「朝日新聞」2008.2.10付より。
“朝日求人”の「仕事力」というコーナーで作家のC・Wニコルさんが「意識の中にも自然を取り戻せ」と題して語っているなかで気になったもの。ただし上記のフレーズはかつて、ほぼ30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが述べた言葉だった。
ニコルさんはこの言葉を耳にした時に、作家としてまた何か書かなくてはならないという思いを強くしたと語る。彼はもともと自然や環境に対して実に強い関心を寄せている。そして、日本の土を踏んだのは22歳の時で45年前のことだった。その時の日本の自然の美しさは衝撃的だったと述懐している。
ところが、その後かなりの勢いで森や川が破壊されてきたことを嘆いている。それは私たち日本人も同じ思いなはずだろう。便利さや快適さを手に入れる代わりにいろいろと失ってきた自然環境も多い。
私の今住む家は20年目になる。引っ越してきた当時は周辺に空き地や林がかなりあったが今はほとんど家で埋め尽くされてしまった。実に周辺の環境の変化は大きい。子供のころ田んぼや川や林で遊んだことは記憶の中にしか残っていない。
タイトルのフレーズ戻りますが、長年の間自然のなかで暮さざるを得なかった小野田さんにとっては、どんどんと失われていく日本の自然を見て「自然音痴」と思えたのでしょうね。たまに地元のサイクリングロード沿いの川を眺めることがあります。そこでたくさんの大きなコイやカルガモの姿をみるとほっとします。きれいな川には命を感じますね。
“朝日求人”の「仕事力」というコーナーで作家のC・Wニコルさんが「意識の中にも自然を取り戻せ」と題して語っているなかで気になったもの。ただし上記のフレーズはかつて、ほぼ30年ぶりにフィリピンのルバング島から帰還した小野田寛郎さんが述べた言葉だった。
ニコルさんはこの言葉を耳にした時に、作家としてまた何か書かなくてはならないという思いを強くしたと語る。彼はもともと自然や環境に対して実に強い関心を寄せている。そして、日本の土を踏んだのは22歳の時で45年前のことだった。その時の日本の自然の美しさは衝撃的だったと述懐している。
ところが、その後かなりの勢いで森や川が破壊されてきたことを嘆いている。それは私たち日本人も同じ思いなはずだろう。便利さや快適さを手に入れる代わりにいろいろと失ってきた自然環境も多い。
私の今住む家は20年目になる。引っ越してきた当時は周辺に空き地や林がかなりあったが今はほとんど家で埋め尽くされてしまった。実に周辺の環境の変化は大きい。子供のころ田んぼや川や林で遊んだことは記憶の中にしか残っていない。
タイトルのフレーズ戻りますが、長年の間自然のなかで暮さざるを得なかった小野田さんにとっては、どんどんと失われていく日本の自然を見て「自然音痴」と思えたのでしょうね。たまに地元のサイクリングロード沿いの川を眺めることがあります。そこでたくさんの大きなコイやカルガモの姿をみるとほっとします。きれいな川には命を感じますね。
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