「退屈力」齋藤孝著より。
私たちはテレビやネットを通じて連日コマーシャルを目にしているが、それは欲望を刺激されている状態だった。すると、自分で買い物をする際、どうしてもテレビで目にしたものを手にしてしまうのではないだろうか。もしかしたらちょっとした安心感かもしれないが。
また、ほんとうに必要かどうかもわからないのに買ってしまうこともありそうだ。それは外からの刺激にコントロールされていることと同じようなものだった。筆者はこれを「高度刺激社会」と名付けている。つまり誰もが退屈を恐れ、刺激を求め続けている状態だった。
そういえば、子どもが幼いころは、テレビでディズニーランドのCMが流れれば、すぐに行きたいと言っていた。また、楽しそうなゲーム機器が発売されればそれが欲しいと言いだしていたもの。しかし、そんな欲望は時間の経過とともに薄れていったりもしたが。
もちろん大人だって似たようなもので、テレビで知名度の高いタレントが身につけているファッションが素敵だと思えば、さっそく自分も欲しくなったりしたのではないだろうか。また雑誌に掲載されたファッション小物、衣料品などもデパートにはすぐに問い合わせが入ったりするらしい。
筆者はそのように外からの刺激だけで行動を起こすことや、何も考えずに刺激を求め続けるのは人間にとって問題があると指摘している。その態度の転換のキーワードが「退屈力」だという。その意味は、刺激の少ない状態の中で、自分の脳と身体を満足させることのできる能力のことだった。
私たちはテレビやネットを通じて連日コマーシャルを目にしているが、それは欲望を刺激されている状態だった。すると、自分で買い物をする際、どうしてもテレビで目にしたものを手にしてしまうのではないだろうか。もしかしたらちょっとした安心感かもしれないが。
また、ほんとうに必要かどうかもわからないのに買ってしまうこともありそうだ。それは外からの刺激にコントロールされていることと同じようなものだった。筆者はこれを「高度刺激社会」と名付けている。つまり誰もが退屈を恐れ、刺激を求め続けている状態だった。
そういえば、子どもが幼いころは、テレビでディズニーランドのCMが流れれば、すぐに行きたいと言っていた。また、楽しそうなゲーム機器が発売されればそれが欲しいと言いだしていたもの。しかし、そんな欲望は時間の経過とともに薄れていったりもしたが。
もちろん大人だって似たようなもので、テレビで知名度の高いタレントが身につけているファッションが素敵だと思えば、さっそく自分も欲しくなったりしたのではないだろうか。また雑誌に掲載されたファッション小物、衣料品などもデパートにはすぐに問い合わせが入ったりするらしい。
筆者はそのように外からの刺激だけで行動を起こすことや、何も考えずに刺激を求め続けるのは人間にとって問題があると指摘している。その態度の転換のキーワードが「退屈力」だという。その意味は、刺激の少ない状態の中で、自分の脳と身体を満足させることのできる能力のことだった。