素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

良い番組との出会いはハッピー気分になる

2010年07月26日 | 日記
 昨日のNHK教育で放送された「日曜美術館」もなかなか良かった。『広目天のまなざし~會津八一の愛した奈良の仏~』というタイトルをテレビ欄で見た時、會津八一さんの和歌とゆかりの寺と仏像の紹介ぐらいだろうと思っていた。奈良を歩いていると會津八一さんの歌碑によく出会い、たまたまブックマートで山崎馨著「會津八一の歌」という文庫本をみつけて読んでいる程度で、勝手に自分でイメージをつくっていた。番組を見て180度自分のイメージと違っていたことがわかった。「日曜美術館」のホームページでの番組紹介ではこうなっている。

 あおによし、奈良の都。阿修羅像、大仏、釈迦三尊像など、国宝の仏が数多く鎮座する。昭和18年、学徒出陣する若者たちの多くが出征する直前、訪れたのが奈良の仏だった。そして、小さな仏像の写真を買い求め、戦地に散っていった。彼らは、なぜ最後に奈良の仏をまぶたに焼き付けたのか?

 平城遷都1300年、仏像ブームである今、奈良の仏と出陣学徒たちの知られざる戦争秘話を描く。学生たちを毎年のよう奈良に連れていったのが、早稲田大学で東洋美術を教えていた會津八一(1881~1956)。美術史家のさきがけであり、歌人でもあった八一は奈良の仏を、叙情豊かに表現した。

 昭和18年11月、多くの学生が学問半ばにして学徒出陣していく中、最後の研修旅行が行なわれた。見納めの旅、二度と生きて帰らないだろう学生に八一は、仏像を通して何を伝えようとしたのか?

 最後の旅行に参加した、当時の学生の証言を交えながら、奈良の仏の深遠なる魅力と、孤高の学者の気骨の生涯をたどる


 もっと枯れた穏やかな人をイメージしていたが違っていた。厳しい先生であったみたいだ。「破門の八一」と呼ばれ、いい加減な学生はすぐに「破門だ。帰れ!」と言い渡したと懇意の写真館の主人が思い出話をされていた。破門された学生はその写真館に泣き言を言いに来るのだが同じ学生が「破門されました」と何度も来たらしく、そこに八一さんの厳しさの中にあるやさしさを見ることができると笑っておられた。

 学生たちは、四天王の一つ、「広目天のまなざし」と先生は似ているとささやきあっていたみたいで、奈良で“會津八一”と“広目天”が対峙する瞬間をワクワクしながら見ていたというくだりは思わず笑ってしまった。

        

 また一つ、自分の引き出しの中身が増え、奈良へ行った時、歌碑を見つけた時など今までと違う見方ができるようになった。本であれ、映像であれ、人であれ、そういう出会いがあるととても幸せな気分になれる。
 

 
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7月24日のNHKワンダー×ワンダースペシャルは面白かった!

2010年07月25日 | 日記
東京スカイツリー建設定点観測2010年2月16日 303mに到達



 「ほぼ完全公開!東京スカイツリー」というタイトルで19:30から20:44までの放送であった。正直なところ、たいして期待していなかった。見事に裏切られた。最後まで釘付けになってしまった。ていねいに取材され、構成もよく練られていた。

 現在は398m。電波塔の日本一の記録を更新中。完成すれば634m。毎日、総勢500人の作業員が働いている。現場で働いている人、設計者、パーツをつくる人達の3つのうちどれ1つ欠けても工事は進まない。それぞれの人がプライドをかけて未知の領域に挑んでいる様が伝わってきた。

 スカイツリーの目の前に住んでいる定年退職をした一人暮らしの男性(63歳)とスカイツリー建設との関わりもほほえましかった。東大寺の大仏建立の時もこんな感じやったのかなぁ?とふと思った。

 時代時代に巨大墳墓、仏像、社寺、城、橋、ビル、戦艦などその時の技術の粋を集めて造ってきたように思う。未知の領域に立ち向かう“技術者魂”というものは脈々と流れていると強く感じた。直接、関わらなくてもそれらに触れることでパワーのようなものをもらうのではないかと思う。いろいろな所に出かけて、古いものから新しいものまでたくさんの建造物を見るのも根底に“人間のパワー”のすごさを感じる快感があるのではと画面を見ながら考えた。『時空を超えたランドスケープ(風景)』が東京スカイツリー建設のコンセプトのようだが、この言葉は古代から現代までをつらぬく心意気であるように思う。法隆寺の五重の塔の心柱の発想がスカイツリーにも生かされているという話には思わずうなづいた。

 建設現場を撮り続けて40年になる建築カメラマンにもスポットがあてられたが、興味深かく見させてもらった。初めて撮ったのが東京タワーの建設現場。引退を考え始めた時に東京スカイツリー建設を撮る仕事。不思議な巡り合わせというのは人生にはあるが、本当にそうやなぁとしみじみした思いになった。彼の「どんな大きなものでもとにかく人間の力」という言葉には説得力があった。

 テレビを見ながら、思い出していたのが日本で最初の超高層ビルとなった「霞ヶ関ビル」の建設を描いた『超高層のあけぼの』という映画のこと。高校の時、観たと思う。地震国である日本では1962年(㍼37)までは法律で建物の高さが31mまでと制限されていた。(百尺規制)それ以上の高さは未知の領域だったところに147mのビルを造るという話。スカイツリー現場で直面する想像を絶する苦労と困難を克服する様子を観ながらだぶって思い出された。映画の場面では、最上階で機材をあげているクレーン室の中で、突然の雷雨に襲われ、稲妻をまともに受けているシーンと何気なく落としたボルトが下のダンプの運転席を突き抜け地面に落ちるシーンの2つはハッキリ覚えている。高さというものを実感したのである。
 
 あの時の雷は上からだったが、スカイツリーでは横から飛んでくるとのこと。多くのことを思い起こさせてくれた74分間であった。

 

 
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夏の一日の始まり

2010年07月25日 | 日記
 この1週間の猛暑で、一気に夏モードに入った。2,3日前から朝のめざまし代わりは“せみしぐれ”この鳴き声を「うるさい」と感じるか「生へのたくましさ」と感じるか、はたまた「命のはかなさ」を感じるかは自分自身の心のありようできまる。布団の上で腹式呼吸をしながら軽くストレッチをする。布団から出るとすぐに体重、体脂肪率をチェックする。7月にはいってからは80.0kg、80.1kgが2度あっただけで70kg台後半を維持している。体脂肪率も15.5%~17.6%で安定している。食事の量は多めになっているのだがうまく消費できているみたいだ。

 朝食の後は、水やり。同じ頃、向かいの家の小1の子が宿題の朝顔の観察を始める。今日は幼稚園に通う弟の鉢に変わった色の朝顔を見つけ大騒ぎ。弟を呼び、お母さんも呼ぶが母は多忙で声のみ参加。

    

 掃除機をひとわたりかけ、新聞に目を通す頃になると、せみの鳴き声が消えている。平凡な夏の一日の始まりである。夕立ちがほしいと思う。
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中央大会

2010年07月24日 | 日記
 3年生にとっては最後の大きな大会である“大阪中学サッカー選手権”の真っ只中である。各地区予選を勝ち抜いた32代表による中央大会、1回戦に勝った16チームによる4ブロックに分かれてのリーグ戦も7/19,7/21,7/23と、リーグ突破をかけての戦いが終わった。ワールドカップ同様、4チームによるリーグ戦は、トーナメント以上の厳しさがある。炎天下の中、1日おきの試合は体力的にも精神的にも限界に近いものがある。力だけではないさまざまな要素がからむ。

 選手も大変だが、顧問は自分の試合前か試合後に副審の義務があるので、自分のチーム管理とあわせて多忙である。退職の年に中央大会を戦かいベスト4までいったが、最少のスタッフ2人でよくやったなとしみじみ思う。その時、1年生だった生徒が、もう3年生になり、リーグ戦を戦った。1年間だけのつきあいだったが、チーム力としてはバランスもとれているし、個性のあるタレントもいて、見ていて楽しい、やっていて楽しいチームになるだろうという予感はあった。残念ながら予選突破はできなかったが、北河内予選からの長丁場の戦いから大きなものを得たと思う。今後のサッカー人生に生かしてほしい。

 メインの顧問が毎年変わることや校舎の建て替えのためグランドがほとんど使えないなど環境面では非常に厳しいものがあったと思う。また、大会においても思い通りの結果が出ないこともあったりして苦労も多かったのではと推測する。“負けながら強くなる”を合言葉に粘り強くチームをつくっていくという伝統はできていたように思う。最後の大切な大会で中央大会の予選リーグまで残るという結果を出したことは立派の一語に尽きる。

今年の予選リーグは3日間とも最近オープンした堺市立ナショナルトレーニングセンターで行なうことができたという点は恵まれていた。大阪の各地区の会場校を転々と移動するのも結構神経を使う。明日は高校の大規模な招待試合が行なわれるようだ。堺NTCを大いに活用して若い世代を伸ばしていってほしい。

 退職した時、残してきた2年生、1年生(現高1、中3)のことは心の片隅にはひっかかっていた。この夏の大会とともに、本当の意味で“縁がきれた”といえる。

 リーグ戦の表を眺めていると、いろいろなことが見えてくる。もう、この第3種委員会のサイトをひらくことはないだろう。




ABブロック 墨江丘中  美木多中   盾津東中  庭窪中
墨江丘中   ・・・    2△2      0●1    0●4  ③
美木多中   2△2    ・・・      0●6    0●4  ④    
盾津東中   1○0    6○0      ・・・    5○2  ①
 庭窪中    4○0    4○0      2●5    ・・・  ② 

CDブロック  枚方3中  富田林3中   城南中   楠葉中
枚方3中    ・・・     1△1       1●3    2●3  ④
富田林3中  1△1     ・・・        0●1    3○1  ②
 城南中   3○1     1○0        ・・・    1○0  ①
楠葉中    3○2     1●3        0●1    ・・・  ③   

EFブロック     西陵中   佐井寺中  東大阪朝鮮中    豊中14中
西陵中        ・・・     0△0     0●4          6○1  ③
佐井寺中      0△0     ・・・      0●2         11○0  ②
東大阪朝鮮中   4○0     2○0      ・・・           1○0  ①
豊中14中     1●6      0●11      0●1          ・・・  ④  

GHブロック   岸城中  高槻9中   藤陽中   高槻2中
岸城中      ・・・    0●6      2●8      0●4       ④
高槻9中     6○0    ・・・      0●2     2○1       ② 
藤陽中      8○2    2○0      ・・・      0●2      ①
高槻2中     4○2    1●2      2○0     ・・・       ③
     
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人生の幕の下り方

2010年07月23日 | 日記
 集中豪雨の時、土石流に押しつぶされたり増水した川に流された方が多くいた。ほとんどの人が高齢であった。テレビや新聞で見るたびに「長い間生きてこられて、こんな終わり方をするなんて」と思わずつぶやいてしまう。今週は、熱中症で亡くなった人のニュースが目に入る。やはり、高齢者の方が多い。

 永 六輔さんの『大往生』という本の最後の締めくくりにある詞、作曲は中村八大さん。名コンビの最後の作品だそうだ。

  あなたがこの世に生まれ  あなたがこの世を去る
  私がこの世に生まれ   私がこの世を去る
  その時 涙があるか    その時 愛があるか
  そこに幸せな別れが あるだろうか 
  

(セリフ)

  「世の中が平和でも、戦争がなくても
   人は死にます  必ず死にます
   その時に 生まれてきてよかった  生きてきてよかったと思いながら
   死ぬことができるでしょうか
   そう思って死ぬことを 大往生といいます」

   
   私がこの世に生まれ  私がこの世を去る
   あなたががこの世に生まれ  あなたががこの世を去る
   その時 明日がある  その時 未来がある
   そこに生きるものの歌がある 


 7月から8月にかけては、「生と死」を考えざるを得ないことに触れる機会が多い。
  
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