新年之辞
(大日蓮 令和5年1月号 第923号 転載)
立宗七百七十一年の新春を、宗内僧俗一同には清々しく迎えられ、決意も新たに、愈々の精進をお誓いのことと存じます。
扨、本年「折伏躍動の年」は、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心し全力を傾注して、一天広布の達成へ向けて大きく躍動し、御奉公の誠を尽くしていかなければならない誠に大事な年であります。
特に今、依然として、新型コロナウイルス感染症の猛威が止まず、日本をはじめ世界各国に蔓延し、混沌とした状況を呈している時、私共は改めて一人ひとりが断固たる決意と堅忍不抜の信念を以って、立正安国の御聖訓を胸に折伏を行じ、この難局を乗り越えていかなければなりません。
大聖人は『立正安国論』に、
「世皆(みな)正に背(そむ)き人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神国を捨てゝ相(あい)去り、聖人所を辞して還らず。是(ここ)を以て魔来たり鬼(き)来たり、災(さい)起こり難(なん)起こる。言(い)はずんばあるべからず。恐れずんばあるべからず」(御書234)
と仰せであります。
当に、今日の新型コロナウイルス感染症の世界的蔓延状況を仏法の鏡に照らして見る時、その根本原因は「世皆正に背き人悉く悪に帰す」と仰せの如く、邪義邪宗の謗法の害毒にあることを知り、尚一層の強盛なる信心を以って、破邪顕正の折伏を行じ、勇猛精進していかなければなりません。
去れば『如説修行抄』に、
「末法の始めの五百歳には純円一実の法華経のみ広宣流布の時なり。此の時は闘諍堅固・白法隠没の時と定めて権実雑乱の砌なり。敵有る時は刀杖弓箭(とうじょうきゅうせん)を持つべし、敵無き時は弓箭兵杖(きゅうせんひょうじょう)なにかせん。今の時は権教即実教の敵と成る。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎ(紛)らはしくば実教より之を責むべし。是を摂折の修行の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良(まこと)に故あるかな。然るに摂受たる四安楽の修行を今の時行ずるならば、冬種子を下して益を求むる者にあらずや。鶏(にわとり)の暁に鳴くは用(ゆう)なり、よい(宵)に鳴くは物怪(もっけ)なり。権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵(ごうてき)来たらん事は疑ひ無し」(御書672)
と仰せであります。
この御金言を拝する時、一人ひとりが断固たる決意と破邪顕正の信念のもと、「誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」との御金言の侭に一天広布を目指し、講中一結・異体同心して勇猛果敢に大折伏戦を展開し、以って夫々(それぞれ)が一生成仏を果たされますよう心から念じ、新年の挨拶といたします。
新年の辞
立宗七百七十一年の新春を寿ぎ奉る
(大白法 令和5年1月1日 第1092号 転載)
立宗七百七十一年の新春を迎え、法華講連合会委員長・関野洋夫氏ほか全国法華講員御一同には、清々しく新年をお迎えのことと存じます。
さて、本年「折伏躍動の年」は、各講中共に、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心の団結をもって果敢に折伏を行じ、一天広布へ向けて大きく躍動し、御奉公の誠を尽くしていかなければならない極めて大事な年であります。
特に今、依然として「新型コロナウイルス感染症」の勢いが止まず、世情騒然とした状況を呈していますが、斯くなる時こそ、私共は身軽法重・死身弘法の御聖訓を旨に決然として折伏に立ち上がり、この難局を乗り越えなければなりません。
大聖人は『立正安国論』に、
「汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ(やぶ)壊れんや。国に衰微(すいび)無く土に破壊(はえ)無くんば身は是(これ)安全にして、心は是禅定ならん。此の詞(ことば)此の言(こと)信ずべく崇(あが)むべし」(御書250)
と仰せであります。
正しく仏法の鏡に照らしてみる時、今日の混乱の原因は、多くの人々が正法に背き、邪義邪宗の謗法に犯されているからであり、この謗法を退治し、一人でも多くの人が信仰の寸心を改めて、速やかに実乗の一善、即ち三大秘法の南無妙法蓮華経に帰依することが仏国土実現の為には絶対不可欠な要件となるのであります。
大聖人は『如説修行抄』に、
「権実雑乱の時、法華経の御敵を責めずして山林に閉ぢ篭りて摂受の修行をせんは、豈法華経修行の時を失ふべき物怪にあらずや。されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如く行じ給へる。誰人にても坐せ、諸経は無得道堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なりと音も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ」(御書673)
と仰せられ、五濁乱漫とした末法濁悪の今日の世相を観る時、正しく今日の窮状を救済する方途は、邪義邪宗の謗法の害毒によって苦悩に喘ぐ多くの人に妙法を下種し、もって正法に帰依せしむることであると仰せられているのであります。
依って、大聖人は『南条兵衛七郎殿御書』に、
「いかなる大善をつくり、法華経を千万部書写し、一念三千の観道を得たる人なりとも、法華経のかたき(敵)をだにもせめざれば得道ありがたし。たとへば朝につか(仕)ふる人の十年二十年の奉公あれども、君の敵をし(知)りながら奏(そう)しもせず、私にもあだ(怨)まずば、奉公皆う(失)せて還(かえ)ってとが(咎)に行なはれんが如し、当世の人々は謗法の者とし(知)ろしめすべし」(御書322)
と仰せであります。
即ち、世の中の苦悩と不幸と混乱の原因は、すべからく邪義邪宗の謗法の害毒にあり、したがって、例え如何なる大善をつくり、法華経を千万部書写しようとも、邪義邪宗の謗法を退治しなければ、即ち破邪顕正の折伏を実行しなければ、得道はあり得ないと仰せであります。
されば、私共は大御本尊の広大無辺なる功徳を拝信し、各支部共に講中の総力を結集して大折伏戦を展開し、もって全世界の平和と全人類の幸せを実現すべく妙法広布に邁進していくことが今こそ最も肝要であります。
各位の愈々の信心倍増を心からお祈りし、新年の挨拶といたします。
以上
新年之辞
(妙教 令和5年1月号 第364号 転載)
立宗七百七十一年の新春を迎え、全国法華講員御一同には、清々しく新年を迎え慶賀の至りに存じます。
扨、本年「折伏躍動の年」は、全国の各講中共に僧俗一致・異体同心の団結をもって、破邪顕正の大折伏戦を果敢に展開し、以て一天広布へ向けて大きく躍動すべき誠に大事な年であります。
特に今、依然として新型コロナウイルス感染症の勢いが止まず、各方面に多大な障害をもたらし、世情騒然とした状況を呈していますが、しかし斯くなる時こそ、私共は『立正安国論』の御聖意を拝信し、異体同心・一致団結し、一天広布を目指して身軽法重・死身弘法の御聖訓を胸に決然として折伏に立ち上がり、この難局を乗り越えていかなければなりません。
大聖人は『聖愚問答抄』に、
「今の世は濁世なり、人の情もひがみゆがんで権教謗法のみ多ければ正法弘まりがたし。此の時は読誦・書写の修行も観念・工夫・修練も無用なり。只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり。取捨其の旨を得て一向に執する事なかれと書けり。今の世を見るに正法一純に弘まる国か、邪法の興盛(こうじょう)する国か勘(かんが)ふべし」(御書403)
と仰せであります。
この御文を拝する時、今日の新型コロナウイルス感染症による擾乱も、遠くその原因を尋ぬれば、ひとえに邪義邪宗の謗法の害毒によるものであって、斯くなる時こそ私共は、「只折伏を行じて力あらば威勢を以て謗法をくだき、又法門を以ても邪義を責めよとなり」との御金言の侭に、一人でも多くの人々に妙法を下種し、折伏を行じていかなければならないのであります。
依って『立正安国論』には、
「嗟呼(ああ)悲しいかな如来誠諦(じょうたい)の禁言(きんげん)に背くこと。哀れなるかな愚侶(ぐりょ)迷惑の麁語(そご)に随ふこと。早く天下の静謐(せいひつ)を思はゞ須(すべから)く国中の謗法を断(た)つべし」(御書247)
と仰せられ、国中の謗法を断つことこそ、解決のための最善の方途であると仰せられているのであります。
されば、大聖人は『持妙法華問答抄』に、
「『三界は安きこと無し、猶火宅の如し』とは如来の教へ『所以に諸法は幻の如く化の如し』とは菩薩の詞(ことば)なり。寂光の都ならずば、何(いず)くも皆苦なるべし。本覚の栖(すみか)を離れて何事か楽しみなるべき。願はくは『現世安穏後生善処(げんぜあんのんごしょうぜんしょ)』の妙法を持つのみこそ、只今生の名聞後生の弄引(ろういん)なるべけれ。須(すべから)く心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ、他をも勧(すす)めんのみこそ、今生人界の思出なるべき」(御書300)
と仰せであります。
正しくこの御文を拝し、今日の混沌とした世情を見る時、その原因が邪義邪宗の謗法の害毒によることを確りと見極め、今こそ破邪顕正の折伏を実践すべく、講中全員がその使命のもとに異体同心・一致団結して立ち上がり、折伏誓願達成・一天広布へ向かって大きく前進されますよう心から願うものであります。
宗内僧俗各位の愈々の御健勝と御健闘を祈り、新年の挨拶といたします。 以 上
日蓮正宗公式HP
http://www.nichirenshoshu.or.jp/