素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

仮想ではありますが、四国八十八札所巡り 踏破しました

2010年07月12日 | 日記
 予定通り昨日、讃岐の国大窪寺に到着。今日からは海外、“スイス大自然周遊コース”527kmにチャレンジ。

スイスについての情報ともリンクしながら仮想の旅を楽しんで行きたい。

 先日、琵琶湖に行く車中で、大相撲の野球賭博問題から人間はギャンブル好きという話になり、パチンコがどんどん変化してきていることから“便利になった世の中”について話題が広がった。すると、まもなく80歳になる叔母が「私達の頃は先生がガリガリ鉄筆で書いたものを1枚1枚ローラーで手刷りしていた。時々手伝わされたことがあったが、今は便利になったんやろ?」と尋ねてきた。「今は、ほとんどの人がパソコンを使っているので便利になった。私は、使いこなせなかったけど」ということから、学校の印刷の変遷話で結構、盛り上がった。

 考えてみれば、新任の頃は鉄筆とガリ版という職人の世界であった。さすがに謄写版ではなく輪転機で印刷したが、性能も悪く苦労した。また、原紙がだめになると代わりはなく一から作り直さないといけなかったので緊張もした。ボールペン原紙が登場したあと、紙に書いた原稿を読み取って、原紙に焼き付けてくれる形になった。失敗しても原稿は残るので刷り上るまでの緊迫感はなくなった。その後の印刷機の進歩には目を見張るものがあった。

 その時の話のオチは“何でも便利にはなったが、そのことで得たものと失ったものがある。”ということであった。要は“便利なもの”に振り回されず、うまく利用していくことが大切ということである。

 今日、「教育の再興」という昭和50年(1975)に発行された本を参考にしたいと思いめくっていたら、表紙の裏に深沢義旻さんの“鉄筆のうた”という詩が書いてあった。自分の字であるが、まったく記憶はない。新任時代にどこかで見つけ、感じるところがあって表紙裏をメモ帳代わりに書き写したのだと思う。若かった頃の自分との思わぬ出会いに微笑んでしまった。

        鉄筆のうた     深沢義旻
ものを書くことへの抵抗は  自分をさらけ出さなければならないところからくる。
 ものを書くことの苦しさは  自分をごまかすことのできないところからくる。
ものを書くことのつらさは  自分の思考をまとめることの未熟さを思い知らされるところからくる。

だが

人間が人間であることの尊厳を失わないためには こうしたことに耐えなければならない。
人間は自らの意志で
自分を昨日と違った人間につくりかえていく努力を 死ぬまで続けていかなくてはならない。

そうでない限り人は

ものを書くことの喜びを知るどころか  ものを書けないことの悲しささえ
ついに気づかないままに 打ち果てるであろう。
ものを書くということは
人間変革の原点を探り確かめるためのものだということに
熱い思いを込めよう。
コメント
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