コロナの検査で陽性が分かった人の中には、マスクもし、消毒も欠かさず、密を避けて来たのにどうして感染したのだろうと思う人が少なくないと聞く。ワクチンもそうだろう。世界でワクチン接種が進んでいてその有効性が報告されているが、それでもワクチンを打ったところで人に感染させる恐れや自分が感染する恐れがゼロにはならない。打たなくても感染しない人もたくさんいる。
その事実を踏まえると、ワクチン接種は、生物学的な効果を超えて『社会的責任を果たした人物』という意味を強く帯びるはずだ。と医療人類学者・磯野さんは指摘する。マスク、消毒、手洗いと同様ワクチン接種も新しい「マナー」になるかもしれないと考える。
ただ、コロナ禍があぶり出した社会問題をワクチンが解決するわけではないことを、肝に銘ずる必要がある。と強く言う。医療従事者や感染者に対する誹謗、差別。感染者数、死者数という匿名化された数字の上がり下がりが「市民としての自覚」や「気の緩み」といった一人一人の道徳観と結びつけられ、繁華街にいるモザイクをかけられた人々の映像が生み出す新たな罪悪感。医療現場の逼迫の背景にある医療制度による偏りのある病床の配置。などである。ワクチンによってそれらに対する取り組みを忘れることのないようにしなければいけない。
最後に、こう締めくくっている。コロナ禍の収束は、街のクリニックで普通に治療が受けられ、感染したことを「大変だったわねえ」と気軽に言い合えるようになってようやく訪れるはずだ。ワクチンばかりが切り札ではない。
病気もそれによる死も、社会の中に常にある。人間はこれらにあらがいながらも、どこかでそれらを避けられない宿命として引き受けながら生きてきた。その宿命を、自分の思うままにコントロールしようとする、できると思う人間の欲望こそ恐ろしい。
ワクチンに最も期待するのは、接種した人が増えたという事実が人々の間に安心感を生むこと。そして、この病気が日常に存在することを、嫌だけれども生きる限り仕方のないこととして引き受ける。良い意味での諦観が社会に広がり、パニック状態が少しずつ緩和されることである。
長く引用してしまったが、モヤモヤとしていたものが晴れたような思いを持った一節で捨てがたいものがあった。
その事実を踏まえると、ワクチン接種は、生物学的な効果を超えて『社会的責任を果たした人物』という意味を強く帯びるはずだ。と医療人類学者・磯野さんは指摘する。マスク、消毒、手洗いと同様ワクチン接種も新しい「マナー」になるかもしれないと考える。
ただ、コロナ禍があぶり出した社会問題をワクチンが解決するわけではないことを、肝に銘ずる必要がある。と強く言う。医療従事者や感染者に対する誹謗、差別。感染者数、死者数という匿名化された数字の上がり下がりが「市民としての自覚」や「気の緩み」といった一人一人の道徳観と結びつけられ、繁華街にいるモザイクをかけられた人々の映像が生み出す新たな罪悪感。医療現場の逼迫の背景にある医療制度による偏りのある病床の配置。などである。ワクチンによってそれらに対する取り組みを忘れることのないようにしなければいけない。
最後に、こう締めくくっている。コロナ禍の収束は、街のクリニックで普通に治療が受けられ、感染したことを「大変だったわねえ」と気軽に言い合えるようになってようやく訪れるはずだ。ワクチンばかりが切り札ではない。
病気もそれによる死も、社会の中に常にある。人間はこれらにあらがいながらも、どこかでそれらを避けられない宿命として引き受けながら生きてきた。その宿命を、自分の思うままにコントロールしようとする、できると思う人間の欲望こそ恐ろしい。
ワクチンに最も期待するのは、接種した人が増えたという事実が人々の間に安心感を生むこと。そして、この病気が日常に存在することを、嫌だけれども生きる限り仕方のないこととして引き受ける。良い意味での諦観が社会に広がり、パニック状態が少しずつ緩和されることである。
長く引用してしまったが、モヤモヤとしていたものが晴れたような思いを持った一節で捨てがたいものがあった。