素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「キンチョール」(大滝秀治・岸部一徳)TVCM を思い浮かべた

2022年07月14日 | 日記
 夕方、岸田首相の会見が放送された。最初の頃よりはましになったが、それでも何かが足りない感を持ってしまう。目力? リズム?抑揚?・・・
何だろう? とにかく聞いていると昔あった大滝秀治と岸部一徳が掛け合う「キンチョール」のTVCMが頭に浮かんでくる。「つまらん お前の話は
つまらん!」という大滝さんのセリフを吐いてみたくなる。

【名作(笑)】「キンチョール」(大滝秀治・岸部一徳)TVCM 90sec


 コロナ感染拡大に関する部分は、1年前の菅さんと同じことをおなじように話している気がした。もっと第6波の経験をふまえた上での説明、方針があってもいいのじゃないかと強く思った。

 会見でインパクトのあった内容は、安倍元首相の葬儀を秋に「国葬儀」にするというくだり。さらっと発表したが、思わず「え~?」と反応してしまった。私が生きてきた中では吉田茂元首相しか記憶がなかったからだ。

国葬(こくそう)とは、国家に功労のあった人(皇室、王族、元首、政治家、軍人、学者、芸術家、宗教家、環境保護活動家など)の死去に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことである。

「 政治家の評価については、歴史の検証を待つ」ということがよく言われる。アベノミクスはまだ現在進行形、コロナの感染対策についても同じく進行中。まだ検証のレベルになっていない。在任期間最長というが、いずれも全うしたとはいえず途中で投げ出している。病気が理由とはいえ完結させなかったのは事実である。森友、加計、桜を見る会で浮上した疑惑についてきちっと説明をしたとは言い難いなどを考えると「国葬」はいかがなものかと思った。佐藤栄作さんのように内閣と自民党と国民の有志による国民葬ならばとやかく言わない。

 まして、「暴力(テロ)に屈しないことを強く内外に示すために国葬を」という主旨の説明もあったが、1年前の「コロナに打ち勝った証しとしてオリンピックを」というのと同じ論理で違和感を強く覚える。

 今回の事件を受けて色々なことを考えさせられているが、「国葬」を持ち出して欲しくなかった。というのが率直な思い。
コメント
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