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素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

柿本人麻呂と猿丸太夫は同一人物?!

2021年04月22日 | 日記
百人一首の詠み人も奈良時代ともなれば資料も少なく謎が多い。「百人一首大図鑑」ではこうなっている。柿本人丸(柿本人麻呂/人麻)・生没年不明・持統天皇の時代から、その孫の文武天皇の時代に活躍したといわれる役人。優れた和歌の才能から「歌聖」とよばれた歌人。三十六歌仙の一人。 猿丸太夫・生没年不明・三十六歌仙の一人だが、人物について何もわかっていない。本当にいた人物なのかも不明。この歌も「古今和歌集」では「よみ人知らず」となっていて、猿丸太夫の歌かは不明。
 歌は、百人一首の中でも良く知られている「足曳きの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む」「奥山に 紅葉踏み分け なく鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき」である。
 柿本人麻呂は歴史上に存在しなかったという説は否定する人が大半だが、猿丸太夫は実在しなかったというのが大方の見方みたいだ。ここで、伊東眞夏さんは「続・深読み百人一首」の中で、数ある人麻呂論の中で、異彩を放つ梅原猛氏の《水底の歌~柿本人麻呂論~》に依拠して人麻呂の話を進めている。梅原氏は柿本人麻呂と猿丸太夫は同一人物であるという。これがなかなかドラマチックで面白く梅原氏の本を読んでみたいという衝動に駆られる。またまた寄り道をしてしまいそうだ。
 持統天皇亡き後、藤原不比等の台頭のあおりをくって人麻呂は数奇な後半生を送ることになるという話である。その観点から見ると平凡な内容の2首が今までの解釈とは全然違う意味合いを帯びてくる。橋本さん、白洲さんの見方も合わせて読み味わっている。
 3回目の緊急事態宣言が発令されるとさらに厳しく不要不急の外出は控えるようにと要請されるだろう。百人一首の世界の旅は自由にできる。ありがたやありがたやである。
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