かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

熊谷医院旧病棟(岐阜県土岐市)

2013-05-08 | 東濃の近代建築

JR中央線土岐市駅周辺には2軒の戦前の医院が現存しており、南側に森川歯科医院、北側に熊谷医院があります。
熊谷医院は初代院長、熊谷常次郎が明治35年に開業した土岐市では最も古い医院で、地域医療に貢献した常次郎は、町長から県議会議員を務めるなど政治面でも活躍した地元の名士です。

現存している建物は昭和10年に建てられたものですが、マンサード屋根という途中で勾配がきつくなる腰折屋根が特徴で、まるで北海道の牧場か高原のペンションが似合いそうな、医院としてはかなり珍しい外観になっています。

それではなぜ当時地方ではかなり珍しかったと思われるマンサード屋根が採用されたのか?
建物を設計施工した地元宮大工棟梁・山内藤蔵についてのエピソードが『近代を歩く/東海近代遺産研究会』という本に載っていました。
若くから土岐市で大工棟梁として独立していた山内藤蔵は、大正12年に東京を襲った関東大震災の復興支援のため上京しましたが、帰郷後姻戚筋の常次郎に頼まれ、熊谷医院の新築に携わることになりました。
その時彼がマンサード形式の屋根を採用したのは、東京で得た洋風建築のイメージがあったからではないかと書かれています。

ここからはわたしの想像ですが、棟梁は帰郷後の初仕事として医院新築を頼まれ、東京で最新の西洋医学を学んだ常次郎の医院にふさわしい、当時としては最新のモダンな洋風建築を建てようとはりきります。
おそらく上京した棟梁が震災復興としてかかわったもののひとつに、震災後の焼け野原の東京に建ちだしたバラック建築と、それが進化したいわゆる「看板建築」と呼ばれる洋風商店の建設があったのではないかと思われます。

看板建築には狭い敷地で部屋面積を稼ぐため(震災後は木造3階建が規制された)2階建+小屋裏が使えるマンサード屋根が多く使われていたので、棟梁の頭には洋風建築とえばマンサード(実際パリのアパルトマンの屋根はほとんどこれです)と、まずひらめいたに違いありません。

看板建築といっても、構造自体は従来の伝統的な木造商店と大きく変わらないので、設計施工もほとんど従来と同じ大工の棟梁が担当しました。(設計士や建築家は大きなビルの建設に忙しいので、個人の商店や住宅は必然的に大工の棟梁にまわってきます)

宮大工の棟梁にとって、新築の医院のデザインを洋風にするため看板建築を参考にするのはごく自然の流れで、ここに医院建築としては極めて珍しいマンサード屋根の医院が誕生したと思われます。


■マンサード屋根とは~
17世紀のフランスの建築家フランソワ・マンサール(いかにもフランス人っぽい名前です)が考案した屋根で、寄棟屋根の4面が途中で勾配がきつくなるのが特徴。天上高が大きくとれるため、屋根裏部屋を設けるのに適している。
厳密には途中で勾配がきつくなる屋根形式は2種類あり、寄棟屋根はマンサード、切妻屋根はギャンブレルと使い分けていて、熊谷医院は明らかにギャンブレル屋根ということになるのですが、ここでは看板建築との関係上あえてマンサード屋根と表記しています。

■看板建築とは~
関東大震災後、その復興過程で商店などに用いられた建築様式で、当時東京大学の院生だった藤森照信氏によって命名。
従来の伝統的な商店建築様式である蔵造や出桁造とは異なり、ファサードを平坦にし、洋風指向の自由なデザインが試みられた(『看板建築/藤森照信著』参照)


■建物東側~外壁は下見板張りペンキ塗りですが、上部はドイツ壁風のモルタル塗にして変化をつけています



■公園に面した建物北側~1・2階は病室、3階(屋根裏)はマンサード屋根を生かした物置として利用されたようです



■西隣りにはタイル貼りの瀟洒な医院が新築されていますが、旧医院も大切に保存されています



◆旧熊谷医院病棟/岐阜県土岐市泉郷町4-1
 竣工:昭和10年(1935)
 設計・施工:宮大工棟梁・山内藤蔵
 構造:木造2階建
 撮影:2013/04/28



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4 Comments

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ひろし)
2016-03-03 21:54:22
土岐市の北に住んでいるものですが、つい最近、この旧病棟が取り壊されたことをご存知でしょうか?目立つ近代建築でしたのですっかりなくなっていて驚きました。
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残念・・・ (shortwood)
2016-03-06 18:16:33
ひろしさん、取り壊し情報ありがとうございます。
東濃でも特徴的な近代建築だったので、非常に残念です。
80年以上も土岐の町並みを見守ってきた建物が一瞬にして消えてしまったわけですね。
どうしようもないことですが、寂しいかぎりです…
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お聞きしてきました (ひろし)
2016-03-11 17:53:16
本日、時間がありましたので跡地にいた工事関係の方に詳しい話をお聞きしました。取り壊されたのは今年の1月の中旬(少し工事が延びたらしいです)で、取り壊しの理由は管理の問題(管理しても補助金が出るわけでもないので・・・と)、また、消防法の改正の関係もあるようです。跡地は駐車場と薬局にするとのこと。ですが喜ばしいことに新しく建った倉庫がなんと、旧病棟を模したマンサード屋根になっていました。取り壊されたのは残念でしたが、このような形で残してくれることはありがたいことです。
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建物の記憶 (shortwood)
2016-03-12 22:45:46
追加情報ありがとうございます。
マンサード屋根が新しい建物に残るとのこと。
古い建物の記憶が新しい建物に受け継がれ、また街の歴史になると良いですね。
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