ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

最高のお客であれば、最高のサービスを受けられる。

2013年10月16日 | Weblog
最高のお客であれば、最高のサービスを受けられる。

「大人の作法」山本益博著より。

筆者のポリシーとしては、ものをおいしく食べるには、「食べる技術」が必要だということがあるようだ。それは単にテーブルマナーや料理ごとの食べ方だけではなかった。

料理人やお店のスタッフに対する礼儀、同行者への気配り、素材に対する理解、自分自身の体調の管理などかなり幅広いものが含まれていた。

しばしば、お客はお金を払っているから偉い、などと勘違いしてしまうと指摘していた。サービスを提供する側も、受ける側も五分五分の関係であるべきだったのだ。

気持ちがいいお客には、きっといいサービスをしようと思うのが普通だと思える。挨拶を考えても、知らない人でも笑顔で挨拶をされれば、気持ちがいいものだ。できれば、率先して挨拶ができればいいのだろうが。


上達だけが習い事の価値ではない。

2013年10月15日 | Weblog
上達だけが習い事の価値ではない。

「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

次のような武田双雲氏の言葉を引用していた。「書道というのはうまくなろうというだけでは、どうしてもつまらなくなってしまう」と。さらに「うまい下手を気にせず、大胆に文字をデザインするつもりで書いてみてください」とアドバイスするそうだ。

単にうまいかどうかより、もっと面白さを実感することのほうが大事だといっている。第二の人生では、頭がいいとか悪いとか、仕事ができるかどうか、などはあまり重視する必要がないというのもいい。

クオリティよりもむしろ、楽しめるかどうかを念頭に置けばいいようだ。楽しみながら長く続けられるものを見つけられれば、得をした人生ともいえそうだ。

ここで、作家の林望氏のことについても触れられていた。健康のためには運動をしたほうがいいが、わざわざジムにいくのはもったいないので、夫婦で毎日45分ほどの散歩をしているという。実に無理がなくて継続できそうな健康法でありそうだ。


若いうちに武器としてのスピードを身につけることができるかできないか・・・

2013年10月14日 | Weblog
若いうちに武器としてのスピードを身につけることができるかできないか・・・

「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

このあとには、次のように続いていた。「・・・その人の生涯に使える時間が大きく変わる」と。“武器としてのスピード”という表現も面白い。つまりスピードがあるということは武器にもなるということだった。

仕事が速ければ、長い人生のかなでも、自分の時間をコントロールできるという。スタジオジブリの宮崎駿さんは、実にクオリティの高い仕事をしているが、それそ支えているのは若い頃に身につけたスピードと技術だった。

一般的なアニメーターが一日に五枚から十枚しか描かなかったのに対して、宮崎氏は五十枚とか百枚という単位で描いていいたという。手塚治虫もものすごく仕事が早いことで有名だったらしい。

ある年齢になって、すごく仕事ができる人は、例外なく仕事のスピードが速くて、それは若いときに身につけたものだったらしい。つまりスピードがあれば量がこなせる。結果的に経験値が高くなるので、質も高くなるという理屈だった。素直に納得できそうだ。


忙しいと思わせることは「暇」を生み出すことにつながる。

2013年10月13日 | Weblog
忙しいと思わせることは「暇」を生み出すことにつながる。
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

これは筆者自身の経験からいえることのようだ。いつも多忙だと思われているおかげで、毎日意外なほど「暇な時間」(=自由になる時間)を持てているという。

これはちょっと驚きだった。しかし、それだけ効率よく仕事ができているという証拠でもあるかもしれないな。外の人が見ている忙しさと、実際の忙しさは必ずしも一致しないようだ。

ふだんからの時間の節約を心がけることも大事だと指摘している。当たり前のことだが、だらだらと過ごせば、どんどん時間は浪費されてしまう。てきぱきと動くことで、余裕の時間も作れるのは確かだ。

具体的には、集中力を3倍にすれば、3時間かかる仕事も1時間で仕上げられる可能性もある。そうなれば、あとの2時間は自由に使えることになる。そんな時間こそクリエイティブに使いたいものだな。


楽しいことをすることで、スピードは速くなる。

2013年10月12日 | Weblog
楽しいことをすることで、スピードは速くなる。

「直感人VS.計算人」中谷彰宏著より。

直感を磨き、なおかつ速くするためには次の2つの方法があるという。「1、制限時間(締め切り)を短くする。2、楽しいことをやる。」だった。

まあ、楽しければ時間は短く感じられるものだ。熱中して気がつけば数時間があっという間に過ぎていることも珍しくない。

たとえ楽しくない仕事でも、楽しいことを考えながらやれば、仕事も速くなるという。楽しくない仕事をいやいややるのは実に辛いものだ。

目の前にことが楽しいかより、その先のストーリーをどれだけ楽しめるか、また考えられるで、仕事も楽しめるようだ。まあ、仕事も楽しんでこそ成果は期待できると考えたいもの。































企画より、試作品をつくろう。

2013年10月11日 | Weblog
企画より、試作品をつくろう。

「直感人VS.計算人」中谷彰宏著より。

ここでのタイトルは“計算人は、企画書を書く。直感人は、試作品をつくる。”となっていた。計算人は、企画書のような書類を作るのが上手らしい。

しかし、それらは面白味に欠けていて、不合格でない代わりに、合格でもないようだ。一方、直感人は、面倒なのでA4一枚以上の企画書は書かないで、試作品をつくってしまうという。

もし作家になりたい直感人なら、企画書を書く前に、原稿ができ上がっているようだ。モノづくりは、すべて試作品の連続だった。

確かに頭で、また理屈で考えているうちは、まったく前には進んでいかない。むしろ、ちょっとでもおもしろいと思ったものは、どんどん作って形にしてしまったほうが早いものだ。私自身は今までこんな方法でやってきたようにも思える。


「一期一会の楽しさ」を共有していくことで、料理はどんどんおいしくなるもの。

2013年10月10日 | Weblog
「一期一会の楽しさ」を共有していくことで、料理はどんどんおいしくなるもの。

「大人の作法」山本益博著より。

いくら味がよくても、それを楽しめなければつまらないものだ。同じ料理を食べて、そこで会話を交わすことは料理を楽しむことにつながるのだった。

話題を共有することがポイントになる。ただ単に食べるだけではその時間ももったいないだろう。できるだけ一緒の料理を食べることで話も盛り上がるようだ。

料理は仲間と分かち合ってこそおしくなる、ということはしば忘れがちなことだ。酒を飲むときとはまた違ったコミュニケーションができる。酒が入ると、あとで何を話題にしたか忘れてしまうものだ。

ここには、“料理を分かち合う、時間を分かち合い、話題を分かち合う”、とあった。じつにシンプルでいい言葉だと思った次第。


「本当においしいものを食べたけりゃ、そのお店の常連にならなきゃだめ

2013年10月09日 | Weblog
「本当においしいものを食べたけりゃ、そのお店の常連にならなきゃだめ」
「大人の作法」山本益博著より。

これは山本さんがある老舗寿司店の親方(山本さんにとっての師匠)から口ぐせのように言われていたことだった。

まずは気に入ったお店を見つける、そしてそこに通って常連になることが大事だった。その方が、うまいものを探してうろうろしている人より、よっぽどおいしいものが食べられるようだ。

作る側も、常連ともなれば無意識のうちに気持ちが入ってしまうものらしい。ポイントは純粋に気持ちを入れてもらえるからだったのだ。

これは一般のお店を考えた場合も当てはまりそうだ。顔なじみになれば、今何が旬の商品かなども教えてもらえるだろうし、またお買い得情報も得られるものだ。

お店にとって、特別な客や楽しみな客になるということも大事だと気づかせられる。そのためにはある程度の印象づけも必要かもしれないな。


「日々の発見に歓喜せよ」

2013年10月08日 | Weblog
「日々の発見に歓喜せよ」

「大人の作法」山本益博著より。

これは山本さんにとっての師であった、松永伍一さんが彼に書いてくれた“生き抜くための戒めに”という七カ条のなかの一つだった。

その七カ条は次のよなものだった。一、自己に厳しく鞭うて。一、時間を浪費するな。一、不必要な交友を避けよ。一、自分より秀れたものを目標にせよ。一、酒・女・賭け事を遠ざけよ。一、自己の可能性を信ぜよ。一、日々の発見に歓喜せよ。

やはり私もこの中で最も気になったのは、最後のものだった。山本さんもそれに惹かれたという。要するに、特別な日、出来事に感動するのは当たり前のことだが、そうではなく、日々の暮らしの中に感動を見つけなささいということだった。

些細な出来事に潜む喜びを発見できる自分であることが大事だったのだ。私もこれを念頭に置いて過ごしていきたいと思った次第だ。


ただ「おいしいものを食べる」だけなら、お金さえ払えばだれにでもできる。

2013年10月07日 | Weblog
ただ「おいしいものを食べる」だけなら、お金さえ払えばだれにでもできる。

「大人の作法」山本益博著より。

筆者は料理評論家だけあって、“男の品性は「食」に表れる”と指摘していた。私にとって、実にこれは厳しいポイントでもあった。

とても品がある食べ方をしてこなかったからだ。大人の男が、「言葉」と「立ち居振る舞い」を最も試される場所は、食事の場面だと語っている。またまた、う~む、とうなってしまう。

最低限のテーブルマナーのほかに、場にふさわしい話題の選び方、会話力、同伴者への気配りなど、人間性が問われるようだ。ますます厳しい。

出されたものを「おいしく食べる」には、お金以外の感性、見識、経験が必要だと指摘する。お金があっても、おいしく食べられるとは限らないというのも理解できる。


「感動する脳」というのは鍛えれば鍛えるほどグレード・アップしていく。

2013年10月06日 | Weblog
「感動する脳」というのは鍛えれば鍛えるほどグレード・アップしていく。
「感動する脳」茂木健一郎著より。

このグレード・アップには限界というものがないらしい。お腹の場合は、たくさん食べれば一杯になってしまって、目の前にいくら美味しそうなものがあっても、食べられない。

しかし、脳はいくらでも入れることができると言うから驚きだった。つまり感動はどれだけあっても感動できるということらしい。これはありがたい。

美しいものに触れたり、新しい経験や発見で感動することがいいようだ。そんな積み重ねが人生を豊かにするというのも頷ける。できるだけ多くの感動を味わっていきたいものだと思った次第。

しかも、感動というものは、心の空白の部分にすっと入り込んでくるものらしい。つまりそれは、気持ちの余裕ということだった。仕事のことばかりで頭がいっぱいの時は、どんなに美しいものを見ても感動はできないということになるか・・・


1人の「親友」に会うためには、10人の「新友」と出会え。

2013年10月05日 | Weblog
1人の「親友」に会うためには、10人の「新友」と出会え。

「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

とくに歳をとるにしたがって、新しい友だちをつくるのは億劫になってしまう。やはりそれなりの努力も必要だと思える。何らかのきっかけをつかまなければ、それは難しい。

いくらアドレス帳に数十人の名前が載っていても、本当の友と呼べるのはごくわずかだ。本当に気の合う友だちはせいぜい10人のうち1人ぐらいだろう。

となると、一人の親友に出会うためには10人の「新友」が必要になってくる。旧友もいいものだが、同時に新友を求める努力もしなければいけないのだろう。

たとえば、フェイスブックなどのSNSなども、使いようによっては重要なコミュニケーションツールだというが、確かにそれは実感している。

ネットでもリアルでも、基本は人間性が大事だということらしい。フェイスブックでは今の友だち関係では、みな感じがいい人の集まりのような気もしている。それは人生も楽しめるということにつながりそうだ。


歩かないということは非常に危険なことなのだ、と気づいた・・・

2013年10月04日 | Weblog
歩かないということは非常に危険なことなのだ、と気づいた・・・

「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

これは筆者の体験からの言葉だった。45歳のときに働き過ぎが原因で病気をしてしまったからだった。もし、その時死んでしまったら、すべてが終わってしまったと感じたらしい。

その後時間の使い方がかわったという。あまりの忙しさで、歩いていける距離でもタクシーに乗ってしまっていたそうだ。分刻みのスケジュールをこなすためには、効率的なのだろう。

しかし、体にはよくなかったと振り返っている。歩かなかった期間が1,2年にも及ぶと病気にもなりやすいらしい。それまで健康で病気などしたことはなかったようだ。

その後は歩ける距離はできるだけ歩くようにしているようだ。以前はムダだと思っていた時間が「養生の時間」になっているという。そして、坂道があれば「長生き坂」と名づけて悦んで歩いているというのも面白い。

さらに、嫌でも毎日歩かなければならない距離があることは、「長生き」に通じて幸せなことだと考えていた。私も最近朝だけバス通勤をやめて、最寄り駅までは歩くようにしている。慣れれば楽しいものだ。


時間を管理することで、自分の人生をデザインする・・・

2013年10月03日 | Weblog
時間を管理することで、自分の人生をデザインする・・・
「最強の人生時間術」齋藤孝著より。

まさに、これがこの本のテーマではないだろうかと思った次第。人生はいつ終わるかわからないが、その曖昧な時間をどう管理するかで人生の質も変わってくるのだろう。

今何に時間を投資したらいいのかは、常に考えておく必要がありそうだ。筆者は「効率的時間術」と「ゆったり時間術」の両方を身につけることがポイントだと指摘している。

齋藤氏は独自に人生を4つの時期に分けて考えていた。「新・四住期」だった。1、狩猟期(30~45歳)、2、ダブルスタンダード期(45~60歳)、3、円熟期(60~75歳)、4、ゼロ出力期(75歳~)。

実にわかりやすい区切り方で納得できる。それぞれの時期の過ごし方については本文にあったが、より豊かな人生を送るためにも、こんな分け方を意識することは損ではないだろうな。


「思わぬ幸運に偶然出会う能力」

2013年10月02日 | Weblog
「思わぬ幸運に偶然出会う能力」

「感動する脳」茂木健一郎著より。

なんとも、すごい能力に思える。それは「セレンディピティ」と呼ばれるものを日本語に訳したものだった。どこかで聞いたことがあるが、すっかり忘れていた言葉だ。

脳がネガティブな状態に入り込んでいる時、誰もが自分の力で何とかしようと考える。そして、一人で悩んで閉じこもりがちになってしまうこともある。

ところが、問題解決の方法は、案外自分以外のところにあったりするものらしい。自分一人では解決できない問題も、外に解決法を求めることで、簡単に片がついてしまうこともある。

そして、そんな「セレンディピティ」をつかむためには、外に出ることが大切だという。とりあえずは外に飛び出してみることがポイントだった。まあ、何事も行動を起こさない限り前には進まないことはわかる。