素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

豪雨の中、帰ってきました

2010年07月29日 | 日記
   

 雑草を削り取った後に、8袋分の“固まる砂”を入れ、じょろで水かけ終わったのが18時過ぎ、そこまで天気がもってくれたのはラッキーであった。夜半過ぎから雨足と風が強くなってきた。今朝起きてみると朝顔の支柱が横倒しになっていた。砂の方が気になったのですぐ様子をみたがしっかり固まっていた。

 早朝2時間ぐらいは雨が弱くなったので、砂を入れていない部分のすべての雑草を根こそぎ採ることができた。その点では恵みの雨だった。3週間後に帰った時どうなっているかが楽しみである。雑草との果てしない戦いは続く。

 床と畳の方も処置をして来週の月曜日に、もう一度チェックを入れることになった。伊勢の叔母(母の姉)の家でも力仕事をしてほしいという連絡があったので、鳥羽で食事をした後伊勢に行き、そこから両親と別れて大阪にもどるということになった。

 昼食は鳥羽磯部漁協直営食堂“魚々味”の夏季限定(今月一杯)メニュー・「鳥羽あわび御膳」を父が是非食べたいというので決まり。父親のあわび好きの話。私が5歳の時、弟が生まれたのだが、臨月の近い母と一緒に伊勢の宇治に住んでいた私の祖父母の家に行っていた。そこに電話が入り、父が急性盲腸炎で病院に運ばれたという。大急ぎでかけつけた母への第一声が「あわびが食べたい」だったみたいで、私は母が怒っていた記憶しかない。ほどなく母も同じ病院に入院し、私は鳥羽の曾祖母の家に預けられ病院に通った。とにかく「元気をつける」=「あわびを食べる」という式があるみたいだ。

  あわびづくしの膳であった。生のあわびはコリコリと歯ごたえがあるのだが、「やっぱり生が一番いい」と硬いものが苦手になってきたにもかかわらず、おいしそうにほおばっていた。

 単品で最近売り出し中の“岩がき”も注文し、「的矢がきより味が濃厚やな」と食べていた。私も“岩がき”を間近に見るのは初めてで、大きいことに驚いた。食の楽しみこそ元気の源ではなかろうかと思った。

 伊勢の叔母の家で1時間ほどしゃべった後、雨と風の強い中、ノンストップで大阪まで帰った。こういう時は軽自動車の馬力のなさと不安定さを感じる。高速もかなり水が浮いていた。おかげで緊張感もあり退屈しなかった。  


  
   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする