かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

飲食店のマッチ(3)~洋食・中華編

2015-09-20 | 昭和マッチコレクション

 

   
町の小さな洋食屋さんやレストランでの食事は心躍るものがあります。
ステーキ、ハンバーグ、エビフライ、ビーフシチューなど定番メニューは数あれど、私は洋食屋さんに入ると無性にオムライスが食べたくなります。
最近は卵が半熟のフワトロで、上に茶色のデミグラスソースをかけたちょっとオシャレなオムライスをよく見かけます。
しかし私は今でも昔ながらの正統派オムライスに心惹かれます。
ケチャップご飯を薄い卵で包み、その上に色鮮やかな真っ赤なケチャップと緑のグリンピースを数粒。
小さい頃デパートの食堂で食べたオムライスは、この赤・緑・黄の配色が鮮やかで、普段食べている家のごはんとは違う特別感がありました。
艶やかに輝く黄色い卵にスプーンをいれると、中からケチャップライスの赤い断面が現れ、もうそれだけでワクワクしたものでした。



 

  
現在はどこの町でも、北京や広東、四川料理など本格的な中華料理を出す店がたくさんあります。
しかし一昔前は、庶民が気軽に食べられる中華の代表といえば、ラーメン、チャーハン、餃子と相場が決まっていました。
ちなみに私が初めて本格的な中華料理を食べたのは大学に入ってからです。
中華といえばラーメンくらいしか知らなかった私が、初めて入った四川料理店で注文した「回鍋肉定食」の味は今でも鮮明に覚えています。
とはいえ、ラーメン、チャーハン、餃子はエビチリや麻婆豆腐などの新興勢力を押さえ、今も中華界のベスト3の座に君臨しているのは変わりがないようです。
現在は中華料理店とは別にラーメン専門店が台頭、有名店での行列は当たり前で、もはやラーメンは日本を代表するソウルフードといっても過言ではありません。



飲食店のマッチ(2)~和食編

2015-09-12 | 昭和マッチコレクション

和食の定番といえば、寿司・うなぎ・天ぷらといったところですが、最近ではすき焼き、しゃぶしゃぶ、焼肉といった肉料理も日本食を代表するメニューとして人気が高いようです。

専門店の和食も良いですが、私が一番好きなのは、いわゆる「大衆食堂」の和食や洋食です。
建築探訪などで初めての町を訪れ、さんざん歩いて腹を空かしたところで、街角のちょっと年季の入った大衆食堂へふらりと入る。
とりあえずビールを注文し、町歩きで渇いたのどに、「うぐうぐ」と冷えたビールを一気に流し込みまずは一息。
一緒に注文したつまみを待ちながらまたビールをぐびりぐびり。
そしてお待ちかね、到着したアツアツのカキフライ(その日の気分や店のメニューで注文は変わる)をほおばりながら、またビールを「うぐうぐ、ぷはあっ~」
大衆食堂の休日の昼下がりに過ごす時間は、ファミレスやマック、牛丼店では決して味わえない、至福のひと時を提供してくれるのです。


■和食のお食事処は、昔から外食の定番です
フランス、イタリア、中華、おいしい料理はたくさんあれど、やっぱりいつも食べるなら和食(日本食)です
 

 

 



 

 

 



飲食店のマッチ(1)~すし・うなぎ編

2015-09-06 | 昭和マッチコレクション

父のコレクションで喫茶店と並び数が多いのが飲食店の広告マッチです。
その中でも和食店の占める割合が高く、なかでも寿司と鰻の店はごひいきだったようです。

私の子どもの頃は、握り寿司(巻き寿司やいなり寿司は家庭でも作った)なるものは年に数回、お客さんが来た時の出前のご相伴にあずかるくらいで、鰻にいたっては食べた記憶がほとんどありません。
それでも時々父が寿司折を土産に買って帰る日があるのですが、そんな時はたいてい飲んでいて帰りが遅く、子どもの私は夢の中です。
酔うと機嫌がよくなる父は、帰宅すると母が止めるのも聞かず、寝ている私を起し土産の寿司を食べさせるのです。
こんな時でもなければめったに寿司は食べられないので、寝ぼけ眼をこすりつつ、夢うつつで握り寿司をほおばっていたのを覚えています。

庶民にとっては寿司も鰻も何か特別のイベントがなければ食べられない大御馳走で、現在とは比較にならないプレミア感がありました。
現在は回転寿司なるものが登場、鰻も輸入物がほとんどになり、昔と比べるとかなり身近な食べ物になりました。
昭和から30年近くが経過し現在でも、寿司と鰻は和食の代表としてその人気は根強く、特に回転寿司はリーズナブルな価格と多彩なメニューで、家族みんなで楽しめる外食店として不動の人気を維持しているようです。


■ほとんどが実家の近所の寿司屋さんですが、現在も営業している店は数えるほどです。
そう言えば昔は、漢字一字の魚の名前が書いてある寿司屋の湯飲みもよく見かけました。
  


 

 


■鰻を初めて食べに行ったのは高校生の時で、当時でも高級和食の代表でした
 

 


喫茶店のマッチ(5)~ワンポイントイラスト編

2015-08-29 | 昭和マッチコレクション

「店名ロゴだけではものたりないけど凝ったイラストまではどうも...」
という多くの喫茶店主のご要望にお応えしたのが、店名ロゴ+ワンポイントイラストのデザインです。
イラストの占める割合が少ないので、デザイン的にもすきっりしていてます。


  

  

 

 


■明治44年築の洋館旧中埜家住宅(重要文化財)を再活用した紅茶専門店(愛知県半田市)
残念ながら閉店してしまいました


 


喫茶店のマッチ(4)~店名ロゴ編

2015-08-26 | 昭和マッチコレクション

イラストにこだわったマッチも楽しいですが、シンプルに店名のロゴだけでまとめたデザインも捨てがたい。
アルファベット、漢字、ひらがな、カタカナと多種多様ですが、それぞれ字体に工夫を凝らしています。


  

  

  

 

 



■大正時代から続くカフェー(岐阜県恵那市明智町)



■「レモン」という店名ににじむ昭和の哀愁(愛知県一宮市)


喫茶店のマッチ(3)~ポップなイラスト編

2015-08-23 | 昭和マッチコレクション

喫茶店の思い出~その2

大学卒業後、就職して東京へ行ってからも喫茶店には大変お世話になりました。
チェーンストア担当の営業職だったので、都内はもちろん神奈川、千葉、埼玉など近県の喫茶店もよく利用したものです。 
特に夏場は外回りが多かった私にとって、冷房の効いた喫茶店はまさにいっぷくの清涼剤、オアシス的存在でした。 
入社したての頃は、先輩について取引先の本部(神谷町、五反田、日本橋など)へよく商談に行きました。
商談後は近くの喫茶店でまずはいっぷく。
忙しい仕事の合間、喫茶店でコーヒーを飲みながら先輩と過ごす時間は、私にとっては心休まるひと時でした。

独身時代に友人や先輩たちと行った数々の喫茶店。
今にして思えば、私にとっての喫茶店は、一番身近にあるほっと一息つける癒しの空間だったようです。
 

 

■イラストにも70~80年代の時代の匂いを感じます
 


  

  

  

  


■ツタの絡まる雰囲気のある喫茶店(岡崎市)



■東海地方ではおなじみのコメダですが、最近は全国へ広がっているそうです(名古屋市昭和区)




喫茶店のマッチ(2)~こだわりのデザイン編

2015-08-19 | 昭和マッチコレクション

喫茶店の思い出~その1

大学の4年間、喫茶店には大変お世話になりました。
突然の休講や次の講義まで時間があると、よく大学の近くの喫茶店やビリヤード場で時間をつぶしたものです。

友人と扇町の学生相談所(通称:学相)でバイトを探した帰りは、東梅田界隈の輸入盤専門店を冷やかし、当時オープしたばかりの阪急グランドビル32番街のダイガというレコード店により、最後は同じビルの英國屋というちょっと高級な喫茶店へ入るのが楽しみでした。
当時の英國屋は店内のゴージャスな雰囲気と、ウエイトレスのオネエさんのかなりきわどいミニスカートが売りで、貧乏学生にとってはこれがバイト代の入った時のささやかな贅沢でした。

残念ながらその当時の喫茶店のマッチはひとつも残っていませんが、コーヒー1杯で友人たちと過ごした時間は、今になると良い思い出です。



■喫茶店のマッチは店の数だけオリジナルのデザインがあるので見ていて飽きません
 

 

 

 

   

  

 

 

 


喫茶店のマッチ(1)~昭和の匂い編

2015-08-15 | 昭和マッチコレクション

わたしの地元中京圏(特に愛知、岐阜)はとにかく喫茶店が多い。
現在は「コメダ」や「らんぷ」などに代表されるチェーン店が増えましたが、昭和の頃は喫茶店と言えば地元に密着した個人経営の小さな店がほとんどでした。

愛知・岐阜のほとんどの喫茶店は、午前中はコーヒー1杯の値段でトーストにゆで卵がつく、いわゆる「モーニングサービス」というものをやっていて、地元の人々はこれを目当てに朝からよく喫茶店に入ります。
店によってはさらにサラダ、味噌汁、デザートなどこれでもかのサービスをしてくれるので、サラリーマンはもちろん休日ともなれば家族そろって朝食は喫茶店のモーニングという光景は昔から変わりません。

モーニング以外にも昼はランチサービス、その他の時間でもコーヒーを頼めば自動的に豆菓子などがサービスでついてくるのは当たり前で、この地域の人々は「とりあえずお茶でもしながら」ということで、コンビニ感覚で喫茶店に入ってしまうのです。

というわけで、タダでもらえるマッチの代表といえば、喫茶店のマッチ。
仕事の合間に近所の喫茶店でちょっと一息。
コーヒーを頼み、くたびれたビニール張りのイスに腰掛けまずはタバコをいっぷく。
当時のマッチ箱を見ると、そんな父の日常が浮かんできます。(^。^)y-.。o○



  
■昭和の純喫茶らしい雰囲気が漂うデザイン


  
■店名にも昭和がにじむ


 
■和風テイストがたまりません





■地元の常連客が集まる憩いの場
昔はこういう昭和な喫茶店がどこの街角にもありました(名古屋市)



マッチ箱に見る昭和

2015-07-29 | 昭和マッチコレクション

最近日常で、マッチというものをあまり使わなくなった気がします。我が家でもマッチを使う機会は、仏壇のロウソクに火をつけるときくらいで、火を使う製品(コンロやストーブ)には着火装置が付き、電磁調理器の普及もあり、一般家庭ではマッチは影の薄い存在になってしまいました。

思えば私が子どもだった昭和40年代頃までは、大箱の徳用マッチはもちろん、家の至る所で飲食店などの店名が入ったマッチの小箱を見かけたものでした。当時マッチはあらゆる着火に広く用いられ、無料でもらえる銀行や喫茶店などの広告入りマッチはどこの家庭でも重宝したものです。

マッチがまだ生活に密着していた頃は、タダでもらえる店名入りのオリジナルマッチを蒐集するコレクターもたくさんいました。実は数年前に他界した私の父もマッチコレクターだったらしく、父の部屋の押入れにあった有田みかんの段ボール箱から、飲食店などで蒐集した大量のマッチを発見しました。

昭和50年代当時のマッチ箱を眺めていると、各店オリジナルの多種多様なデザインに思わず感心してしまいます。小さなマッチ箱には店名のロゴやイラストが描かれているのですが、まさにひとつの作品と呼ぶのにふさわしい出来栄えで、なかなか奥の深いものです。今はネットで店の情報がすぐ手に入る時代ですが、昭和の時代ならではの告媒体としてのマッチ箱は、レコードジャケットと同じように、今だからこそ面白いアナログ的アートな世界が楽しめます。

父が生前集めた「昭和のマッチコレクション」、このままお蔵入りするのはあまりに忍びないので、このブログでそのアートな世界を紹介することにしました。小さなマッチ箱に拡がる昭和な雰囲気を皆さんも楽しんでください。



■今では珍しい自治体がたばこ販売促進用に配布したマッチ。
「今日も元気だ たばこがうまい」は昭和世代の人にはおなじみのフレーズ。
しかし、たばこ離れが進む現代と比べると隔世の感が否めませんが、こんな時代もあったのです。

 

■たばこ購入時についてきた、たばこのパッケージをデザインしたマッチ。
ハイライトは昭和40年代、父に頼まれてよくたばこ屋にお使いに行ったものでした(当時確か80円)
ショートホープの中箱の裏側には謎の2桁の数字(製造番号か?)が印刷されていました。
大学生の頃、すべての数字を集め専売公社へ送ると粗品がもらえるという都市伝説を聞いたことがあります(笑)
  

  


■たばこ屋さんなどで購入するマッチには色々なシリーズがありました。
下は「世界の旅シリーズ」と「わらべ唄」シリーズ。
 

■たばこ屋のショーケースの変遷~左から順に戦前、昭和30~40年代
  


平成26年現在の成人男子喫煙率は30%ですが、私がたばこを吸い始めた大学生の頃(昭和50年代初め)の喫煙率は実に75%でした。当時は友人たちと喫茶店に入り、暇にまかせて灰皿が吸殻の山になるまでねばったものです。
どんな小さな喫茶店にも必ず店名入りのマッチが常備され、灰皿の横に置いてあったり、店の人に声をかけるとすぐに持ってきてくれました。その頃は100円ライターも普及し始めていましたが、喫茶店のマッチはなんとなく持ち帰り、気がつくといつの間にかマッチ箱がたまっていたものです。


■最近は現役で営業中の昭和のたたずまいを残すたばこ屋も少なくなりました。