ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

瞑想にはスポーツと同様、トレーニングが欠かせない。

2016年01月17日 | Weblog
瞑想にはスポーツと同様、トレーニングが欠かせない。

「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。

やはり瞑想を生活に取り入れるためには、トレーニングが必要だったのだ。その一つに、うまくいったときの心の状態を再現するというのもあった。

うまく瞑想状態に入っているときは、まわりの人が気にならないという。つまり、それをゾーンに入ってる状態というのだろう。それを繰り返すことで、「瞑想スイッチ」が確立するようだ。

それは別に特別な場所とは限らず、どこでもできるようだ。自由自在に瞑想スイッチをオンにできれば、心も疲れないで済むのかもしれない。

瞑想にはスポーツと同様、トレーニングが欠かせない。

2016年01月17日 | Weblog
瞑想にはスポーツと同様、トレーニングが欠かせない。

「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。

やはり瞑想を生活に取り入れるためには、トレーニングが必要だったのだ。その一つに、うまくいったときの心の状態を再現するというのもあった。

うまく瞑想状態に入っているときは、まわりの人が気にならないという。つまり、それをゾーンに入ってる状態というのだろう。それを繰り返すことで、「瞑想スイッチ」が確立するようだ。

それは別に特別な場所とは限らず、どこでもできるようだ。自由自在に瞑想スイッチをオンにできれば、心も疲れないで済むのかもしれない。

絵を描くためには瞑想という「心の質」が要求される。

2016年01月16日 | Weblog
絵を描くためには瞑想という「心の質」が要求される。

「すすっと瞑想スイッチ」齋藤孝著より。

ふだんほとんど瞑想という言葉は思い出すことはない。またそれはいったいどんなことかも考えたこともなかった。この本のサブタイトルには、“疲れにくい心をつくる”とあった。それができればもうけものだ。

筆者は、ピカソは瞑想の達人だったと述べている。長時間作業を続けても、まったく疲れを感じないように見える人がいるという。画家はその一例らしい。確かに何かに没頭していると時間がたつのも疲れも忘れてしまう。

藤田嗣治もその筆の運びは剣術の達人による剣の動きとよく似ているという。実に面白い表現だ。優れた画家にとっては、描くという行為そのものが瞑想になっているようだ。

こう見てくると、瞑想は意外に大事なことだとも気づかされる。絵を描くことだけではなく、日々の身近なことにも瞑想することを意識したいものだ。

表現したいことがあるから表現するのではない。表現するから、もっと表現したくなる。

2016年01月15日 | Weblog
表現したいことがあるから表現するのではない。表現するから、もっと表現したくなる。

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

書き手のプロがこういうのだから、まず間違いはない。また別の本でも同じような意味の言葉を読んだ覚えがある。これは考えが枯渇しない人の共通項らしい。

どんどん書けば書くほど、次のテーマが見つかってくるということだろう。ある作家も、1冊書くと、その後も数冊書けるともいう。やはり、書くことで頭に刺激が起こるからだろう。

つまり、頭の中だけで思って、書かなけば書くことも生まれないことになる。実際、パソコンで書くよりもペンを持って紙に書いた方が、連想が浮かびやすい。

書くほどに量は増えるが、同時にスピードも増してくるということだった。やはり乗ってくれば、スピードアップにつながる。ちょっとしたメモからのスタートでもいいのだ。

トレーニングは必要だが、実戦もトレーニングの一つである・・・

2016年01月14日 | Weblog
トレーニングは必要だが、実戦もトレーニングの一つである・・・

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

芸でも思考でも、だらだらと稽古を積むだけではスピードアップにはつながらないようだ。いくら練習名人、稽古場横綱と言われても、まったく意味がない。

大事なのは、いつ幕が上がってもいい、という覚悟でことに当たることだった。欧米人は議論に強いといわれるのは、小さいときからディベートの訓練をしているからでもあった。

だから表現力が豊かでスピーディでもあるらしい。人前で時間を限って自己表現するには、何よりもスピードが要求される。 

たとえば、5分間で考えて、回答したことがベストだということらしい。必ずしも時間をかけたからと言って、最高の答え提案が出るとは限らない。完全無欠な回答などないのだ。ならば、スピードと量でアピールすることも必要だろう。

相手が興味をそそられるような小道具をたっぷり用意しておこう。

2016年01月13日 | Weblog
相手が興味をそそられるような小道具をたっぷり用意しておこう。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

つまり、それを持つことで会話のキッカケがつかみやすいということらしい。しかも、自分が自主的に手に入れたものは、関心があるので人とも自信を持って語れることだ。

ここでの、タイトルは「相手から話しかけてくるように仕向けるには?」となっていた。自分から話題を提供できない場合はそれができれば、大いに役に立つ。

例えば実例として、団地に豆腐売りにやってくる人気のおじさんがいるという。彼は豆腐を売る前に、連れてきたかわいい子犬を車につなぐのだ。すると、近所の主婦たちが子犬につられてやってくる。

つまりワンクッションはさむことで、会話がスムーずに進むということだった。個人的なことだが、かつて個人のお得意様を相手の営業経験があるが、まさにそのワンクッションとして手作り粗品で興味を持ってもらおうと考えていた。

粗品と言ってもやはりオリジナルでなければ印象には残らないと考えたからだった。別に営業に限らず、人とのコミュニケーション同様なことだ。

写真というものは、私たちの心を動かすのに、とても役に立つ道具である。

2016年01月12日 | Weblog
写真というものは、私たちの心を動かすのに、とても役に立つ道具である。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

この数年FBをやっているが、メインは写真でそれに簡単なコメントを付けるだけでかなり多くの人ともコミュニケーションがとれるということが分かった。言葉よりも写真のほうが正確に多くを語ってくれる。

さて、ここでは自分が好きな写真を持っていることで、気持ちが変わるということについて述べられていた。好きなものが、身近にあれば自然と笑顔になれるものだ。花でも、人物でも風景でもよかったのだ。ある意味それはお守りでもあるという。

自分が元気になれる写真があるだろうか。また、何かの折にその写真を人に見せられれば、理解も容易だと思われる。百聞は一見に如かずというのと同じことだ。

いまふと、感動共有、感動創造という言葉が思い浮かんだ。これができるのが一枚の写真かもしれない。

お金を持っていると、心理的な余裕が生まれて、それが会話をスムーズにさせる。

2016年01月11日 | Weblog
お金を持っていると、心理的な余裕が生まれて、それが会話をスムーズにさせる。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

お金は少ししか持っていない時よりも、持っているほうが、気持ちがゆったりしてくる。そして、それは会話にも影響するようだ。

だから、人に会う時に緊張してしまうなら、財布にお金をたっぷり詰め込んでおくだけでも違うそうだ。今までそんなことはまったく思いつかなかった。

お金というのは「自己充足感を与える」と、ある学者は指摘しているそうだ。自己充足感とは、「自分は人とは違うんだ」という特別意識や「自分は何でも実行することができる」という自信を含んだ概念だった。

使わなくても、お守り代わりに、現金をたくさん持っているのがいいらしい。クレジットカードではだめだそうだ。心理的余裕はちょっとしたことで生まれるということがわかる。

試してみる価値がありそうだ。確かに現金をたっぷりもっていれば、いざという時にもいろいろなことに対処しやすいだろうな。

ワンダー(不思議な)のあふれるところにワンダフル(すばらしい)が生まれる。

2016年01月10日 | Weblog
ワンダー(不思議な)のあふれるところにワンダフル(すばらしい)が生まれる。

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

まるで、優れたコピーのようにも思えた次第。この前には、「驚きは哲学(=考えること)の母である」とも書かれていた。どちらも面白い!

ここでの、タイトルは「考えの飛躍、重複、矛盾、漏れ落ちを恐れるな」となっていた。つまりどんなことでも思い切って書くべきだということらしい。

あえて飛躍をするということも、高速思考には大事なことだった。独断的とも思えることもポンと言い放つことを意識的に行うこともありだったのだ。

むしろ役人の何人もの手を経て発表される文章には力が感じられないという。極端な意見こそ注目され、印象に残って面白い。

つねに「見た→考えた」「聞いた→考えた」のトレーニングを自分に課す・・・

2016年01月09日 | Weblog
つねに「見た→考えた」「聞いた→考えた」のトレーニングを自分に課す・・・

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

筆者の体験では、これを繰り返すことで、思考速度が数倍速になるという。そのためには頭を使うことだった。

たとえば、それは通勤時間でもできることだった。電車の中には中吊り広告があって、週刊誌などの見出しが目に入る。それを眺めて頭のなかでいろいろと思考するということだった。

そのテーマを見て、否応なしに30分で400字のエッセイを「頭の中に書く」ということだった。これを習慣づけるといいらしい。むしろ電車の中では居眠りが多いことに気づく。

できれば批判的な検討を加えるのがいいらしい。座っていると眠ってしまうから、今度満員電車でやってみるかな。

あくまでも、頭は回転速度の速い荒馬でなければならない。

2016年01月08日 | Weblog
あくまでも、頭は回転速度の速い荒馬でなければならない。

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

実に面白い表現だと思った次第。頭と荒馬がどういうことだろう。つまり荒馬のすごいところは、どんな障害物をも乗り越えようという闘争心だった。

自分で超えるべきハードルをうんと高く設定することだった。筆者はある編集者から「定年後1から始めて一流の学者になる方法」というテーマで書いてほしいという注文があったという。

これはかなり無謀な設定だと思われたそうだが、鷲田氏は困難だからこそ挑む価値があると思ったそうだ。そして、レジュメは半日かからずに出来上がったという。

つまり高速思考を御すには、困難なテーマを設定し、的確なレジュメをつくることができるかどうかにかかっていると指摘している。

レジュメは、テーマにあわせて、キーワード、キーフレーズを設定することだった。また展開に即してコンテンツ(目次)をつくるという。

本を買うことをケチる人に高速思考の「神様」はやってこない。

2016年01月07日 | Weblog
本を買うことをケチる人に高速思考の「神様」はやってこない。

「スピードシンキング」鷲田小彌太著より。

まず筆者は本を読むことをすすめている。人と会話や議論をする場合、耳学問や自分の体験だけでは不十分だった。読むときも自分の思考生理にあった人の本を読むといいようだ。

そして、ジャンルはなんでもいいので、いい本、いい著者に出合ったと思ったら、その著者のものを読みあさることも勧めていた。

司馬遼太郎の歴史小説は癖になるかもしれない。それは議論の宝庫にもなるらしい。また疑って読むことで、理解度は上がるともいう。

自分に合った本に出合うためにも、いい会話をするためにも読書は習慣づけたいものだ。

コミュニケーションというのは、お互いが楽しくなれる「ゲーム」である。

2016年01月06日 | Weblog
コミュニケーションというのは、お互いが楽しくなれる「ゲーム」である。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

言葉を交わしあうというのは、やはりリズムが大事なことだと思う。それは一方的に話すばかり、聞くばかりではバランスが悪すぎからだ。やはりキャッチボールもテンポよくできると気持ちがいいものだ。

会話もゲームと考えれば、それがおもしろければ長続きもするだろう。だから、あまり緊張してばかりいると自分の力を発揮できないまま終わってしまう。

大事なのは肩の力が抜けていること、リラクックスして会話自体を楽しめることだった。好きなゲームをして疲れないのと同じ状態であるべきだったのだ。楽しければ時間の経つのも忘れてしまう。

よく知らない相手を評価するとき、人は“3V理論”を基準とする・・・。

2016年01月05日 | Weblog
よく知らない相手を評価するとき、人は“3V理論”を基準とする・・・。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

初めて耳にする「3V」とはビジュアル、ボイス、バーバルのことだった。一番大切なのは、目から入ってくる情報、次に声、最後に言葉という順だとされている。

見た目、第一印象が大事なのだろう。そこで判断されてしまうから、恐ろしい。また声の質や大きさも判断の基準だとはよくわかる。またどんな言葉で話すかも大事なことだった。

相手の目に見える形、行動で示すことは口先だけで話すよりも大切なことだった。理屈よりも行動ということになる。

いくら会話が上手くても、気配りがないとそれは人には通じないということも確かだ。気を付ける必要がありそうだな。

どうせ暗示をかけるのなら、とびっきりよい暗示を自分にかけてあげよう。

2016年01月04日 | Weblog
どうせ暗示をかけるのなら、とびっきりよい暗示を自分にかけてあげよう。

「武器になる会話術」内藤誼人著より。

それはそうしたいものだな、と思った次第。もともとこんな本を手に取ったのは、会話が上手くなりたいと思ったからだ。そして、そんな暗示をかけられたらもうけものだ。

自分を変えられると期待するからこそ、暗示はあるのだろう。なるべくマイナスの暗示は持たない方がいいのだ。できる、という暗示こそがプラスの暗示といえる。

文章力もいい暗示がスタートであれば、スムースに進むと思われる。また、どんなこともいいように解釈していれば、継続も可能だと思った次第。このブログも10年以上も継続できたのは、フレーズに関心があったからだ。

自分には良いレッテルだけをたくさん貼って、大いに己惚れるというのも、ものごとを進める上ではいいのかもしれない。