四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

内田樹氏、新著「日本習合論」語る。異物認める優しい社会に・・・読んで私は今こそ「公助と共助」の社会に帰結しました。

2020-10-25 17:30:18 | 日記

●今日の埼玉新聞「読書」欄の新著の余禄に“異物認める優しい社会に”というタイトルで、内田樹さんの著書「日本習合論」(ミシマ社)について記載しています。内田さんは「神仏習合のような明治以前の宗教文化の豊かさも捨てずに生かさないともったいない。『廃品回収』のような感じです」と語っています。

●「今こそ日本人論を積極的に語るべき。日本にはほかの国をもって代えがたい世界史的使命があるのだというある種の”共同幻想”は必要です。そうした理想がないと国民は分断され、細分化し、まとまりがなくなってしまう。」と。新書「日本習合論」のキーワードはズバリ「習合」。「コーヒーと牛乳でコーヒー牛乳。カレーとそばでカレーそば。何でも混ぜっちゃう日本文化の一番いいところ。習合というのが日本文化の特徴です」と明快です。

●「習合」。はじめてお目にかかった言葉です。ブリタニカ国際大百科事典では「人類学用語文化接触によって生じる2つ以上の異質な文化的要素の混在共存のこと。 1935年頃から始った文化変容研究の開花期に登場した用語。習合において,もとの文化要素は再解釈,再構成され,新しい意味や機能が与えられる」と解説しています。

●この余禄の文章を読みながら何となく今の日本と自分が子どもの頃から成長期にの時代を重ねてみると、何となく漫然と違いが分かる。分岐点は、バブル崩壊後の政治の混迷の中で、新自由主義的経済政策の「小泉構造改革」からリーマンショックで、我が国の社会は「自己責任社会」となり、分断と格差貧困が定着し、何となくクリスタル(田中康夫)から何となく格差・貧困・孤独・孤立・あきらめが社会を覆うようになった気がしました。

●小泉改革から民主党政権の自己崩壊を受け、安倍内閣の復活後の7年8カ月、その継承の菅政権が掲げた「自助・共助・公助」、アメリカのトランプ大統領の自国(自分)主義が、国際社会の分断をあおっているように見えます。私のように北海で生まれ、青春期をそこで過ごし、就職後の東京、新家庭を持った北本市には、重層な地縁が薄く、まさに「習合」の理念が必要であるようにも思いました。自分は地方自治体の議員として、ある時は新自由主義的競争社会を羨望し、年齢を重ね家族との未来を想像すると、内田樹氏が語る、「習合の社会(異物を認める優しい社会)」と公助と共助に帰結しそうでありますが・・・。皆さんはどうお考えになりますか。

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ブログ1カ月ぶりに更新。ぼちぼちと・・・郷里の横綱千代の富士の優勝額展示会(両国駅で)に行きました

2020-10-24 20:08:45 | 日記

●9月議会が終って、9/22にブログを更新して以来約1ヵ月休んでいました。特に体調や気力に問題があったわけではありませんが、何となくおっくうでした。10月も後半です。今年も残すところ2カ月です。どうやら今年は、コロナで始まり、コロナが解決されないままの年越しになりそうです。欧米では毎日数十万人が新規陽性者となっているようです。日本は500人前後です。何がそうなっているかはわかりませんが、マスクの着装、手消毒・手洗、人との接触への配慮など、一人ひとりの努力がそうさせていると見ています。明日は我が身という意識をもって、気を付け一日一日過ごしています。ぼちぼち、見たこと、気の付いたこと、考えたことを書き込みます。よろしかったら、読んでください。

●9月21日、両国駅のホーム(現在使っていない)で、横綱千代の富士の「優勝額」のレプリカの展示会がありました。千代の富士は私と同じ郷里(北海道福島町)です。古い友人から誘われ、行ってきました。最初の写真(優勝額)は初優勝の時のものです。ちゃっかりと、写真に納まってきました。壁にかかっていた写真ですが、千代の富士のしこの美しさが一杯です。よろしかったらご覧ください。

最後の優勝額と思います。

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