ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

別の人間になり切って考える」という方法。

2016年07月16日 | Weblog
別の人間になり切って考える」という方法。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

ここではアイデアに行き詰ったときには、「自分」という枠を飛び出すというのも一つの方法だとアドバイスしていた。ほかの誰かになり切ることができるようになるには、何度も練習してみるといいのかもしれない。

ここには、例として「まったく新しいショウユを作る」というお題があったら、もし、アップルのスティーブ・ジョブズだったら、とかなり極端なくらいの他人になり切るとあった。

さらに人だけではなく、スターバックスだったら、TSUTAYAだったらというのもありだった。それなら、ソニー、トヨタ、ソフトバンク、歴史上の人物、アーティスト、デザイナ・・・といろいろと考えられる。

そう考えるとむしろ面白くなってきそうだ。自分とはまったく別の目線、思考回路で考えるというようなことは普段していないことだ。きっと今まで想像もしなかったアイデアが浮かんでくるかもしれない。

三段構えの論法をとにかく速く書く。

2016年07月15日 | Weblog
三段構えの論法をとにかく速く書く。

「人を動かす文章術」齋藤孝著より。

ゴールとなる結論の文章を決め、スタートとなるタイトルを決めたら、次の段取りは通過点を3つほど決めることだった。それはネタ出しの段階で選んだワードから3つ選べばよかった。

1が「これで」と説明されると最初は「えー!」という反応があるものがいいらしい。その次に「へぇ」というものがきて、最後の結論で「ほう」となって説得力がでてくればいいのだった。

筆者は結論を決めて、文章の構造を考える方法を、日本語における「解体新書的」ショックとも表現している。また、ここで面白い引用があった。それは、杉田玄白が「解体新書」を著す以前には、日本人は人体解剖を行っていなかったということだった。

ところが、イタリアのレオナルド・ダ・ビンチはそれよりはるか前に、隠れて遺体をいくつも解剖していたそうだ。だからこそ、名画「モナリザ」を描くことができたのだ。解剖経験が豊富だったから、人体の構造も筋肉のつき方も内蔵の正確な位置も知っていたからこそ、モナリザはふくよかで写実的だったのだ。

さて、明快でスピード感のある文章は、スタートとゴールを定め、通過点の駅をトントントンと3つ決めるだけで良いという。これも実に明快な説明になっていた。

道徳的な結論というのは、あまりにも「凡庸すぎる」。

2016年07月14日 | Weblog
道徳的な結論というのは、あまりにも「凡庸すぎる」。

「人を動かす文章術」齋藤孝著より。

結論で、もし「これからは人に迷惑をかけないように生きていこうと思いました」というようなものになったら、最悪だという。凡庸すぎるからだ。

文章の結論には、もっと発見が必要だったのだ。自分の認識や発見をもっと込めるべきだった。凡庸さを打ち破るには、コツがあった。それは、「チームワーク」という手垢にまみれた概念を別の言葉に置き換えるのだった。これには、当然頭をつかうことになる。

やはりせっかく書いたものが、当たり前の結論や言葉でしめくくられてしまうと、せっかく読んできたのにがっかりするものだ。これは小説でも同じことで、当たり前の誰にでも思いつく程度の話なら読む価値もないだろう。

また、タイトルも読者の心をつかむためには、大事なことだった。それによって読もうという気持ちもまったく違ってくるからだった。ここでは、渋沢栄一の「論語と算盤」を例にだしていた。これなども興味を引くからだ。

道徳的な結論というのは、あまりにも「凡庸すぎる」。

2016年07月14日 | Weblog
道徳的な結論というのは、あまりにも「凡庸すぎる」。

「人を動かす文章術」齋藤孝著より。

結論で、もし「これからは人に迷惑をかけないように生きていこうと思いました」というようなものになったら、最悪だという。凡庸すぎるからだ。

文章の結論には、もっと発見が必要だったのだ。自分の認識や発見をもっと込めるべきだった。凡庸さを打ち破るには、コツがあった。それは、「チームワーク」という手垢にまみれた概念を別の言葉に置き換えるのだった。これには、当然頭をつかうことになる。

やはりせっかく書いたものが、当たり前の結論や言葉でしめくくられてしまうと、せっかく読んできたのにがっかりするものだ。これは小説でも同じことで、当たり前の誰にでも思いつく程度の話なら読む価値もないだろう。

また、タイトルも読者の心をつかむためには、大事なことだった。それによって読もうという気持ちもまったく違ってくるからだった。ここでは、渋沢栄一の「論語と算盤」を例にだしていた。これなども興味を引くからだ。

段取り力」とは頭の中を整理すること。

2016年07月13日 | Weblog
段取り力」とは頭の中を整理すること。

「人を動かす文章術」齋藤孝著より。

最初に必要なのは、書くための「ネタ出し」だった。とにかく、思いつくワードを紙に書き出すことだった。その中で最重要と思われるワードを二重丸や三重丸で囲っておくといいらしい。

その後いくつかのグループに分けるのだ。ここには、エッセイを書く場合の段取りについて、簡単に述べられていた。

1、 ネタ出し。そのためには人との会話などもいいようだ。

2、 グループ分け。ネタを3つくらいのグループに分ける。

3、 ゴールを決める。最後の文章を考える。

4、 タイトルを決める。「つかみ」が大切。

5、 通過地点を設定する。(1がこれで「えー!」2がこれで「へぇ」結局3になる「ほう」の3つを考える)

それか書く作業に入るということだった。やはり、こんな段取りを経れば書きやすいのだろう。参考にしたいものだ。

発想というのは、根性ではでてこないもの。

2016年07月12日 | Weblog
発想というのは、根性ではでてこないもの。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

いくらいいアイデアを出そうと思っても、その時は簡単には出てこないものだ。むしろ、ふと力が抜けたときの方が、名案が浮かぶことが多い。

言葉でも、そうだ。タイムリーなフレーズなどは、人と楽しい会話をしていると出てくることが多い。

アイデアは楽しんでいないと思い浮かばない。また、思いついたアイデアを形にすることは、自分が進んでやっている限りは、楽しいことだ。

仕事でも、いろいろと創意工夫をして、それなりの結果がでると、やりがいを感じるものだ。それが、人からの命令なら面白くもないものだな。

新聞は出合いの宝庫。

2016年07月11日 | Weblog
新聞は出合いの宝庫。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

毎日くる新聞に目を通すことは大変な作業でもある。あわただしいとついつい忘れてしまう。たまに、数ページに目を通すと、けっこう有益な情報にぶつかる。

ネットやテレビとは違った、知識や人の意見も知ることができる。そこからアイデアに結び付くこともある。そこには、「自分で探し当てた感」があるのだった。

ただただ、その情報との出合いを楽しむことが大事だったのだ。何かのためにと思ったら楽しくはない。

かつて、新聞は1か月も溜めたものだったが、今では毎月2,3回はゴミとして出してしまう。あとで、切り抜いておけば良かったと思うこともある。できるだけ、いい情報、知識との出合いを大切にしたいものだ。

自分のスイッチを見つける。

2016年07月10日 | Weblog
自分のスイッチを見つける。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

このスイッチとは、やる気が出るというスイッチだった。ここでは、自分自身の起動スイッチという言い方をしている。

筆者は、1年365日、毎朝、熱いシャワーの後に、必ず冷水を浴びることにしているそうだ。確かに目が覚めそうだ。これは確かに気合がなければ、できないことだろう。とくに真冬や体調がイマイチの時はきつそうだ。

どうすれば、自分のスイッチがオンになるかを知っていることは有益だと思われる。自分にあう毎日やることは、思いつかないが、その時どきではある。それは、家で机に向かうときに、周辺を掃除することだった。それで、少しはやる気もでるものだ。

自分のペースを守り通した人が最後に勝つ。

2016年07月09日 | Weblog
自分のペースを守り通した人が最後に勝つ。

『「欲しい」と言われる男になるMUST50』中谷彰宏著より。

ライバルと戦っている時点で、もう勝てないという。それは自分のペースを乱しているからだった。戦うのは、自分の迷い、不安、恐怖だったのだ。

それに勝つということは、自分のペースが守られているということにもつながる。だから、自分のペースを守るためには、相手と戦ってはいけないのだった。

勝っても評価されないことは、たくさんあるのだった。それなら価値のある負けでよかったのだ。結果は長い目でみなければ、わからないことが多いものだ。

とりあえず、周囲に嫌われない程度のマイペースを保って、仕事も出来ればいいのだろうな!(^^)!


コミュニケーションはすべてキャッチボール。

2016年07月08日 | Weblog
コミュニケーションはすべてキャッチボール。

『「欲しい」と言われる男になるMUST50』中谷彰宏著より。

つまりキャッチボールのできない人は、仕事も恋愛もできないということだった。実際のボールがなくても、架空のキャッチボールができることがポイントのようだ。

新卒の面接で見られているのは、才能があるかどうかより、むしろ面接というキャッチボルができるかどうかを見られているのだった。さすが「面接の達人」の著者が指摘するところはわかりやすい。

そして、大事なことは知らない人とどれだけキャッチボールができるかが問われていたのだ。友だち同士ならお気楽なことも、知らない人ならそうそう簡単ではない。ボールがどこに投げられるか察することができないからだ。

ここには、「人間関係のやりとりは、見えないボールのキャッチボール」だとあった。まさにそうだと思った次第。結局そのキャッチボールを楽しめた人が勝ちだろう。

コミュニケーションは、何もない時にするもの。

2016年07月07日 | Weblog
コミュニケーションは、何もない時にするもの。

『「欲しい」と言われる男になるMUST50』中谷彰宏著より。

何かある時にやるのは、要件や用事だったのだ。結局普段からどんな付き合い方をしているかが問われているということだろう。

上司とのコミュニケーションのコツは、なんでもない時に話せることだった。ということは、自分が何か話せる話題を持っていることが必要だということだろう。

もし共通の趣味や関心があれば話もしやすいものだ。モテる人は、用のない時にコミュニケーションをとっているようだ。セールスも同じで、必要な時だけアプローチしてもダメで、普段からコツコツ何らかの連絡をとっておくことが大事だった。

ここでの結論は、「何もない時にこそ、コミュニケーションしておこう」、となっていた。念頭に置きたいことだ。

すべての仕事はサービス。

2016年07月06日 | Weblog
すべての仕事はサービス。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

筆者が考える仕事の原点は、人をどう喜ばせるか、感動させるか、ハッピーにするかだという。これも実にシンプルでわかりやすい。

仕事は相手を幸せにするためのサービスだという考え方だった。たしかに、自分がやったことで相手が満足してくれたら、こちらも嬉しいものだ。

相手の希望通する商品を選定して、提案しそれで満足してもらえれば、それなりにやりがいも感じられる。単に仕事だからやるというのとは異なる感覚だ。

もし、仕事に自分なりのセンスを加えることができれば、満足度もより大きいに違いない。そんな時はきっといい仕事をしている時だろう。

自分にしかできないこと。

2016年07月05日 | Weblog
自分にしかできないこと。

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

筆者は、今の仕事を「誰かの真似をしない」と考えながらやっているそうだ。そして、自分にしかできないことを考えるという。

自分がどう、この仕事で役立てるかを考えるのだ。それは確かにやりがいがあるだろう。自分が得意じゃないと思ったものは手を出さないようにしているらしい。

それも一つの方法だろう。得意じゃないことで悩むのは無意味だと考えている。実にあっさりとした、またシンプルな考えだ。

実際それで通ればいいのだが、それは能力のある人に限られるだろう。また、得意なことは誰もが容易にできないことともいえるだろう。

そんな特技をもっていれば、自信をもって仕事をすることができる。誰にもマネができないことを複数身につけることで、自信を持って仕事ができるものだ。

していい苦労 しなくていい苦労。

2016年07月04日 | Weblog
していい苦労 しなくていい苦労

「明日は心でできている」小山薫堂著より。

この本のサブタイトルには、「前向きアイデア革命」とあった。なにか面白いヒントがあるかもしれないと思いながら読んでみた。

苦労には二種類あるという。それはしていいポジティブな苦労と、しなくてもいいネガティブな苦労だという。

前者には、小説を書くときのような、産みの苦しみで、後者は作品や形にならない誰も喜ばないようなことを考えているときらしい。

その苦しみが後にプラスになると思えれば、ガマンしてもいいのだろう。ばかばかしいような苦労ならやめておいたほうがいいの賢明なようだ。

ヒマな時ほど、差がつく。

2016年07月03日 | Weblog
ヒマな時ほど、差がつく。

『「欲しい」と言われる男になるMUST50』中谷彰宏著より。

仕事には、忙しい時とヒマな時がある。また、段取りが悪いと、忙しくなってしまうことがある。だから、余裕がある人は、たとえ忙しくても、そうではないという。

ここにヒントがあった。それはヒマな時に何をしているかで差がつくということだった。ヒマな時にどれだけマメにやっているかがポイントだった。

ヒマな時に何をやるかをしっかりと考えてやっておくことが大事なのだった。ちょっとした意識で、その後の仕事の密度や内容も変わるのだろう。