平成28年6月度 広布唱題会の砌
於 総本山客殿
(大日蓮 平成28年7月号 第845号 転載)
(大白法 平成28年6月16日 第935号 転載)
本日は、六月度の広布唱題会に当たり、皆様には多数の御参加、まことに御苦労さまでございます。
本年も既に六月に入り、皆様には僧俗一致・異体同心して、日夜、折伏誓願達成へ向けて御奮闘のことと存じます。
大聖人様は『月水御書』に、
「如来滅後二千二百余年に及んで、五濁さかりになりて年久し。事にふれて善なる事ありがたし。設ひ善を作す人も一の善に十の悪を造り重ねて、結句は小善につけて大悪を造り、心には大善を修したりと云ふ慢心を起こす世となれり」(御書301)
と仰せられています。
すなわち「末法今日の世相は五濁乱漫として、何事につけても善事は極めて少なく、たとえ善事を行う人も、一つの善いことをする間に、十倍の悪業を作り重ねるという有り様であり、結局は少しの善いことのために、たくさんの悪業を作っていくのである。しかし、それであるのに、心の中では自分は大善根を積んだと思って、慢心を起こすような悪世になっている」と仰せられているのであります。
まさしく、この御文は悪世末法にあって、いたずらに空回りしている、うつろな姿を如実に示されているのであります。
しかして、この五濁乱漫とした生命と世相を浄化する唯一の方途は何かと言えば、申すまでもなく、末法の御本仏日蓮大聖人の文底下種の仏法をもってする以外にはないのであります。
そもそも五濁とは、劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のことであります。
劫濁とは、時代の濁り、環境や社会に悪い現象が重なり起きることであります。
煩悩濁とは、貪瞋癡慢疑の五鈍使に支配された本能的な迷いであります。
衆生濁とは、人間そのものの濁り、人間の身心共に衰えることであります。
見濁とは、見解や思想の濁りであります。
命濁とは、生命自体の濁りで、そこから生活が乱れ、寿命が短くなってしまうのであります。
この五濁について、天台大師は『法華文句』に、
「次第は煩悩と見とを根本と為す。此の二濁に従って衆生を成ず。衆生より連持の命有り。此の四時を経るを謂って劫濁と為すなり」(学林版文句会本上706)
と述べておられます。
すなわち、五濁の次第は、まず衆生が煩悩(煩悩濁)と誤った思想(見濁)に取りつかれると、生命(命濁)や衆生社会が濁り(衆生濁)、これらの四濁が長く続けば、時代の濁り(劫濁)を生むことになると仰せられているのであります。
つまり、世の中が混迷する原因は、まず思想の乱れから起こるのであります。しかし、その思想の乱れは、なぜ起きるかと言えば、結局、間違った教え、間違った宗教によって起きるのであります。
されば今、我々は、創価学会をはじめ間違った信仰によって不幸に喘ぐ多くの人々に対し、一日も早く、一切衆生救済の秘法たる日蓮大聖人様の正しい仏法を勧め、折伏をしていかなければならないのであります。
『如説修行抄』には、
「されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673)
と仰せであります。
今、宗門は総力を結集して、来たるべき平成三十三年・宗祖日蓮大聖人御聖誕八百年、法華講員八十万人体勢構築へ向かって、僧俗一致・異体同心して前進をしております。
我々は、仏祖三宝尊の御宝前に誓ったこの願いは、たとえいかなることがあっても必ず達成しなければならないのであります。そのためには、各講中が一丸となって折伏に励み、本年度の折伏誓願を必ず達成することが最も肝要であります。
どうぞ皆様方には、このことを銘記され、本年度はすべての支部が必ず折伏誓願を達成されますよう心からお祈りし、本日の挨拶といたします。
日蓮正宗公式HP
http://www.nichirenshoshu.or.jp/