かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

伊勢久株式会社(中区丸の内)

2010-03-31 | 名古屋の近代建築

丸の内の建築散歩2回目です。

前回紹介した愛知県庁大津橋分室と並んで、同じ頃に建てられた薬品卸売業の伊勢久(株)の本社ビルが建っています。
当時流行したアメリカンスパニッシュという様式で、明るいタイル貼りの外壁の2、3階の窓にはコリント式の柱頭のあるらせん状の柱が通っており、その上に人造石のテラコッタが飾られています。
隣の重厚な愛知県庁大津橋分室に比べると、明るく軽やかな雰囲気が漂うちょっとオシャレな外観が対照的です。

■伊勢久株式会社/名古屋市中区丸の内3-4-15
 竣工:昭和5年(1930)
 設計:島武頼三
 施工:志水建築業務店
 構造:RC造地上3階、地下1階
 撮影:2010/3/14



■2階と3階で窓のデザインが違います





■玄関の上のひねりの入った付け柱と装飾が見所


キンチョー群生地発見!

2010-03-28 | まちかどの20世紀遺産

 3月22日午後2時頃、岐阜県加茂郡坂祝町を自転車で走行中のSさん(犬山市在住)が、民家の蔵の壁に絶滅危惧琺瑯看板に指定されているキンチョーのホーロー看板が群生しているのを発見しました。
 看板は「金鳥かとりせんこう(青色)」と「強力殺虫液キンチョール(白色)」がそれぞれ3枚、合計6枚が編隊を組むように蔵の板塀いに貼り付いていました。
 Sさんは、「自転車で散歩中、偶然横を見るとあの幻のキンチョーが6枚も蔵の壁に貼り付いていました。いや~ほんと、びっくりしました」と発見の興奮さめらぬ様子で語っていました。
 日本琺瑯看板保存会によると、今回のようにキンチョーの青白2種類の看板が一箇所の壁に6枚も群生し、他の種類の看板がほとんど無いのはきわめて珍しく、今後の保存が望まれるということです。

 




2010/3/22(加茂郡坂祝町)


旧加治田駐在所(加茂郡富加町)

2010-03-24 | 中濃の近代建築

 伊深自治会館を訪ねた後、旧飛騨街道を西に向かい隣町の富加町加治田の旧加治田駐在所に寄りました。
 
 街道沿いに建つ旧加治田駐在所は、1階は巡査詰署と控え室、2階は宿直室・取調室として戦前までは現役の駐在所として使われていました。戦後は床屋に転用されたため、現在1階部分は窓や玄関ドアなどが床屋用に改装され、外壁の一部もタイル貼りになっています。
 
 外観は漆喰塗りの土蔵造にむくり屋根の和風の仕様ですが、2階にテラスを設け、窓は縦長のダブルハング(上げ下げ窓)とアーチ窓、外壁の角には隅石など洋風志向も取り入れた擬洋風建築と呼ばれる建築様式です。創建当初のままの面影を残す明治期の洋風建築は貴重な存在で、県下現存最古の擬洋風建築と言われています。

 かつては明治の初めに洋風の駐在所が建つくらい栄えた加治田の町ですが、今は静かな山里にゆったりとした時間が流れています。隣町の伊深自治会館とともに、この小さな古い駐在所が、いつまでもこの場所で時を刻んでくれることを祈るばかりです。


■旧加治田駐在所/岐阜県加茂郡富加町加治田291-1
 竣工:明治10年(1877)頃
 構造:木造2階土蔵造
 撮影:20010/3/22

 





建物の老朽化は進み壁は漆喰が剥げ落ちてぼろぼろです
来る度に「建っててよかった」と思わせるくらいの荒れ放題の状態です

 



むくり屋根のてっぺんにはかわいいウサギさんの鬼瓦がのっています





今回もウサギさんの無事を確認、来る度に両手を広げにっこり笑って出迎えてくれます





火の見櫓と古い洋風建築~過ぎ去りし街角の風景

 

 

 

 


旧伊深村役場庁舎(岐阜県美濃加茂市)

2010-03-23 | 中濃の近代建築

昨年わたしのHPのをご覧になった方から、岐阜県美濃加茂市伊深町の古い洋風建築の情報をいただきました。
ずっと気になっていたのですが、やっと現地に行ってきましたのでご紹介します。
 
場所は伊深小学校の南、JAめぐみの伊深の東隣で、玄関には伊深自治会館の看板が掲げてあります。近代建築の調査書などに記載がない為、建物の詳細は不明ですが、戦前の地方の洋風建築としてはかなり立派なもので、当初は役場などの公共施設として建てられたものと思われます。
(その後国の登録有形文化財の指定を受け、旧伊深村役場の庁舎と判明)

外観は木造平屋下見板貼り、コ字型の平面の両端に切妻の屋根を張り出し中央に和風のむくり屋根の玄関を設けています。両端の切妻の破風部分は縦に板を貼り下端を山切りカットにして外観に変化を持たせています。洋風を基調に和風デザインを取り入れた和洋折衷のデザインが特徴。

2016年国登録有形文化財指定を受け、創建時の外観に復元されました。2018年6月からカフェもオープンし、現在は地域のまちづくり拠点として再活用されています。


■旧伊深村役場庁舎/岐阜県美濃加茂市伊深町字円照899-3
 竣工:昭和11年(1936)
 構造:木造平屋 
 ※国登録有形文化財


■左右対称の堂々としたファサード



■窓枠と玄関ドアはサッシに変わっていますが後は当時の様子をとどめています

 


■玄関は数奇屋建築などに見られるゆるくカーブしたむくり屋根


 

■玄関の鬼瓦は「伊深」の銘が入った特注品



■玄関の柱に使われている花びらの釘隠し


春の明治村~カタクリの花

2010-03-22 | 明治村散歩
3月21日春分の日、何とか天気も回復し、市民無料招待デーを利用し明治村に行ってきました。
明治村の敷地にあるカタクリの群生地が公開されていて、薄紫のかわいい花を見ることができました。








明治村の桜はまだこれからですが、咲き始めている桜もありました。



愛知県庁大津橋分室(中区丸の内)

2010-03-17 | 名古屋の近代建築

■愛知県庁大津橋分室(旧愛知県信用組合連合会)/名古屋市中区丸の内3丁目4-13
 竣工:昭和8年(1933)
 設計:県営繕課
 施工:北川組
 構造:RC造3階、地下1階
 撮影:2010/3/14

10数年ぶりに丸の内から栄界隈の近代建築を訪ねました。
この地域は、庁舎やオフィスビル、銀行、デパートなどが建ち並ぶ戦前から賑わった名古屋の中心地で、名古屋の近代建築探訪の定番コースの一つになっています。
なかでも県庁、市役所の前を通る大津通に並んで建つ愛知県庁大津橋分室(下の写真向かって右)と伊勢久(株)は、戦後周りの風景が激変してゆく中、昭和初めの大津通の様子を今に伝える貴重な存在です。

愛知県庁大津橋分室は当時流行の表現主義風のデザインを採用、お約束の茶褐色のスクラッチタイルに角を丸めた外壁や彫りの深い装飾と丸窓など見所いっぱいで、昭和初期のモダンデザインをじっくり堪能できる近代建築ウォッチングには最適な建物です。


■名古屋市内では2軒並んで戦前の洋風建築が保存されている貴重な例


■角のゴシック風付け柱のある階段塔が特徴



■正面入り口の上やバルコニーに施された彫塑的装飾





■北側入り口の上の三連の丸窓



■外壁の角は丸みが付けられ軒下にもしっかり装飾が



■階段塔の北側にも付け柱と丸窓があります



■当時のままのスクラッチタイルが今も美しい表情を見せてくれます


 


中屋織物工業協同組合(岐阜県各務原市)

2010-03-10 | 失われた建物の記憶

■中屋織物工業協同組合/岐阜県各務原市成清町4丁目230
 竣工:昭和2年(1927)
 構造:木造2階
 撮影:1999/7
 ※取り壊し後駐車場

本格的に近代建築探訪を始めた頃に偶然見つけた物件です。
役所を思わせる立派な建物ですが、近代建築総覧には記載がなく、図書館で見つけた岐阜県近代化遺産総合調査報告書で竣工年が判明しました。
協同組合のある各務原市南部の稲羽地区は戦前から織物が盛んで、組合事務所も当時の繊維産業の隆盛を思わせるモダンな造りになっています。
戦後高度成長期頃までは不況知らずの繊維業界でしたが、昭和40年代を境に国内の繊維産業は斜陽の一途をたどり、織物工場は激減、この地区の個人経営の小さな工場もほとんどが廃業に追い込まれました。
組合事務所も老朽化により外壁や屋根の痛みがひどく、行く末が案じられましたが、数年前のある日、たまたま前を通ると建物は跡形もなく更地になっていました。
私にとっては取り壊された後も、いつまでも記憶に残る印象深い建物です。


■建物の規模に比べ玄関車寄が立派です
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/49/357318f6391f6974fc5b48c1f981a488.jpg


■建物両端の屋根を独立させて外観にアクセントを出しています
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/7a/cc70e7b77968c634df8a6f3639c63b28.jpg


■大正~昭和にかけて流行したセセッション風のデザイン
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/ba/f036020fc05f0e2964791837f4e44649.jpg


■換気口も糸巻き風のデザイン



■玄関扉上の糸巻きをデザイン化したステンドグラス
 室内から見られなかったのが残念です
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/dc/d2ad726f298138b27472bd86dec55305.jpg

 


後藤家木曽川別荘(岐阜県各務原市)

2010-03-08 | 失われた建物の記憶

■後藤家木曽川別荘/岐阜県各務原市鵜沼宝積寺町
 竣工:大正13年頃(1924)
 ※取り壊し撤去

後藤家木曽川別荘は、後藤毛織の経営者が当時日本ラインとして知られるようになった木曽川を見下ろす景勝地に建てた和洋折衷様式の近代和風の豪奢な別荘でした。
後藤毛織倒産後は転々と人手を渡り、最近は都築紡績が管理していましたが建物は荒れ放題、この不況の折、再生活用など夢のまた夢、城山荘とともに取り壊されました。
かろうじて建物の一部が近くの川上貞奴木曽川別荘の隣に建てられたブライダル施設に再活用され、当時の大金持ちの建てた夢のかけらを見ることができます。
詳細はわたしのHPの中の「失われた風景」をご覧ください。


■創建当時のままの外観が残る建物(撮影:1998/12)



■和洋中が渾然と同居する不思議なデザインの門と玄関





■2006年7月に訪れると建物は全て解体されかろうじて門柱だけが残っていました



■広大な更地が残る取り壊し跡
  手前の樹木に囲まれた敷地が後藤別荘跡、その奥は都築紡績工場跡地

撮影:2010/2

 

 


城山荘(岐阜県各務原市)

2010-03-07 | 失われた建物の記憶

城山荘/岐阜県各務原市鵜沼南町城山
 竣工:大正末~昭和初頃(1926)
 ※2002年取り壊し

木曽川に架かる犬山橋の北詰(各務原市側)にひときわ目を引く小高い岩山があります。
室町から安土桃山時代にかけて鵜沼城という城が建っていたため、城山と呼ばれたこの岩山の頂上に、数年前まで「城山荘」と言う古びた建物がたっていました。
大正の終わり頃、地元の名士により別荘として建てられた城山荘は、その後昭和40年代頃までは料理旅館として営業されていましたが、火災をきっかけに廃業され、長い間そのまま放置されたため廃墟同然の姿になっていました。
それでも何とか取り壊しをまぬがれ、長年にわたり犬山橋とともに大正~昭和の時代を偲ぶランドマーク的存在として人々に親しまれてきましたが、管理していた都築紡績の経営不振のため、すぐ上流にあった後藤家木曽川別荘とともに取り壊されました。
昭和の初から木曽川観光の拠点「日本ライン」として名を馳せた犬山橋周辺には、多くの別荘や旅館、観光施設が造られましたが、城山荘の撤去を最後に当時の様子を語る建物は全て姿を消しました。


■在りし日の城山荘(対岸の愛知県犬山市から望む)



■廃墟と化した城山荘~エレベーター用の塔が時代を語る



■城山荘の下を行きかうライン下りの船(2000年4月撮影)


■城山荘が撤去された城山(2010年2月撮影)

撮影場所/愛知県犬山市善光寺山公園


中京温泉 大観荘(名古屋市中村区)

2010-03-06 | 失われた建物の記憶

■中京温泉 大観荘/名古屋市中村区日吉町
 竣工:大正12年頃(1923)
 構造:木造2階

江戸時代から続いた大須の旭遊郭は、火災、風紀の問題で廃止され大正12年中村区の大門地区に移転、中村遊郭として生まれ変わり、昭和33年まで日本三大遊郭のひとつとして繁栄しました。
中村日赤の東側一帯の大門地区は、現時も当時の遊郭の面影を残す和風建築が残っており、その建物をそのまま利用した料亭や旅館が営業しています。
大観荘も玄関の唐破風や2階の連子窓、手摺など遊郭建築の特徴を残す建物でしたが、残念ながら取り壊されました。





上の写真は2002年4月に撮影したものですが、その後ほどなく取り壊されたようです。
跡地が気になりグーグルマップで調べてみるとスギ薬局大門店になっていました。


こんな所にアミダクジ

2010-03-03 | まち歩き
名古屋市の市政資料館近くで見つけたアミダ模様の面格子です。
ちなみに面格子とは、住宅の窓の外側に防犯などの目的で取り付ける金属製の格子で、縦、横、桝、クロス(ひし形)などが一般的で、アミダ模様の格子はあまり見たことがありません。
縦の線を一本選んで丸を付けたくなります。


採集場所:名古屋市東区



こちらは飾りのある縦の面格子。
どちらも昭和の香りが漂うかなりの年代物です。
現在主流のアルミ素材の面格子と比べるといかにも野暮ったいですが、何ともいえない味がありますね。


採集場所:愛知県江南市


採集場所:愛知県碧南市

橦木町の洋館(東区橦木町)

2010-03-01 | 名古屋の近代建築
■橦木町の洋館(E邸)/名古屋市東区橦木町2
 竣工:大正4年(1915)
 構造:木造2階
 撮影:2008/2/10

橦木館の並びに建つ洋館で、鬼瓦の位置にある煙突が目を引きます。
樹木と塀で遮られ、道路からは煙突のある屋根の一部しか確認できませんが、かなり本格的な洋館の風情が漂います。
当初は旧三井物産支店長宅として建てられました。