ちょっとマンネリですが・・・

ダラダラ過ごしている毎日のことあれこれ・・・・

日本は「自然音痴」になってしまった。

2008年02月14日 | Weblog
「朝日新聞」2008.2.10付より。

“朝日求人”の「仕事力」というコーナーで作家のC・Wニコルさんが「意識の中にも自然を取り戻せ」と題して語っているなかで気になったもの。ただし上記のフレーズはかつて、ほぼ30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが述べた言葉だった。

ニコルさんはこの言葉を耳にした時に、作家としてまた何か書かなくてはならないという思いを強くしたと語る。彼はもともと自然や環境に対して実に強い関心を寄せている。そして、日本の土を踏んだのは22歳の時で45年前のことだった。その時の日本の自然の美しさは衝撃的だったと述懐している。

ところが、その後かなりの勢いで森や川が破壊されてきたことを嘆いている。それは私たち日本人も同じ思いなはずだろう。便利さや快適さを手に入れる代わりにいろいろと失ってきた自然環境も多い。

私の今住む家は20年目になる。引っ越してきた当時は周辺に空き地や林がかなりあったが今はほとんど家で埋め尽くされてしまった。実に周辺の環境の変化は大きい。子供のころ田んぼや川や林で遊んだことは記憶の中にしか残っていない。

タイトルのフレーズ戻りますが、長年の間自然のなかで暮さざるを得なかった小野田さんにとっては、どんどんと失われていく日本の自然を見て「自然音痴」と思えたのでしょうね。たまに地元のサイクリングロード沿いの川を眺めることがあります。そこでたくさんの大きなコイやカルガモの姿をみるとほっとします。きれいな川には命を感じますね。

クリエイティブって、一定のストレスがないと成り立たないものだと思う。

2008年02月13日 | Weblog
「ハンズスタイル」2008.2月より。

これも前日と同じ森山直太朗さんの言葉だった。曲を作ることはまさにクリエイティブな仕事だ。しかし、彼にとってはその際ある程度のストレスがある方がいいようだ。

ここでいうストレスとはプレッシャーのようなものかと、思っていたがそうではないらしい。意外にもそれは「部屋の散らかり具合」だった。きっちりと整理整頓された部屋のなかで作るよりも、むしろ程よい散らかりがあったほうが曲を作るモチベーションになるという。

例えば「天井のシミを見ながら自分の心とリンクするというような」と述べている。こんなことに気づくこと自体ミュージシャンらしい。私の部屋などいつもかなり乱雑に本や雑誌、紙類などが置かれている。パソコンを載せてある机の上も雑多なものが積み重ねられている。

でもそんな部屋にも慣れっこになっているから、別にストレスも感じないのだろう。こんな感性じゃ、とれもクリエイティブなことなどできないか・・・

光合成をすると柔らかい発想になっていく。

2008年02月12日 | Weblog
「ハンズスタイル」2008.2月号より。

植物のことではなく、人のことだった。この前には次の言葉があった。「夜型の生活になると性格もギスギスしてくるし、~」インタビュー記事の中で森山」直太朗さんが語っていたこの部分のフレーズがちょっと気になった。

この記事が掲載されていたのは東急ハンズが発行しているフリーペーパーだった。30ページだったが、ハンズが取扱う商品の写真や説明とともに軽い読み物となっていた。ほとんど知らない商品が多いことにも気づき、同時に商品知識も少しは増えそうな気もする。

直太朗さんはミュージシャンという仕事をしているせいか、表現もユニークで面白い。人間に対して“光合成すると柔らかい発想になる”などはなかなか思いつかない。これは日が昇ったら起きるという生活が基本で、夜中に作る曲よりもむしろ昼間に作る曲のほうが柔軟な考えができるということらしい。

このことは何となくわかる。休日の朝、目覚めたときとりあえず何もすることがなくベッドのなかでボーっとしていることがある。そしてそんな時の方が、いろいろ新しい発想が浮かんできたりする。朝から空模様がどんよりしている時より明るい朝日を感じた時のほうが一日も気分よくスタートできますしね。

一日働いて夜になってからの疲れた頭じゃもう何も考えたくもなくなってしまう。とは言っても、なかなか朝からボケーっとできる」時間は少ないですがね・・・

相手との心の距離をちょっとだけ縮める“追伸”メール・・・

2008年02月11日 | Weblog
「R25」2008.2.7号より。

ここではビジネスで使っているメールについて述べられていた。要するにほとんどが用件のみの事務的な内容になっているはずだという。そこで、もし気の利いた追伸が書ければ、送信相手に好印象を与えられると提案している。で、ここに例があったのでそのいくつかを羅列してみよう。

1、同僚からの追伸・・・「キツかったら手伝うので、いつでも言ってね。」
2、部下からの追伸・・・「いつも迷惑かけてばかりで、すいません。」
3、上司からの追伸・・・「今日、誕生日だったよね?おめでとう。」
4、後輩からの追伸・・・「風邪ひかないでくださいね。」

また、追伸にも書くコツというものがあったのだ。それもピックアップしておこう。「素直な心を伝える。細やかな心遣いを見せる。その人に興味、関心を持つ。」この3つで十分だという。言われてみれば、な~んだと思うことばかりだった。またこんなことを意識しながら、ビジネスで社外の人へ書く場合、次のようなものが参考になりそうだった。

1、いつも電話に出る○○さんは対応がしっかりしていますね。
2、こんな時間まで、おたがい大変ですね。お体にご自愛ください。
3、この前、会話に出ていた本、読みました!

いくらビジネスとはいっても業務連絡ばかりじゃ味気ない。たまには気の利いたひと言を追伸で言えると、いいんだがな~
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追伸 いつもこの「ちょっと気になるフレーズ」を読んでくださる皆様に幸運が訪れますように!

「できる大人」は極端な修飾語をあまり使わない・・・

2008年02月10日 | Weblog
「できる大人はこう考える」高瀬淳一著より。

つまり「できる大人」は尺度を頭に思い描いているはずだという。0パーセントとか100パーセントを示す言葉は軽い気持ちで使うべきではないようです。その代りに「わりと」「かなり」「そうとう」「けっこう」などを使うことで、自分の思い込みを極端な言葉で語る愚かさを軽減できるという。

「たぶん」「おそらく」「だいたい」などの言葉を入れて推量のニュアンスを加えるのもいいようだ。ややずるいようだが、「これまでは」「いまのところは」といった断定しない言葉を使えるのが「できる大人」らしい。

ということは、「できない大人」ほど「絶対」とか「100%」や「必ず」を使いたがるようだ。たしかに「このなかでは」「比較的」「どちらかといえば」を使うと子供っぽくは見えないものでもあるな。

しかし極端な修飾語は意図的に使うのはいいようだ。相手の気持ちを高めるために「最高ですねぇ」などとおだてるときには効果的でしょうね。あえて極端な言い方で仲間の活力が高まれば、それはそれでグー・・・かも。

おおげさに言えば「大福の構造改革」・・・

2008年02月09日 | Weblog
「できる大人はこう考える」高瀬淳一著より。

「大福」とはあの和菓子のことだから「構造改革」とくっつくことで実に面白い表現になってくる。とは言ってもここでは言葉の面白さがメインではない。大福自体のことだった。大福といえば、ふつう餅とあんからできている。そこにイチゴを加えたらイチゴ大福ができる。またアイスクリームを入れたら雪見大福になる。

このようにちょっとしたアイデアでまったく別の味わいの商品ができあがってくる。はじめにこのようなアイデアを考えて作った人はすごい。要するにアイデアはふつうの「ものの見方」をずらすことから生まれることが多い。大福はこういうものだ、という定義にこだわらずに、構造を変えてみたからできたのだろう。

私たちが毎日のように手にしている携帯電話もパソコンも実に使ってない機能の方が多い。むしろ“ケータイ”とふつうに呼ばれるようになってからは、電話で話す機能よりもむしろ、メール、ネット、ゲーム、またはテレビなどで使う方が多くなっていることにも気付きます。もうとっくに電話という定義を超えていましたね。

また今使っているパソコンも私はむしろ「文房具」として使っていることが多い。文字を書き、図や写真、イラストを描いたり。また手紙(メール)を書き、日記を書き、ハガキを印刷し、便せんやカード類なども印刷して作ったりしている。

新たな発想のためには、意外にいまある定義を見直すことだったかもしれませんね・・・

けっこういい加減で楽なエクササイズでも。

2008年02月08日 | Weblog
一旦パソコンのスイッチをいれるとだらだらと時間を過ごしてしまうので、そのスイッチを入れる前に少しだけ体を動かすことにしている。そう思い立ったのは先月26日だった。(この日記で触れたのは1月29日だったが)

そして、30分は無理としても15分程度なら意外に続いているのだ。3日坊主はもうとっくに過ぎている。(自慢できるほどではないが)やっているのはダンベルの上げ下げ、スクワット、軽いストレッチ、ラジオ体操などを適当に組み合わせているだけ。

なかでも子供のころに覚えたラジオ体操は今でもすっかり体が覚えているので自然と体が動く。しかも自然と体のあらゆる部分を無理なく動かすことになるのでよさそうだ。また自分のペースで動けるのもいい。

はじめは15分でも長いと思っていたが、いろいろと組み合わせていると意外にも時間は早く過ぎることに気づいた。15分も体を動かせばうっすらと汗ばんでくる。今はいいが暑い季節にはできるかどうか。

けっこういい加減で朝か夜にやるだけの軽いエクササイズだが、まったく自己満足に過ぎない。はじめは週に3回以上と思っていたが、いい加減だから続いているのかも。でも何もやらないよりはましかな・・・(今日で14日目)

内定者に入社案内をつくらせる。

2008年02月07日 | Weblog
「プレジデント」2008.2.4号より。

実に意表を突くアイデアでもあるな、と思った次第。これを行っていたのはあの有名なリクルートだった。リクルートへの就職内定者には自社の企業紹介を書かせるという。

ふつう就職活動中はその会社の入社案内などを情報源として就職先を選ぶもの。ところが内定した段階で逆の立場に立たせるということになる。まず企業について再度調べなければならない。

内定した学生を7、8人のグループに分け、事前に社内の人間を自由に取材させてから「リクルートの入社案内」を4日間の合宿でつくらせるというプログラムだった。しかも、取材成果を、文章や写真・図表などで形にしてコンペ形式で優勝チームを決めるという。

このメリットは学生に自主的に会社について学ばせることができる点だろう。しかもグループ活動を通じて連帯感も得られる。結果的に相互の発表を通じて会社のことがより理解できるのだろう。

教えられるのか学ぶのかによって理解の深さと早さが違ってくるということだった。それにしても会社としては頭のいいことを考えたものだな。(あれこれ説明したり教えなくてもいいし。まあそれで十分というわけではないでしょうが。)

「小さな幸せ」って、冷蔵庫の中身みたいなもの・・・

2008年02月06日 | Weblog
「プレジデント」2008.2.4号より。

さすが、秋元康は何気ない表現をつかってうまいことをいうものだと思った次第。要するに、冷蔵庫を開ければたいてい残りものがある。それを眺めて「これじゃスキヤキはできない」などというように作れない料理ばかり考える人は幸せにはなれないという。

むしろ、これだけあれば「野菜炒めができる」と思えた人のほうが幸せを感じられるようだ。また周囲と比較してばかりいるといつまでたっても満足感は得られそうもない。足りないものを次々と探しているうちは幸せは逆に遠ざかってしまいそうな気もする。

秋元氏は「遠くにある幸せを探すより、身近な幸せをどれだけ見つけられるかが重要だ」ともいう。意外に自分の周りにも転がっている幸せに気づいてないのかもしれないな。

たとえば、昼間目いっぱい仕事して、いい汗かいた後で飲むビールは格別ウマイ!一瞬の幸せを実感できるひと時でもあるな。逆にだらだらと過ごしたあとで飲むアルコールはそれほど味わえない・・・かも。

メイクをしない男性にとって、歯はとてつもなく大きな意味を持ちます。

2008年02月05日 | Weblog
「ゴールデンミニッツ」2008.1月号より。

このコラムのタイトルには「男だって歯は命」とあった。たまたまいま歯医者にかかっているので気になった次第。歯医者に行くのは歯が痛くなったときの方が多い。そして歯医者に行けばまた痛いという印象がある。

ここでは近代的な設備をそなえかつ腕のいい歯医者さんが紹介されていた。治療は全然痛くなく、むしろ心地いいとあった。この信じられない治療をするのは「日本の名医」歯科部門で必ず名前が挙がる近藤隆一先生だった。

虫歯を黒、健全は部分を白として、その中間の完全に虫歯ではないが虫歯菌に侵されている部分をグレーとする。従来の治療ならダウトなグレー部分も根こそぎ削って再発を防いでいた。ところが、オゾンで虫歯菌を殺菌すれば、グレーの部分は削らなくて済むらしい。

歯の治療もどんどん進んでいるんですね。でも、こんな歯医者さんが身近にはないのが残念・・・。今は自宅からはやや距離があるが、やはり行きつけの信頼できる歯医者さんに通ってしまいますね。

今日はその歯医者さんで麻酔を打ってから奥歯の歯石をガリガリと取ってもらいました。実にアゴが疲れるもの。それにしても奥歯までしっかり磨くのはなかなか難しい・・・

僕はいつでも、いつまでもINGでいたい。現在進行形でね。

2008年02月04日 | Weblog
「ゴールデンミニッツ」2008.1月号より。

このあとには次のようにつづいていた。「ROLLING,DOING,CHANGINGとかのING。そこで大事なのは愛。愛(I)がないと、NGしか残らないじゃない。・・・」実にキザでカッコイイフレーズに思える。

こう語っているのは写真家の操上和美(くりがみかずみ)さんだった。この部分を読んでいてこの写真家は言葉の芸術家またはコピーライターのようでもあると思った次第。

1936年生まれの操上さんはこの1月で72歳になっていた。その世界では一流の人だった。実に若々しい感性の持ち主なのだろう。

毎月のように地下鉄の駅で手にするフリーペーパーのうちで、この「ゴールデンミニッツ」が一番紙質もよく、高級感があった。ところがこの号で最後だという。ちょっと残念。

ということで、この最後の号ではいままでロングインタビューの表紙を飾っていた有名人の数人のモノクロ写真が特集として再度掲載されていた。すべて操上さんにより撮影されたものだった。

俳優やミュージシャンの素の表情には迫力がある。内面の性格や生き様まで写し取っているかのようでもある。写真家の力でもあるあろう。

やはり写真家らしく「撮ることにより、何かを知る、何かが見えるようになる。」という言葉も印象的だった・・・な。

発明は必要の母?

2008年02月03日 | Weblog
「道具にヒミツあり」小関智弘著より。

ふつうはその逆の「必要は発明の母」というのが一般的だ。しかし、ものづくりの現場では必ずしもそうではないようだ。たとえば、iPodは手軽に音楽を聴きたいという要望があって、それに応じて開発されたのではなかった。

iPodが開発されたので、多くの人がそれに飛びついたという形でもあった。任天堂のWiiにしても、いろいろな機能があるから人はそれを楽しもうとしている。商品開発が先で(そんなに便利で楽しいならと気がついて)人は後から欲しい(必要だ)と気がついたのかもしれない。

ある工場では直径0.01ミリのドリルを作っていた。しかもそれで実際に金属に穴をあけられるのだ。こんなふうに小さな工場の人たちの中には、考えようによっては用途不明な道具をむしろ積極的に作っている人がいるようだ。

自分たちはこれだけのものをつくれますから、これを使った新しい用途を考えてみてください、と言っているのだ。日本の技術力の大きさでもありそうだ。必要に迫られて考えだされるものより、むしろ夢がありそうな気もするが。

そういえば、インターネットがあったから、またブログがあったから自己表現のための日記やコミュニケーションでもやってみようかな、と考えたりするのもちょっと似ていそうだが。

「丈夫で長持ち」・・・そのありがたみに気づくことは稀である。

2008年02月02日 | Weblog
「道具にヒミツあり」小関智弘著より。

これだけなら、かつてヒットしたCM「亭主元気で留守がいい」というフレーズを連想してしまう。きっとうちでも言われていることだろう。(それはお互いさまかもしれないが。)

ところで、これはなんとファスナーのことだった。この部品のようなものも道具というジャンルに入るらしい。チャックともジッパーとも呼ばれている。あまりに日常化したものだからこそ、そのありがたみを忘れてしまっている。

全世界のファスナー生産量の50%を占める代表的メーカーといえばYKKだ。実にすごいシェアーでもある。町工場から出発した工場だったが、YKKグループとして世界70か国に120社、従業員4万1千名を超える会社に成長していた。

またファスナーの強度も強くいろいろな所にも使われていたのだ。サーファーや漁業用のウェットスーツ、人工芝をつなぐ、サーカスなどのイベント会場になるエアーテントなど。

1969年7月20日、アポロ11号が人類史上はじめて、月面に着陸したときの宇宙服の気密ファスナーもYKKがつくっていたとある。また変わったところでは青函トンネルでも、絶対に水の漏れないファスナーが使われているという。

日常では財布やバッグ、ズボンなどで何気なく毎日のように使っている。ズボンのファスナーテストには1万回の開閉を繰り返すという。実に便利でありがたいもの。そういえば、チャックというのは日本の巾着(袋)をもじった造語だとか。

単純な構造なものほど精密につくらないと機能しない。

2008年02月01日 | Weblog
「道具にヒミツあり」小関智弘著より。

まずは、ひみつが漢字の秘密でなくて片仮名のヒミツとなっているのもちょっと気になるところ。ヒミツと書けば意外性やことばの広がりもでてくる。

もし、小説のなかの会話文などでも、問いかけに対して答えるとき「それはヒ・ミ・ツ・・・」などと書かれていたらどうだろう。漢字の秘密よりやや明るささえ感じられてもきそうだ。

身近なボールペンのことを書こうと思っていたのだが、つまらない前置きになってしまった。ボールペンの構造はシンプルなもの。基本は直径2ミリくらいのパイプ状のホルダーとその先頭に入れるボールとインクの入ったタンクの3つの部分の組み合わせでできている。

ふだん何気なく使ってはいるが、これも組立の精度が「超」のつくほど精密でなければスムーズには書けない。字を書くときのボールペンの回転速度は時速200キロで走る車のタイヤの回転に等しいというから驚きだ。ボールペンの球の直径は1ミリあるかないかの大きさでしかも、完璧な球でなけばならない。

だからこそ、単純な構造のものほど精密につくらないと機能しないということになるのかな~。身近には知ってるつもりで意外に知らないことや気がつかないものが多い・・・な。