しました。ステップが三段となったのは、時代の変化でしょう。中扉付近を低床化した8100形も5年前に登場していますが、撮影は出来ませんでした。


純然たる新車・3000形

3000形は、1993年から1996年にかけて製造された純然たる新車です。VVVFインバータ制御、冷房搭載で、「マリンブルー号」の愛称が付けられているそうですが、写真の3004号は愛称に似合わずなんだかゴテゴテしています。


1006号

1000形は、元都電7000系を37年前に購入したものです。10両がやってきましたが使い勝手が悪いとかで、現在残るのはもう1両とか。早くに消えていきそうな車両のようで、これも撮れたのは幸運でした。


新鋭9600形「らっくる」号

9600形は、今年登場したばかりの前面低床車です。国産だそうで、2車体連接でもポートラムやアイトラムとは車体の雰囲気が異なります。
愛称ですが、「楽に乗り降り、迎えに来る」との語呂合わせと、形がらくだを連想するとかで「らっくる」号と付いたそうです。調べるまでは、いったいどういう意味なのか、少し頭を悩ませました。

概要・運用などはこちらを参考にしました
函館市電が誇る9601号

「らっくる」を撮影した後、ひととおり路線に乗り、谷地頭付近で撮影したりしていると、日が暮れました。谷地頭電停の近くには市営の温泉があり、旅の疲れを癒すことが出来ました。

弘南鉄道大鰐線を訪ねる その2

2007年08月17日 12時16分18秒 | 中小民鉄
津軽大沢駅の訪問記です。


大鰐線弘前口の車両たち

現在大鰐線は寸断されているわけですが、大鰐温泉口の方に7000系2本、こちら弘前口の方は7000系2本、6000系2本で輸送を行っているようです。10月末まではこの状況が続くと思われます。


「いでゆ」マークの7040-7039(手前)

津軽大沢駅では、車庫の中で写真を撮らせていただけました。

6005F


6007F

元東急6000系は、もともと少数派だったのが弘南鉄道に譲渡され、今に至っています。駆動方式が特徴的で、独特な走行音を上げて走ると聞きますが、残念ながらこの日の運用はなし。予備車ですが、東急の愛好家団体が磨き上げたとか、車体はぴかぴかに光っていました。


このタイプのラッセル車が残っているとは…


まだ車籍はあるのだろうか


義塾高校から引き返してきた7039F

ひととおり撮影し終わったところで中央弘前行きに乗り込み、引き上げました。
車庫内というのは面白いもので、入らせてくれた駅員の方には感謝、感謝です。

弘南鉄道大鰐線を訪ねる

2007年08月17日 11時56分05秒 | 中小民鉄
弘南鉄道大鰐線を訪れました。元東急車が活躍する、津軽の国の電気鉄道です。


JRから古い跨線橋をわたると、弘南鉄道の大鰐温泉駅

義塾高校前ー石川間にある、JR奥羽本線をまたぐ高架橋の補修工事のため、一部区間で運休・バス代行が行われていました。全線開通の暁には、また来たいものです。


臨時ダイヤ時刻表


やってきたのは青帯の7000系


各車両にはそれぞれ違うヘッドマークが。

北陸鉄道の7000系と異なり、こちらの元東急車は台車などが元のままです。空気ばね台車の乗り心地はいかに、と思ったのですが、線路の状態が悪いのか、プルプルと激しく揺れました。車内はあまりよい状態ではなく、シートにはつぎはぎがいくつもありました。

果樹園の中を走っているうちに、石川駅に着きました。


ここで、代行バスへの乗り換えでした。


代行バス


石川駅にて

代行バスは津軽大沢行きで、義塾高校までは行きません。大鰐温泉方面から義塾高校まで行く人は、相当少ないのでしょうか。

津軽大沢駅へ着くと、こんな看板が出迎えてくれました。


それはそうなのだけれど・・・

津軽大沢駅の車庫訪問は、次の記事で。

旅行でいろいろと立ち寄ることができ、収穫もありました。しばらく、ボチボチそれを書いていこうと思います。

写真は、A540、E-510併用。

神宮前1号踏切廃止へ

2007年08月12日 17時01分35秒 | 名鉄
旅行中のため更新できませんでしたが、ようやく更新できるようになりました。
ぽつぽつ更新をしていこうと思いますので、宜しくお願いします。

さて、名鉄神宮前駅そばの踏切が廃止されるそうです。
『名古屋・熱田の「開かずの踏切」廃止』

名鉄神宮前駅の金山方には、東海三県でただ1箇所、手動で遮断機を動かしている踏切が存在します。御田踏切・神宮前1号踏切です。この踏切は名鉄ファンにとって、神宮前の一種の名物的な存在でしたが、姿を消すことになりました。

これはJR東海道本線と名鉄名古屋本線にまたがる踏切で、新聞記事によると、ピーク時には1時間のうち40分ほどは閉じたままなのだそうです。この踏切では事故や事故寸前という事態が発生しているということもあり、これまで問題視されてはいましたが、なかなか問題の解決に向けての動きは伝わってきませんでした。

この問題が今回、ようやく解決されることになりました。記事によりますと、踏切を自動化するのではなく廃止し、歩行者用の跨線橋を新たにつくるそうです。既にひとつ、歩行者用の跨線橋はありますが、これとはまた別のもの。古い歩道橋は、どうなるのでしょうね。

完成目標は3年後。まだ工事の着手時期は未定だそうですが、工事が始まるとやはり早いのでしょう。