(昨日の高浜原発再開関係のニュースに関して、意見を書こうと思っていたのですが、どうしても生臭い話になりそうなので、世の中はクリスマスということもあり、少し話題を変えました。原発関係はもう少し頭を冷やして明日以降に…)
先月の旅行の写真整理や年賀状などもやっと一段落し、今日は久しぶりに散歩に出かけました。
今日のコースは、私の(ハ)コースで、毛馬の閘門から淀川左岸を新御堂筋あたりまでのコースでしたが、淀川はもうすっかり冬の感じで、沢山のカモが来ていました。
今日の紹介は、毛馬の閘門と蕪村公園です。
「毛馬の閘門」は、明治末期に従来の淀川が改修され、丁度毛馬の辺で、今までは現在の大川の方に流れていたのを、新たに開削した新淀川へと直進のコースに変えた際に、毛馬洗堰と共に、船舶通過のために水位を調整するために併設されました。
場所は、現在の毛馬排水機場の西側だったが、その後に行われた大川の浚渫工事で、大川の水位が大幅に下がり、新淀川との水位差が広がり、閘門が対応できなくなったため、最初の閘門(第一閘門)の下流に二つめの閘門が大正時代に設置されたようです。
その後、昭和50年頃に現在使用されている閘門が完成したので、第一閘門周辺は公園施設として整備され(現在は、産業遺産として国の重要文化財に指定されています)、第二閘門だった所は、現在はすっかり姿を変え舟溜まりとして使用されています
そして、昭和58年までに現在の淀川大堰・毛馬排水機場が完成した様です。
余談:私は神戸で育ちましたが、神戸市兵庫区に「尻池」という地名があり、子供時代にこの子供が喜びそうな地名にかけて「神戸の尻池、大阪の閘門」といっていた記憶がありますが、その神戸から毛馬の閘門の近くに住んでいるのも何かの縁でしょうか。
現在の毛馬の閘門(右)と排水機場(左)。この排水機場の左側に昔の第一閘門跡があります。
手前は休んでいるユリカモメです。
堤防の上(上流側)から見た、第一閘門跡
上流側から見た第一閘門跡(レンガ造りです)
第一閘門の扉(レンガ造りの側壁から鉄製の観音開き)
第一閘門の中。レンガ造りで、側面には舟を係留するように鉄製の鎖があります。
これは「毛馬の残念石」。江戸幕府が大阪城を再建するときに廃城となった伏見城の城石を再利用するために運んだが、その途中に運搬船から転落した石が淀川の改修工事のときに引き上げられたもののようです。
第一閘門の西側にある眼鏡橋。昔はこの下を疏水が流れていたようです。
毛馬の閘門から大川を少し下った毛馬橋の東北詰めに5年ほど前に、大阪市の「蕪村公園」という公園ができました。
毛馬の閘門近くの淀川の堤防には有名な「春風や堤(つつみ)長うして家遠し」の句碑がありますが、この新しい公園にも自然石に蕪村の句が刻まれた13の句碑があり毛馬村出身の蕪村を偲んでいますが、近くの高齢者たちのゲートボールやブランドゴルフ場として賑わっています。
蕪村公園の入り口付近
毛馬の閘門が良く見える公園です。奥に見える大きな石は、蕪村の句碑です。
私が現在住んでいる都島区の大川沿いは、昔から京と大阪を結ぶ水運の要衝地として結構栄えていたようで、毛馬村とか友淵村という昔からの地名が残っており、色々な史跡も多いので、順次紹介して行きましょう。(まさ)
先月の旅行の写真整理や年賀状などもやっと一段落し、今日は久しぶりに散歩に出かけました。
今日のコースは、私の(ハ)コースで、毛馬の閘門から淀川左岸を新御堂筋あたりまでのコースでしたが、淀川はもうすっかり冬の感じで、沢山のカモが来ていました。
今日の紹介は、毛馬の閘門と蕪村公園です。
「毛馬の閘門」は、明治末期に従来の淀川が改修され、丁度毛馬の辺で、今までは現在の大川の方に流れていたのを、新たに開削した新淀川へと直進のコースに変えた際に、毛馬洗堰と共に、船舶通過のために水位を調整するために併設されました。
場所は、現在の毛馬排水機場の西側だったが、その後に行われた大川の浚渫工事で、大川の水位が大幅に下がり、新淀川との水位差が広がり、閘門が対応できなくなったため、最初の閘門(第一閘門)の下流に二つめの閘門が大正時代に設置されたようです。
その後、昭和50年頃に現在使用されている閘門が完成したので、第一閘門周辺は公園施設として整備され(現在は、産業遺産として国の重要文化財に指定されています)、第二閘門だった所は、現在はすっかり姿を変え舟溜まりとして使用されています
そして、昭和58年までに現在の淀川大堰・毛馬排水機場が完成した様です。
余談:私は神戸で育ちましたが、神戸市兵庫区に「尻池」という地名があり、子供時代にこの子供が喜びそうな地名にかけて「神戸の尻池、大阪の閘門」といっていた記憶がありますが、その神戸から毛馬の閘門の近くに住んでいるのも何かの縁でしょうか。
現在の毛馬の閘門(右)と排水機場(左)。この排水機場の左側に昔の第一閘門跡があります。
手前は休んでいるユリカモメです。
堤防の上(上流側)から見た、第一閘門跡
上流側から見た第一閘門跡(レンガ造りです)
第一閘門の扉(レンガ造りの側壁から鉄製の観音開き)
第一閘門の中。レンガ造りで、側面には舟を係留するように鉄製の鎖があります。
これは「毛馬の残念石」。江戸幕府が大阪城を再建するときに廃城となった伏見城の城石を再利用するために運んだが、その途中に運搬船から転落した石が淀川の改修工事のときに引き上げられたもののようです。
第一閘門の西側にある眼鏡橋。昔はこの下を疏水が流れていたようです。
毛馬の閘門から大川を少し下った毛馬橋の東北詰めに5年ほど前に、大阪市の「蕪村公園」という公園ができました。
毛馬の閘門近くの淀川の堤防には有名な「春風や堤(つつみ)長うして家遠し」の句碑がありますが、この新しい公園にも自然石に蕪村の句が刻まれた13の句碑があり毛馬村出身の蕪村を偲んでいますが、近くの高齢者たちのゲートボールやブランドゴルフ場として賑わっています。
蕪村公園の入り口付近
毛馬の閘門が良く見える公園です。奥に見える大きな石は、蕪村の句碑です。
私が現在住んでいる都島区の大川沿いは、昔から京と大阪を結ぶ水運の要衝地として結構栄えていたようで、毛馬村とか友淵村という昔からの地名が残っており、色々な史跡も多いので、順次紹介して行きましょう。(まさ)