四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

終戦(敗戦)記念日。80年前の開戦をスクープした新聞記者のドキュメンタリー「開戦と新聞」を買う。思想家内田樹氏のツイッターが深い

2021-08-15 19:42:55 | 日記

●今日はお盆の中日ですが、同時に先の大戦(第二次世界大戦)が終戦(降伏・敗戦)した日です。昭和20年(1945年)8月15日から76年になります。私は3歳でした。父親は兵隊にとられなかったので、戦後は比較的恵まれた家庭環境でした。しかし、食糧事情は悪く、「白いまんま喰いたい」と親を困らせたようです。小学校へ上がったのが、昭和23年、記憶ですがランドセルは厚紙で作られていた。雨が降ると、洋服をかぶせて走って帰ったのを覚えています。先の大戦のように、侵略する戦争は二度としてはいけません。自国の防衛力・自衛力を備えることは重要ですが、より重要なのは外交力です。それはまさに政治の責任です。国際社会が複雑に入り組む中で、自国の安全をどのように構築するか、コロナ禍への対応、環境への対応と共に武力衝突を回避する政治の責任をしっかり目詰めていきたいものです。

●今朝の毎日新聞の出版広告に「開戦と新聞」という書籍が載っていました。興味があったので、さっそく書店で購入してきました。まだ、序文と目次だけですが、一人(後藤基治)の新聞記者(毎日新聞)が、真珠湾攻撃の前日に「日米開戦」のスクープをしたことを手記にまとめたものです。1941年12月8日NHKラジオから流れた「大本営陸海軍部発表」臨時ニュース。その日の朝刊に開戦を知らせる見出しがあった。本書は海軍を中心に取材した終戦までのドキュメントであります。読み終わったら改めて報告します。

●私の名前は“日出夫”ですが、名付けたのは祖父です。祖父は生前「日出夫は5月27日に生まれた。この日は海軍記念日。朝に生まれたのと海軍記念日を合わせて“軍艦旗(旭日:日の出の旗)”から名付けた」とよく言われました。軍国時代の名残ですかね。それにしては「勇ましさ」がありません。軟弱型軍国幼児です。日の出の勢いもないし、祖父の期待には全く応えていません。子どもの頃は、樺太などから引き揚げてきた子供がたくさんいました。決して生活は豊かではなかったと記憶しています。それでも子供同士は何くわぬように毎日毎日チャンバラごっこと三角ベースで遊んでいました。あの頃の子どもたち今どうしているかなー…と今日はブログを書きながら特に思い出しています。

●昨日FBに投稿しましたが内田氏のツイッターへの投稿は「身震い」するほどの衝撃でした。われわれ日本人は過去にこういう体験をさせられています。敗戦直前には、日本軍は軍人の命や民間人を起きさりにした事例はたくさんあります。コロナ禍の今は“戦時中”と言った政治家がいましたが、すなわち「政治は国民の命を保証しない」ということでしょうか。内田氏のツイッターそう思わせる内容でした。ぜひクリックして読んでください。

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