四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

富士山の写真、スマホから一眼レフに・・・。能登地方の災害、子どもの集団避難に思い起こされた「戦争時の集団疎開」平穏が一番です。

2024-01-18 09:47:36 | 日記

●おはようございます。ここ数日せわしない日が続き、ブログの投稿ができませんでした。この間毎朝ラジオ対ソとウォーキングはできていましたので、年齢相応に暮らしています。昨日今日と朝の富士山の写真です。知人から、大好きな富士山をもう少しきれいに撮ってよと言われ、これまでスマホで撮影していましたが、5年ぶりぐらいで、「キャノン一眼レフEOS」を取り出し、撮影しました。久しぶりでカメラの調整不足もあり、「きれい」と行きませんが、昨日の朝と今朝の2枚を掲載しました。

(昨日の朝の富士山)

(今日の朝の富士山。雲がのっかています)

●能登半島地震の被害の状況は、まさに「大災害」そのものです。すなわち「幸」か「不幸」かの現実を目の当たりにし、復旧復興に向けての「危機管理」が行政だけでなく、一人ひとりにあることを改めて認識しています。子どもの集団避難を見ていると、先の戦争での子どもの集団疎開を思い起こしました。私はそういう世代です。インフラの復旧は、阪神淡路・3.11・熊本地震、その後の暴風雨と何度も何度も同じ経験をしながら、私を含め直接的に被害を受けない人は「傍観者」でいたのではと反省しています。

●しかし、社会の構造の複雑化とともに、インフラの在り方も高度化していますが、能登地方のインフラの耐震化がどこまでできていたのか。報道を見る限り、古い家屋や町並みがある意味地域資源にいたようですが、それが被害を大きくし復旧を困難にしている印象もあります。地震国日本のインフラの在り方、復旧に向けたスケージュール観の見直し、特にその影響が大きい「原発」については、抜本的に見直すことが必要と考えさせられています。何より一日も早い、平穏が戻ることを祈っています。

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