ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

好奇心が弱ると、情報が集まってこない。

2011年10月16日 | Weblog
『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

まずは何ごとも関心が少なければ、それだけ入ってくる情報も限られてしまうということだろう。たとえば、歴史上のある出来事について知っていれば、もしテレビ番組でそのことについて触れていた場合すぐに理解できるはずだ。

またさらに、その番組からも新しい情報や考え方を得ることができるに違いない。つまりいくつかのキーワードを知ってるだけでも理解度や楽しさは増してくるものだ。

読書や映画でも、知っていることが多いほどより楽しめる。また好奇心の強い友だちからの刺激も大事にするといいと筆者は語っていた。

好奇心を保つためにはメモ帳を持ち歩くのもいいようだ。たしかに頭の中だけに覚えておこうと思っても、忘れてしまうことのほうが多い。最近はたまにケータイのカメラで撮ることはあるが、あまり活用できていないな・・・


この仕事は面白いから引き受けたのだという感覚・・・

2011年10月15日 | Weblog

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

まず、この章のタイトルは『ビジネスの場で生き残る「仕事力」をつける』となっていた。その一つの考え方として“ギャランティの安い仕事こそ喜んでやれ”という。

こういう意味のことを語っていたのは、なんと孔子だったのだ。つまり仕事をするときは、報酬は後回しにして、とにかく全力で取り組めという意味のようだ。

時にはタダ働きを上手にやれということで、安く仕事をすれば、仕事もどんどん入ってきて、経験を積むことができる。見返りを度外視して、仕事に集中することが大事だったのだ。

そうしているうちに、割りのいい仕事にもつながっていくものだということだった。しかしこれは単に報酬ということではなく、営業なら売上げということでも同じかもしれない。

金額が少なくても、しっかりした仕事をこなしていけば、その結果信頼され、大きな売上げにもつながることはあるだろう。その仕事が嫌でない限り、どんどん引き受けるほうがいいようだ。

さらにここには「縁の流れ」という表現もあった。面白い例として、サツマイモを掘り起こす時、一つの大きさにこだわるより、「縁という地下茎」ごと引きぬくと、次々とつながってイモが掘り出されるという。

つまり仕事が仕事をつれてくるという感じのようだ。仕事の幅を広げるには、やはりこんな考え方も必要なようだな。もし自分流に仕事ができれば楽しいに違いないのだが。


楽をする工夫をしろ、それが社会を繁栄に導くのだ。

2011年10月14日 | Weblog

『人生を変える万有「引用」力』齋藤孝著より。

まず、この本のタイトルがちょっと笑えたので手に取ってみた。あのニュートンの万有引力と引用を引っかけてシャレになっているところが面白い。筆者もそれを狙ったのだろう。

さて、タイトルに挙げたフレーズだが、こう語っていたのはあの松下幸之助だった。とにかく、工夫して楽をする姿勢は非常に大事だと齋藤氏も共感していた。

というのも、齋藤氏は昔から勉強する際にどうやったら楽ができるかばかりを考えていたと振り返る。自身人一倍要領はいいという。会議も通常1時間以上かかるものが、氏が仕切ると30分もかからないらしい。

仕事の要領も良くて、早くよく出来ると仕事のオファーもたくさん受けられることになる。これは実に気分がいいことだろう。松下幸之助は、作業時間は短いほどよいと考えていたのだ。

ていねいでも遅かったら意味がないようだ。念入りにしかも早くできれば名人芸だということになる。それはどれだけしっかりと工夫ができたかの結果でもあるのだろう。


何かにこだわらなければ、ソフトを生み出すことはできない。

2011年10月13日 | Weblog
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

(前日のつづき)
この章のタイトルは「笑いがあるから生きていける」となっていた。横沢さんは仕事として現場の笑いにこだわってきた人だった。だから管理職は向かなかったようだ。それが大きなこだわりだったのだろう。

しばしば「こだわる」というと、ネガティブな印象がある。「そんなことにこだわっていたら前には進まない」、などともいう。しかし、ソフトの時代なら、その意味合いも異なってくるようだ。

他人から見れば、実につまらないと思えるようなことに、引っかかってじたばたしているところから、個性が生まれるものだと、横沢さんは長年の経験から語っている。

ふつう会社ならキャリアを積めば積むほど現場から離れざるを得なくなっていく。横沢さんもその例外ではなく、現場のお笑いにこだわりたいために、外の世界に飛び出していたのだ。

やはり世間体を気にしているうちは、まだこだわりが足りないのかもしれない。やりたい仕事を思い切ってやるためには、どれだけこだわれるかも重要なようだ。それも個性だろうか・・・


自分自身が印象的な「ソフト」にならないと友だちはできない。

2011年10月12日 | Weblog

「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

やや似たような言葉は数日前にも取り上げていた。それは「他人が友だちになりたいと思ってくれるような人間になる」で、これは東八郎さんの人生訓だった。

ここでは印象的な「ソフト」と表現が異なっている。ソフトの時代に適応するためにも、ソフトをつくる前に、自分自身をソフト化しなければならないという。

つまりそれは友だちとして、価値がある人間というような意味だろう。友だちどうしで刺激を与えあって、その相乗効果で成長していくのがベストのようだ。

単に名刺を交換したり肩書だけでビジネスをしているだけでは、自分を印象付けることはできないものだ。自分は人と違う何ができるのだろうかと、ふと考えてしまった・・・。

ここでのテーマは“ネットワーク社会のキーワードは「友だち」”となっていた。やはり友だちは大切な情報源でもあるということだろう。


自分という雑誌を自ら編集長となってまとめていく・・・

2011年10月11日 | Weblog
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

実に面白い表現に出くわした。自分を雑誌にたとえていたからだ。雑誌は単行本と違ってさまざまなな情報(作家などプロの読み物、写真、一般読者の投稿、クイズ、プレゼント、広告など)が編集されて一冊になっている。

その一冊の企画を立てるのは編集長だろう。ここでは筆者は、自分の生き方や考え方を磨く作業というのは、テレビ番組や新商品の「企画」をつくるのと同じだと考えていた。

企画はつねに新しい発想、情報が大事だということになる。それらを得るためにも、友だちは幅広く持っていることが必要なようだ。ある意味清濁あわせ呑むような気持ちがないといけないそうだ。

意外な相手から意外な発想のヒントを得ることもあるという。たとえば毒舌はふつう嫌われるが、それが売りで個性を発揮しているタレントもいる。それは存在感があるという意味で価値があるのだろう。

時にはトゲや毒が新しい魅力の原点になるということもあるようだ。はじめにもどって、自分を一冊の雑誌と考えるなら、多くの人と交流を持って刺激を受けることは人生を有意義に過ごすこととも思えてくる。


自分を「ブランド化」する道は地道な努力の積み重ねしかない。

2011年10月10日 | Weblog
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

横沢さんのもう一人の芸人の友だちは、市村正親さんだった。知り合ったのは、舞台の仕事を通じてだったが、お互いに演出の方法をめぐってぶつかり合うことが多かったという。

横沢さんは仕事が終わるとその俳優との縁も切れるようだ。ところが横沢さんに対して、もう舞台をやらないのならこれからもつきあいましょうと市村さんは言っていた。

仕事の接点がなくなったからこそ、友だち関係が成立したということのようだ。市村さんは、有名になりたいから役者になったわけではなく、生の舞台に立って演じたいという思いで舞台を続けているようだ。

市村さんのように、地味な日々の努力を積み重ねていける人だけが、結果的に自分自身をブランド化できるのだと、横沢さんは断言していた。そして、ブランドと認められるのは、独自性を持った「本物」だけだった。

「他人が“友達になりたい”と思ってくれるような人間になる」

2011年10月09日 | Weblog
「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

これはコメディアンの故・東八郎さんの人生訓だった。横沢さんはタレントとはプライベートな交際をしない主義だったが、例外はあった。その一人が東さんだったのだ。

それはお互いにお笑いに対するこだわりを共有でき波長もぴったりだったからだという。笑いについては何時間でも語り合うことができたと述懐している。

双方にとって、「笑い」は単なるビジネスの道具ではなかった。自分の生き方そのものを左右する宝物とさえ思っていたようだ。そこまで考えられるのはすごいとも思える。

素顔の東さんはまったくタレントっぽくなかったという。芸人をしながら平凡になるのは難しいらしい。横沢さんは、東さんが平凡に徹したところにこそ、非凡さがあると感じていたのだ。

さて、タイトルのフレーズだが、実にすばらしい人生訓だと思える。そうなるためには、いったいどうしたらいいのだろうか、とふと考えてしまった。そこには何らかのアクションが必要に違いないが。


モノではなく、縁を提供している。

2011年10月08日 | Weblog
「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

営業というと単にモノを売ればいいのだと思いがちだが、その前にある程度の人間関係もなければいけないものだ。

商品を先に売ろうとすれば、人間関係はできない。むしろ人間関係ができていればこそモノは売れていくものと考えるべきだった。

どうしたら、縁につながる人間関係ができるかは考えなければいけない。よく“縁もゆかりも~”というような言葉があるが、どちらも縁という一文字で一緒だった。

ここには商品を売るための「商談ではなく、縁談をしている」とあったが、これはシンプルで、かつわかりやすい言葉だと思えた次第。


「安心」ではお客様にリピーターになってもらえない。

2011年10月07日 | Weblog

「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

つまりあの人に頼んでおけば間違いないけどね、というレベルではお客様を満足させることはできないという意味だった。サービス目標の一番下が「安心」で、その上が「満足」だったのだ。

つまり満足のレベルを目標にしていたのでは、お客様を満足させることはできないということだった。ということは顧客満足が目標ではもの足りないということになる。

むしろ営業マンとして狙うべきは「感動」だったのだ。感動を目指して初めて「満足」レベルに達することができるようだ。もし、「感動」レベルまでいければ超一流と言えそうだ。

今は顧客満足の時代から、顧客感動の時代に入ったという。どれだけ喜んでもらえるか、を常に考える必要があるのだろう。かなりレベルが高そうだが。


真四角の土地を持っている人はほとんどいない。

2011年10月06日 | Weblog

「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

しばしば、ちょっと広い土地が分譲されている横を通り過ぎることがあるが、真四角やきれいな長方形に区切られているところは意外に少ない。あってもその土地の値段は高く設定されている。

むしろ、三角形や変形した台形のような土地になっている土地のほうが圧倒的に多い。以前駐車場で、それ以外には使いようがないだろうと思われていた細長い土地にいきなり工事が始まって、アパートかと思っていたら一戸建てができてしまったので驚いたことがある。

またかなり変則的な狭い土地でも、家が建てられて、住んでいる。それは、創意工夫をした結果ということになる。どういう風にすれば住めるかを提案できたからこそ建てられたのだろう。

営業にはもともと理想的な前提などありえない。それをどういう風にしたら、快適に感じられるかを提案できたものだけが勝ちにつながる。それでこそスピード営業なのだろうな。

土地や家屋に限らず財産をたっぷり持っているような人に、どうしたら有効活用できるかアドバイスできる人が、いい営業マンなのだろう。楽しい、新しい暮らしを提案できるかどうか、そこがポイントにも思えてくる。


人が満足したり、うれしいと感じるのは、自分の想像を超えた時。

2011年10月05日 | Weblog

「うまくいくスピード営業術」中谷彰宏著より。

まず、この章のタイトルは「お客様をつくるのではなく、楽しんでファンをつくる」だった。またここでの小タイトルでは“営業というのは、売ることではなく、考えることだ”ともなっていた。

しばしば、お客様のニーズにこたえる、という言葉を聞くが、それだけではお客様は満足するわけではなかった。それをしているうちにお客様に振り回される結果にもなってしまう。

もしそのニーズが値段なら、どれだけ値下げしても満足感は得られないということになる。安くなったとしても、ほかではもっと安くなったかもしれないという気持ちが起こりそうだ。

むしろ売ることよりもどんなサービスができるだろうかと考えるべきだったのだ。こんな接客、サービスならきっと喜んでもらえるだろうと頭を使うことだった。

商品、プラスワンとして、お客様が知らない知識、情報を差し上げることもサービスではないだろうか。新しい使用方法、カタログにないアイデアの提案などもいいだろう。知らなかったことを、初めて知った時は得した気分ににもなるし。


そもそも友だちというのは、仕事を通してではなく、遊びの場でつきあうもの・・・

2011年10月04日 | Weblog


「大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

友だち関係のなかで仕事の話ばかり出てきてしまうと面白くもないだろう。むしろ仕事とは全く別の話題で盛り上がりたいと思うたまたま、昨夜は仲のいい友人(同期)と飲んで気分転換!

30年前に地元のスイミングスクールで知り合った仲間とは、今でも不定期に飲み会をしている。そんな仲間とは年齢も仕事も全く異なるからこそより楽しめる。そういえば今週末に集まり(飲み会)のメールが入った。楽しみだ。

共通の話題がないことで、話がかえって面白く興味深く感じられる。また当然ながら金銭もまったく絡まないからお気楽だ。利害関係がないことが友だち関係を円滑にしていくポイントにも思える。

横沢さんはプロデューサーだったが、タレントと友だちになるとクールに仕事ができないと感じていた。基本は友だちは、仕事もお金も関係なしということだった。それがベストだろうな。

友だちは「つくる」ものではなく、「できる」ものだった。

2011年10月03日 | Weblog

大人のための友だちのつくり方」横沢彪著より。

ここでポイントとなるのは「だった」という部分だ。つまりわざわざ友だちをつくろうと意識しなくても、学校や職場にいれば、自然と気の合った友だちはできたからだった。

ところが、大人になって、歳をとるにしたがって、わざわざ友だちをつくろうという意識もなく億劫になってしまう。気がついてみれば、職場では同期の仲間でも仲のいい友人は数人しかいない。

またそれ以外で人と知り合うチャンスも少なくなっていた。仕事上での付き合いはあっても、友だちと呼べるような人はいないものだ。

仕事関係では先輩、後輩はいても友だちと呼べるような人はいなかったことにも気づく。やはり上下関係があると友だちにはなりにくいもの。

筆者は「人生を豊かなものにするためには、いくつになっても、友だちは増やし続けるべきだと」述べていたが、まさにその通りだろう。いい友だちは新鮮な情報源かもしれない。


練習せずに試合だけ出場している選手はいない。

2011年10月02日 | Weblog

「プレジデント」2011.9.2号より。

もしビジネスパーソンなら、この練習は勉強ということになるらしい。ここには「仕事体力」というような表現があった。プロとして仕事をするなら、やはり体調の管理も必要だ。

常にベストコンディションで試合に臨むスポーツ選手のように、会社員も常に新しい知識を身につけておく必要もありそうだ。つまりそれが勉強ということになるのだろう。

運動の習慣も、時間があったらやろうでは、いつまでたっても始められない。やはり定期的に運動をする習慣を身につけておくべきなのだろう。

運動は健康増進やダイエットのためにやろう、というよりむしろ、頭をすっきりさせて、快適な一日を送るためだと思えば苦にならないともいうが、どうだろう。