かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

中川運河・名古屋港の近代化遺産(3)~中川橋(名古屋市港区)

2015-03-29 | 近代橋めぐり

 中川口閘門からすぐ下流、名古屋ガーデンふ頭の大観覧車の脇に赤いアーチ型の橋が見えます。中川運河最下流に設けられた中川橋で、昭和5年(1930)に架橋されました。戦前のアーチ形式の鋼橋のなかでも、万年橋(東京)、枝光橋(福岡)と並ぶ現存最古のブレーストリブ・タイドアーチで、歴史的にも価値の高い近代土木構造物です。

 訪問時はちょうど橋の架け替え工事(平成29年開通予定)の真っ最中で、現中川橋は上流に移設され、下流側に仮設の橋による迂回路が開通していました。名古屋市のHPによると、現在の中川橋を再利用した架け替え工事ということで、現在の橋を仮設橋脚へ移設(横取り)し橋の基礎となる橋台を構築後、現橋を元に戻す予定のようです。その際アーチ橋部分のみでは道路幅が狭いため、現アーチ橋は金城ふ頭方面(下流側)に設置、新たに築地口方面(上流側)に橋(非アーチ橋)を架け、計約30mとなるように整備されます。

 今回の架け替え工事は橋を丸ごと新しく架け替えるのではなく、橋台の耐震工事の後、拡幅箇所は新たな橋桁を架設し対応するという工法を採用し、現在の中川橋はそのまま残されることになりました。戦前の近代化遺産を市の財産として保存再利用するという名古屋市の取り組みは素晴らしいもので、名古屋市長の河村さんはじめ、関係者の方々の英断と努力に拍手です。

※横取り工法とは~
・移動させる橋をスライドジャッキでジャッキアップ
・既設橋台と仮設橋脚の間にH形鋼のレールを設置
・橋をスライドジャッキで支えたまま、水平ジャッキのアームを伸張して横スライド
・この手順を繰り返し、仮設橋脚まで移動し仮固定


■横取り工法で仮設の橋脚まで移設された中川橋(上流の中川口閘門側から望む)



■現在は金属製の仮設橋台に固定されています



■下流側迂回路の仮橋から望む



■戦前に造られた橋脚の耐震工事がすすめられています(一部石積みの部分が歴史を感じさせます)



◆中川(なかがわ)橋/名古屋市港区築三町~西倉町
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:鋼ブレーストリブ・タイドアーチ
 製作:大阪鉄工所
 撮影:2015/03/21 


中川運河・名古屋港の近代化遺産(2)~中川口閘門・取水門(名古屋市港区)

2015-03-25 | まちかどの20世紀遺産

 平和橋から東へ向かい中川運河沿いを名古屋港へ下ると、国道23号線の高架の下に中川口閘門が見えてきます。中川運河は名古屋港と都心の旧国鉄笹島駅を結ぶ閘門式運河で、堀川の水運の能力に限界が生じたため、新たな物流幹線として昭和5年(1930)に竣工しました。閘門式とは、水門で仕切った区画(閘室)の水量調節により、水位の異なる河川や運河間で船を昇降させ運河内外へ通過させる仕組みで、パナマ運河もこの方式です。中川運河では、中川口閘門で船を運河に出入りさせると同時に伊勢湾と水位を隔てて、運河内の水位を一定に保つように設計されています。

 中川運河には上流に松重閘門も設けられましたが、現在は埋め立てられ公園になっていて閘門としての役割は果たしていません。中川口閘門は現在も現役で活躍中で、大雨の際には海側に中川運河の水を強制排水し、市内の冠水を防いでいます。


■中川運河側から中川口閘門を望む(上は国道23号の高架)



■中川運河側の閘門



■閘室内運河側扉



■閘室内名古屋港側扉



■名古屋港側から閘門を望む~中央の緑の建物は中川口ポンプ所



■名古屋港側閘門



■中川口取水門
中川運河の水位調整用で7門の扉が設けられている(昭和48年ポンプ導入排水用→平成2年浄化用に)



■中川閘門から下流名古屋港側を望む~ガーデンふ頭の大観覧車と中川橋が見えます

撮影:2015/03/21


◆中川口閘門/名古屋市港区中川本町~熱田前新田
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:鉄

◆中川取水門(旧中川口放水門)/名古屋市港区熱田前新田
 竣工:昭和5年(1930)
 構造:RC水門(石張)



中川運河・名古屋港の近代化遺産(1)~平和橋(名古屋市港区)

2015-03-22 | 近代橋めぐり

今回は名古屋市港区の中川運河~名古屋港周辺に残る近代化遺産を訪れました。

まず最初の目的地は、地下鉄名城線港区役所駅で下車、駅のすぐ北側にある港北公園です。
この港北公園一帯は、昭和12年(1937)我が国初の国際的博覧会として開催された名古屋汎太平洋平和博覧会の会場になった場所で、海外から29ヶ国が参加、57のパビリオンが建ち並び、会期78日間で総入場者数は480万人は、戦前の博覧会としては日本最多を記録しています。

博覧会のために堀川と中川運河を結ぶ水路に架けられたのが平和橋で、水路が埋め立てられ港北公園がつくられた時に平和橋はそのまま江川線の陸橋として生き残りました。
現在博覧会当時に建設されたパビリオンはほとんど現存せず、博覧会名にちなんで平和の二文字をとって名付けられた平和橋だけが唯一博覧会の跡をとどめる貴重な建造物で、名古屋市の認定地域建造物資産に認定されています。
(他には旧迎賓館の蘇山荘が東区の徳川園に移築され現存しています) 


■平和橋全景(東側)~橋の下を東西に流れていた水路を埋め立て、そのまま公園にしたのが良く分かります


■会場跡地に造られた港北公園~花壇の中央には、博覧会開催の歴史を伝える説明板が設置されています



■「名古屋汎太平洋平和博覧会と平和橋」の説明板~当時の会場や平和橋の様子が写真付で良く分かります
わたしの世代は博覧会と言えば大阪万博が印象に残っていますが、
戦前に東京ではなく名古屋で国際的博覧会が初めて開催されたのは興味深いところです。



■会場案内図



■博覧会ポスター



■博覧会宣伝用の年賀はがき



■博覧会会場のパビリオン(当時の絵はがき)
 


■親柱は当時流行のアールデコ風のモダンデザイン(北東側)



■広いテラス状の橋詰(北東側)



■桁に製作者の銘の入ったプレートがあります



■西側全景





■北西の親柱~橋名(漢字)と竣工年のプレートが別々に設置された珍しいタイプ



■昭和十一年十月竣工の銘が入る



■橋の下の車止めも高欄の支柱に合わせた丸みをつけたデザイン


◆平和橋(へいわばし)/名古屋市港区港栄1 
 竣工:昭和12年(1937)
 施工:石原治郎 
 構造:RC・鉄 
 撮影:2015/03/21
 ※名古屋市認定地域建造物資産 

 




名古屋城外堀の名鉄瀬戸線遺構(名古屋市東区)

2015-03-15 | まちかどの20世紀遺産

 現在名鉄瀬戸線(前身は瀬戸電気鉄道)は、尾張瀬戸~栄町間を運行していますが、昭和51年(1976)までは景雲橋東の堀川がターミナル駅でした。瀬戸~堀川間が全通した明治末当時は、瀬戸方面からの「瀬戸物」の荷を堀川で船に積み替えるため、堀川のそばをターミナル駅にする必要があったわけです。名古屋城の東側~南側の空堀だった外堀の中を通っていたため、お堀電車と呼ばれ親しまれましたが、堀川の水運がすたれると繁華街の栄町にターミナル駅が移され、外堀を通る区間は廃線となりました。

 現在も東から南側にかけての外堀は瀬戸電が走っていた頃のままで、大津町駅の跡や本町橋の煉瓦アーチの狭いトンネルなどが当時のまま残っていて、かつてのお堀電車が走っていた時代の面影を伝えています。


■かつて線路があった空堀もそのままで、大津橋の南側に残る大津町駅の跡には、ホームへの階段がそのまま残されています。





■本町橋の狭いトンネル(東側)~この辺りに本町駅のホームがあったようです。



■石積と煉瓦アーチが当時のままの姿で残る本町橋西側。
トンネルの幅が狭いため、一時的に複線から単線にするガントレットと言う珍しい方式を採用、鉄道ファンには有名なスポットでした。



■新御園橋~こちらは本町橋よりかなり新しいためトンネル幅が広く複線に対応しています。



■御園橋の西側に堀川駅がありましたが、現在は空き地になり駅の痕跡は皆無です


昭和40年代終わり頃の堀川~本町の様子がご覧になれます→お堀を走っていた頃の瀬戸電  
このHPの写真を見ると、40年前に名古屋の官庁街の真ん中にまだこんな風景があったとはかなりの驚きです。
どこか地方の小さな町のローカル線の風景だと言われても何の違和感もありません。
近代的なオフィスビルの谷間にこんな隠れ里的スポットがあったとは!
 


旧小幡発電所(名古屋市守山区)

2015-03-04 | 失われた建物の記憶

 名鉄瀬戸線喜多山駅の北側にあった旧小幡発電所は数年前に取り壊されましたが、今回1月の瀬戸訪問の帰りに車窓から更地になった跡を確認できました。この建物は瀬戸電気鉄道が動力用の電力供給のために建てた自前の発電所で、全国でも珍しい現存する明治期の火力発電でした。その後電力会社の電力供給が安定し、変電所に改造され昭和53年に廃止されるまで現役で稼働していました。

 建物は明治期の発電所によく見られる煉瓦造で、木造の建物が棟続きになっていました。下の画像は2006年に訪れた時のものですが、建設から100年、廃止されてから30年近くが経過した建物は、ツタに覆われさすがに廃屋同然の状態でした。建物周辺はほとんど駐車場になっていて、古びた煉瓦造りの建物だけがぽつんと建っていて、取り壊されるのも時間の問題という状態でしたが、やっぱりその後数年で取り壊されたようです。


■旧小幡発電所/名古屋市守山区喜多山
 竣工:明治43年(1910)
 構造:煉瓦・木造
 撮影:2006/04/29


■鉄道沿線には戦前の発電所や変電所が多数ありましたが、そのほとんどが姿を消してしまいました



■ツタに覆われた北側壁面に当時の受電口が残っていました



■建設以来一世紀近くの時を刻んだ明治の煉瓦建築も、一瞬でこの世から消えてしまいました~合掌



■名鉄岩倉変電所(明治45年/1912)~明治村に移築保存
名鉄犬山線開通時に建てられた変電所。赤レンガに半円アーチの白いキーストーンがアクセントになっている。