老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

「一汁一菜」のこと 

2017年01月13日 19時39分00秒 | 食べ物
 料理関係の本などまず手にすることはなかったのですが、最近ツレアイの体調が思わしくない時に食事準備をする機会が増えたせいか、先日本屋さんで『一汁一菜でよいという提案』(土井善晴著 グラフィック社)という本が目につき購入しました。

 料理やグルメに疎い私ですが、時々TVで目にする料理研究家であり、あちこちの大学で講師もされている同氏の名前くらいは知っておりましたし、題名にも興味を持った次第です。

 最近は世界的な日本食ブームで、和食が無形文化遺産の指定を受けると共に、TVのグルメ番組では豪華な素材を使った色とりどりの日本食が紹介されたり、ミシェランの星数を競う店も増えてきました。

 そういう中で、毎日の食事準備をする人が、「日本食とは?」と悩むようになり、手間が掛るものだと思い込んでいる状況を何とか見直したいという視点から書かれた本ですが、主なポイントを並べて見ますと、

◆日本には特別な状態や祭りごとを表す「ハレ」と、これに対して日常を表す「ケ」という概念があり、料理については、前者は「神様のためにつくる、手間を掛けて作る特別なお料理」であるのに対して、後者は「人間のための料理、すなわち手間を掛けない日常の“家庭料理”」である。

◆しかし、TVなどで紹介されるハレのお料理を、日本食だと思い込んで、ケの食卓に持ち込もうとして、毎日の献立に悩んでストレスを感じる人が多くなると共に、日本の家庭料理は失われつつある。

一汁一菜とは、ご飯を中心として汁(味噌汁)と菜(おかず)をそれぞれ一品ずつ組み合わせた家庭料理の型で、昔の庶民の暮らしではおかずがつかないこともあり、この代わりに漬物が組み込まれているのが普通でした。
現代でも応用できる日本人に最適の食事で、味噌汁に沢山の具(時には魚や肉類なども…)を入れれば、そのままおかずを兼ねるものになります。
また、おかずが1つ付けば「一汁二菜」、2つ付けば「一汁三菜」と変化し、その場合は味噌汁の具を減らしてバランスを取ることになります。

◆また、この一汁一菜の源になる味噌や漬物は微生物によって作られる発酵食物で、日本の風土にあった民族の食文化である。
家庭料理は、何も特別に美味しいものではなく、最近の若い人が使う“普通に美味しい”という言葉が何となく相応しく感じられる。

◆一汁一菜とは単なる「和食のすすめ」ではなく、「システム」であり、「思想」であり、また「美学」でもあり、敢えて言えば「日本人としての生き方」そのものなのだ。

という考えを述べておられ、更に和食は五感で味わうものだとか、日本の美意識との関係など、和食の楽しさが色々と述べられており、日本食の基本は「一汁一菜」という家庭料理の伝統的な姿の中にあることを再確認して、和食を見直し、持続可能な料理に戻そうとされています。まさに“和食の初期化”ということを目指しておられるようです。


 まさに、目から鱗の一冊でしたが、“おふくろの味”を基本にして有名になった父親土井勝の血を引く著者の面目躍如という所でしょうか

 確かに、食品材料の生産技術、保存技術や輸送・流通手段の向上は、あらゆる食材が非常に容易に入手できるようになりましたが、これとともに食事の季節感がなくなったり、身近な食材に対する有難さなど、かっての人が持っていた食事に関する色々な思いをも喪失したのも事実でしょう。

 これと同じように、身の回りを見直すと、世の中色々と便利になり過ぎて、逆にこれに振り回されるような事象が多い事に改めて気付かされことが多いですね。
知らず知らずのうちに、まるでチャーリー・チャップリンの「モダンタイムズ」のような生活を送っているのかも知れません。(まさ)