素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

無駄の効用

2014年04月29日 | 日記
 「無駄の効用」については度々書いてきた。早さと効率が求められる世の中においてこのことは肝に銘じておかなければならないことだと思っている。だから、誰かが「無駄の効用」について書いているとうれしくなる。

 『新潮45』の5月号で、臨床医の里見清一さんが「コミュニケーションの過去と近未来」の中で、人とやりとりする手段が手紙から電話、メールへと変わってくる中で、医療の現場での経験をふまえ、こう結論付けている。

 コミュニケーションにおいて有効なのは、「めんどくさくて、無意味と思われること」をあえてすることである。手紙に書いた紹介内容と同じことを電話で話す。テレビ会議で流れる音声と資料の、同じものを直接その場で見る。それに対して直接話す。客観的には、明らかに重複であり、無駄であることこそ重要なのだ。
 一例としてテレビ会議のことが挙げられている。これまで各病院の医師がどこか拠点となる病院に集まって会議をしていたが、よその病院の医師がそこへ出かけて行くのは時間と経費の無駄であるということで、厚生労働省が金をかけて、各病院にいながらにして会議室をつなぎ討論できるテレビ会議のシステムを作り上げた。

 しかし、厚生労働省のどんどん使うようにという指令に関わらず、多地点テレビ会議になった途端、会議の内容もつまらなくなり、出席者もガタ減りになったという。

 どうしてつまらなくなったかということを里見さんはこう分析している。

 みんなが言い間違えをしたり、誤解していたことがあらわれたりして恥をかくことを恐れ、何も言わなくなったからである。「そこだけ」で角突き合わせて討論する時にはそんなこと気にしなかったのに。また、内部の会議ならば、激烈な批判や失礼な言い回しをしても、会議の後で直接謝ったり真意を説明したりできるが、テレビ会議では終わって回線が切られたらそれまでである。自然、激しい論争になる本質的な議論が避けられ、表面的な質疑のやりとりだけになる。これが続くと発表者からも緊張感が薄れてダレる。
 
 これを読みながら、医療現場だけの話ではなく教育現場においても同様のことが起きてくるのではないか?いや、もう起こっているかもしれない。と思った。5年の間にずい分教育現場の環境も変わったことだろうと推察する。また聞く機会もあると楽しみにしている。

 効率化というのは、本来人間にゆとりある(=無駄な)時間を提供してくれるためにあるはずが、効率化すればするほど多忙となるという現象が起きている。皮肉なものである。

「昭和」の日、不便だった頃のことを思い出すのもいいだろう。
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