福井地裁の再判断で、関西電力の高浜原発がどうやら再稼働されそうなムードになってきました。福島の事故発生後、故郷を追われ、未だに帰る目途もつかないまま避難生活を余儀なくされている方々と少しでも関わっている者として、色々な疑問を感じずにはおられません。
今回の福井地裁の決定は、「原発の絶対的な安全性は想定できず、危険性が社会通念上無視できる程度まで管理されている」として、「耐震安全性、使用済み核燃料の危険性などに関する専門家である原子力規制委員会の判断に不合理な点はない」という内容です。
私は理化学に弱く、高校時代に習った核物質の半減期はものによったら数万年というのが記憶に残っている程度で、原子力と聞けばブラックボックス的な存在ですし、更に原発の技術や地震などについては全くの門外漢ですが、一市民として、素朴な疑問がいくつも出てきます。
(1)まず、福島で経験したはずの原発の危険性をそんなに簡単に排除できるのか
◆原子力規制委員会
・世界屈指の地震国である日本では、どのような大規模の地震、火山爆発や津波などがいつどこで発生するかも知れないが、原発がそれらに対して本当に完全な対策が取れているのか?
・原発稼働に伴って発生する「高レベルの放射性廃棄物」の処分方法も決まっていないのに、原発の稼働を認める根拠は?
◆裁判所
・法律は、国民の安全を守るために存在すると思うのですが、今回の如く判事自らが「原発の絶対的な安全性は想定できず」との認識の上で、且つ、「避難計画の重層的対策の重要性」などと事故対応への配慮の必要性を追記した上で、“不合理な点はない”として、原発再稼働にOKを出せるのか?
確かに飛行機や列車、車などにしても、“絶対的な安全性”はなく、何万分の一かの確率で事故にあう可能性はあるでしょうが、その被害者はたまたまそれに搭乗していた人とか周辺にいた人とか、極めて限定的で社会通念からすれば利便性を勘案して許容範囲なのかも知れませんが、原発は根本から違うと思います。
・万一、事故(人為的/自然災害などを問わず)が起きれば、福島で経験した様にその範囲や対象者は桁違いに大きく、また長期にわたる事故対応が必要となるのであり、考え得る限りでの“絶対的な安全性”が求められると思いますし、原発を稼働させることに依る利便性などあるのでしょうか?
◆国・自治体
・稼働後に事故が起きた場合は、誰が責任を負うのか?
・最終的には国の政策に基づいたものなので、国になるのでしょうが、国家予算編成の中で莫大な国家の借入金を子供や孫の代まで垂れ流しにするような政策を進める国が、自分たちが政権と直接の関係がなくなる将来のことまで考えているとは思いにくいです。
・事故が起きなくても、何万年もの安全管理が必要な廃棄物の処分について、後世の世代から恨まれない方策が本当にあるのか?
(2)それにしても、つい数年前に福島であれだけの事故を起こし、まだその対応も出来ておらず、またこの数年の実績で「原発がなくても、電力不足は起こらない」ことが実証されたにも拘わらず、原発再開をそれほどまでに急ぐのはなぜでしょうか。
◆国/電力会社は他の電源と比較して、原発の低コスト性を主張し、産業活動維持のために必要と言うが、本当に原発は低コストなのか?
・廃棄物の処分方法も未決定なのに、その処分費用はどのように折り込んでいるの?
それとも、今後莫大な費用が必要な処分方法が採用になった場合、廃棄物の処理は国家の負担ですることになっているの?
・万一の事故の場合の対応コストは入っているのか?
◆国の貿易収支悪化を避けるためということも大きな理由になっています。近視眼的に見れば石油などの輸入減でそうなるのでしょうが、将来的な廃棄物処理なども含めたトータルコストという点では如何でしょうかね?
◆化石燃料に切り替えた場合は、CO2問題が起こるというのも、原発再開の材料になっていますが、本当にそうでしょうか?
日本の科学技術水準からすれば、CO2発生はかなり抑えられるでしょうし、その後この問題のない代替エネルギーへの切り替えは、それ程難しいものではないでしょう。またこれらの技術こそが自信を持って海外に売り込めるのではないでしょうか
(3)原発立地の自治体への手厚い補助
立地検討から稼働後まで長期にわたる、立地自治体への手厚い補助は、大きな産業がない僻地の自治体や色々な業界にとっては、大きな収入源でしょう。
しかしこの現状を見ると、言葉は悪いかも知れないが、ある知人が漏らした言葉を思い浮かべます。即ち「ヤクザが覚せい剤の中毒者を作り、自分を必要者と思わせる」手口と…
更に、大胆な提案ですが
・本当に安全性が保証されるなら、消費地である大都会の近くに原発を設置。
・また原発再開を推進した、或いは積極的に賛成した機関や人達(国会、政府首脳、関係官庁、原子力規制委員会、電力会社、自治体、並びにその主要構成員)などは、自分たちが推し進めた原発の近くに本拠地/住居などを構える。
現実味のない提案であることは充分に承知しています。
しかし関係者が本当に原発の安全性と必要性を説くのなら、そこまで踏み込んでアピールする覚悟を示してもらえば、私の様なひねくれ者も少しは納得すると思うのですが如何でしょうか。(まさ)
今回の福井地裁の決定は、「原発の絶対的な安全性は想定できず、危険性が社会通念上無視できる程度まで管理されている」として、「耐震安全性、使用済み核燃料の危険性などに関する専門家である原子力規制委員会の判断に不合理な点はない」という内容です。
私は理化学に弱く、高校時代に習った核物質の半減期はものによったら数万年というのが記憶に残っている程度で、原子力と聞けばブラックボックス的な存在ですし、更に原発の技術や地震などについては全くの門外漢ですが、一市民として、素朴な疑問がいくつも出てきます。
(1)まず、福島で経験したはずの原発の危険性をそんなに簡単に排除できるのか
◆原子力規制委員会
・世界屈指の地震国である日本では、どのような大規模の地震、火山爆発や津波などがいつどこで発生するかも知れないが、原発がそれらに対して本当に完全な対策が取れているのか?
・原発稼働に伴って発生する「高レベルの放射性廃棄物」の処分方法も決まっていないのに、原発の稼働を認める根拠は?
◆裁判所
・法律は、国民の安全を守るために存在すると思うのですが、今回の如く判事自らが「原発の絶対的な安全性は想定できず」との認識の上で、且つ、「避難計画の重層的対策の重要性」などと事故対応への配慮の必要性を追記した上で、“不合理な点はない”として、原発再稼働にOKを出せるのか?
確かに飛行機や列車、車などにしても、“絶対的な安全性”はなく、何万分の一かの確率で事故にあう可能性はあるでしょうが、その被害者はたまたまそれに搭乗していた人とか周辺にいた人とか、極めて限定的で社会通念からすれば利便性を勘案して許容範囲なのかも知れませんが、原発は根本から違うと思います。
・万一、事故(人為的/自然災害などを問わず)が起きれば、福島で経験した様にその範囲や対象者は桁違いに大きく、また長期にわたる事故対応が必要となるのであり、考え得る限りでの“絶対的な安全性”が求められると思いますし、原発を稼働させることに依る利便性などあるのでしょうか?
◆国・自治体
・稼働後に事故が起きた場合は、誰が責任を負うのか?
・最終的には国の政策に基づいたものなので、国になるのでしょうが、国家予算編成の中で莫大な国家の借入金を子供や孫の代まで垂れ流しにするような政策を進める国が、自分たちが政権と直接の関係がなくなる将来のことまで考えているとは思いにくいです。
・事故が起きなくても、何万年もの安全管理が必要な廃棄物の処分について、後世の世代から恨まれない方策が本当にあるのか?
(2)それにしても、つい数年前に福島であれだけの事故を起こし、まだその対応も出来ておらず、またこの数年の実績で「原発がなくても、電力不足は起こらない」ことが実証されたにも拘わらず、原発再開をそれほどまでに急ぐのはなぜでしょうか。
◆国/電力会社は他の電源と比較して、原発の低コスト性を主張し、産業活動維持のために必要と言うが、本当に原発は低コストなのか?
・廃棄物の処分方法も未決定なのに、その処分費用はどのように折り込んでいるの?
それとも、今後莫大な費用が必要な処分方法が採用になった場合、廃棄物の処理は国家の負担ですることになっているの?
・万一の事故の場合の対応コストは入っているのか?
◆国の貿易収支悪化を避けるためということも大きな理由になっています。近視眼的に見れば石油などの輸入減でそうなるのでしょうが、将来的な廃棄物処理なども含めたトータルコストという点では如何でしょうかね?
◆化石燃料に切り替えた場合は、CO2問題が起こるというのも、原発再開の材料になっていますが、本当にそうでしょうか?
日本の科学技術水準からすれば、CO2発生はかなり抑えられるでしょうし、その後この問題のない代替エネルギーへの切り替えは、それ程難しいものではないでしょう。またこれらの技術こそが自信を持って海外に売り込めるのではないでしょうか
(3)原発立地の自治体への手厚い補助
立地検討から稼働後まで長期にわたる、立地自治体への手厚い補助は、大きな産業がない僻地の自治体や色々な業界にとっては、大きな収入源でしょう。
しかしこの現状を見ると、言葉は悪いかも知れないが、ある知人が漏らした言葉を思い浮かべます。即ち「ヤクザが覚せい剤の中毒者を作り、自分を必要者と思わせる」手口と…
更に、大胆な提案ですが
・本当に安全性が保証されるなら、消費地である大都会の近くに原発を設置。
・また原発再開を推進した、或いは積極的に賛成した機関や人達(国会、政府首脳、関係官庁、原子力規制委員会、電力会社、自治体、並びにその主要構成員)などは、自分たちが推し進めた原発の近くに本拠地/住居などを構える。
現実味のない提案であることは充分に承知しています。
しかし関係者が本当に原発の安全性と必要性を説くのなら、そこまで踏み込んでアピールする覚悟を示してもらえば、私の様なひねくれ者も少しは納得すると思うのですが如何でしょうか。(まさ)