ちょっとマンネリですが・・・

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ミスター「天声人語」といえば、・・・

2009年03月09日 | Weblog
「考える人」坪内祐三著より。

もしプロ野球ファンなら、“ミスター”といえばそのあとに何もついていなくても、それだけでミスタージャイアンツ=長嶋茂雄であることは承知しているだろう。

しかし、ミスター「天声人語」といってすぐに思い浮かぶ人はわからなかった。筆者によれば、昭和30年代までは荒垣秀雄で、二代目ミスター「天声人語」は深代惇郎だった。これは常識らしい。

もともと「天声人語」にはほとんど関心がなかったし、以前はあまり朝日新聞も読んでいなかった。最近はどうか知らないが、私が受験生のころは大学入試にはこの「天声人語」からの出題が多いと言われていた。

ここでは深代淳郎をとりあげていたが、彼が名物コラム「天声人語」を担当していたのは1973年2月から1975年11月1日までだった。そのひと月半後に46歳の若さでこの世を去ってしまっていた。昭和4年生まれだからもし元気ならまだ書いていたかもしれない。

たまたま図書館に行ってみたら、氏の絶筆となった11月1日の「天声人語」を読むことができた。タイトルは「夢ー斑鳩」となっていて、聖徳太子について書かれた本を読んでの感想と自身の思いが綴られていた。そして最後に「いつかもう一度法隆寺を訪ねてみたい」となっていた。

天声人語はもう人生を十分に生き抜いた達人によって書かれたものだとばかり思っていたが、40代の論説委員によるものだと知ってちょっと意外な気もした次第。よほど、深い教養がなければ連日、数年にわたって書き続けることは不可能だろう。いま書いているのは何代目のミスター「天声人語」なのだろうか、とふと思ってしまった。