かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

垂井宿の洋風建築(岐阜県不破郡垂井町)

2014-11-01 | 西濃の近代建築

南宮大社の一の鳥居のある交差点から257号線を北へ向かった左手に戦前物件と思われる洋風建築を発見。おそらく垂井宿で唯一の戦前の本格的洋風建築と思われますが、文献等全く未掲載のため詳細は定かではありません。

外観はモルタル塗りで石貼り風の目地を切り、玄関脇にドーンと2本の円柱を立てているのが目を引きます。正面中央に玄関を設けオーダーを配した左右対称の外観は、銀行建築などに良く見かける手法なので、竣工当時は金融機関などに使われていた可能性が考えられます。垂井宿に残る戦前の建物はほとんどが和風建築なので、近代の垂井の町並みの面影を残す貴重な洋風建築としてこれからも残ってほしい建物です。

 
■ファサード中央上部はなだらかな山型で、彫の浅い装飾は看板建築風
上部の6箇所の正方形の跡には、建物の名称が掲げてあったと思われます




■玄関廻りに施された幾何学模様の装飾が見どころ



撮影:2014/09/28


旧矢橋亮吉邸洋館・南洋倶楽部(岐阜県大垣市)

2014-10-12 | 西濃の近代建築

今回の美濃赤坂訪問は、大理石王矢橋亮吉の洋館を見るのも目的のひとつです。明治~昭和初期にかけて、日本全国に一代で財を成した「〇〇王」と呼ばれた企業家たちが多数あらわれました。
矢橋は日本の近代建築に使われている大理石のほとんどを担ったまさに大理石王で、三重県桑名の山林王諸戸清六とともに東海地方を代表する実業家のひとり。明治維新からの殖産興業による近代産業発展にともない、石炭王、生糸王、タバコ王、ワイン王、鉄道王などなど様々な産業分野で王様と呼ばれる実業家たちが輩出しました。そして彼らはその成功と富の象徴とばかりに、こぞって当時としては最高の贅を尽くした西洋館を建てたのでした。

矢橋邸洋館もご多分に漏れず、贅を尽くして建てられた洋館のひとつです。地元金生山をはじめ国産最後の貴重な大理石(当時大正末にはほとんど輸入大理石に切り替わっていた)が邸内各所にふんだんに使われています。
今回は非公開の邸内を見ることはかないませんでしたが、大理石王の建てたこだわりの洋館の外観を垣間見ることができました。

矢橋本社から細い路地を隔てた南側、周囲を高い塀と深い木立で囲まれた広い敷地内の北側に矢橋家の旧住宅があります。東西に三棟の住宅が並んでいますが、和館の本館を中央に両脇を洋館がはさむように建っています。東側の小さな洋館と和館は初代亮吉が建てたもので、西側の大きめの洋館は次男の二代亮吉が結婚を機に新婚生活をおくるため新築しました。

西側洋館の外観はドイツのユーゲントシュティールやセセッションと言われる表現主義風のデザインで、途中で折れた急勾配の大屋根やドイツ壁、二階南面の大きな半円形の窓(浴場窓)などにその特徴を見ることができます。
邸内一階の広いサンルームには白大理石が敷きつめられ、壁の巾木や引き戸の鏡板、暖炉などにも各地の国産最後の大理石をふんだんに使い、屋敷全体が当時の国産大理石の展示場になっています。とくに暖炉には矢橋の原点ともいえる金生山で採れた茶色の石が使われているのが興味深いところです。
大理石ともう一つの見どころは邸内随所に見られる色とりどりのステンドグラス。植物をモチーフにした定番のデザインから、シカ、フクロウなど見どころ満載のステンドグラスが新婚家庭の洋館にふさわしい明るさを演出しています。

矢橋は全国各地の明治~昭和戦前期の建築の石材を一手に担い、矢橋抜きでは日本の近代建築は語れないといっても過言ではありません。現在でも日本銀行や国会議事堂、東京駅をはじめ、各銀行の本支店、地元東海地方では名古屋松坂屋、愛知県庁、名古屋市役所、旧岐阜県庁などに矢橋の手がけた大理石を実際に見ることができます。

床の間の置物からはじまり、暖炉から建築へと進出、近代建築にその名をとどめ設立100周年を迎えた矢橋は、現在も赤坂の石材産業をけん引し国内トップシェアを誇っています。その矢橋親子の業績と国産大理石の歴史を物語るかのように静かにたたずむ美しい白亜の西洋館。これからもゲストハウス南洋倶楽部として大切に保存され、幸せな余生を送っていくことでしょう。

◆旧矢橋亮吉邸洋館・南洋倶楽部/岐阜県大垣市赤坂町矢橋大理石(株)敷地内
 竣工:大正13~14年頃(1924~25)
 設計:岡村徳一郎
 構造:木造2階建
 撮影:2014/09/28

※建物の詳細は、建築探偵・近代日本の洋館をさぐる10↓
https://www.youtube.com/watch?v=NnSk0EzUO_A

 

■建物西側外観~ディテールにこだわった本物の西洋館だけが持つオーラが漂います
大屋根が途中で折れているのが分かるが、正面南側の特徴的外観が見られないのが残念!



■北隣に古い木造の建物が残る



■建物北側外観~大きな石貼りの煙突は本格的西洋館の必須うアイテム



■縦長の窓にはお約束のステンドグラス(ユリの花模様)~邸内から見られないのは残念です



■初代亮吉が建てた東館外観
隣の和館とセットで建てられたもので、和館+洋館の大正期の邸宅の典型的なかたち
外観は装飾的な木枠を見せるハーフティンバー風仕上げで洋館らしさを演出





■窓枠の装飾にも当時流行のセセッション風デザインが施されています




大垣市守屋多々志美術館/旧大垣貯蓄銀行ビル(岐阜県大垣市)

2014-01-13 | 西濃の近代建築

大垣城の東側、南北に走る美濃路(県道57号線)と東西に走る県道237号線の郭町交差点の北東角に真っ白に塗られた3階建のビルがあります。外観からは銀行のようなイメージを受けますが、元々は昭和初めに大垣貯蓄銀行の本店として建てられたものです。大垣貯蓄銀行→名鉄マルイ百貨店→大垣共立銀行と変遷し、現在は大垣市出身の日本画家、守屋多々志美術館として再生活用されています。

昭和に入り、建築デザインは極力装飾を排除したモダニズムへ向かいますが、この建物はまだ壁面や1階の柱などに様式建築の名残ともいえる幾何学模様の装飾をまとっています。近代建築ファンにとっては、だだの四角い箱(インターナショナル・スタイル)のトーフ建築ではあまりに見所が少なく面白みに欠けるので、ある意味戦前の近代建築の見どころを残してくれているおいしい作品なのが嬉しいところです。

設計は岐阜を代表する建築家河村鹿市で、彼の代表作である表現主義の傑作岐阜教育会館が取り壊されたため、県下でも現存する数少ない貴重な作品となってしまいました。この建物は岐阜教育会館に比べると見た目は地味ですが、様式とモダニズムのはざまを駆け抜けた表現主義の名手、河村鹿市の名人芸がいかんなく発揮された傑作です。


◆大垣市守屋多々志美術館(旧大垣貯蓄銀行ビル)/岐阜県大垣市郭町2-12
 竣工:昭和3年頃(1928)
 設計:河村鹿市
 施工:大林組
 構造:RC造3階建
 撮影:2013/11/23


■2階以上の壁面に全く開口部がないので、(後に改築か?)まさにコンクリートの箱のような外観ですが、壁面を立体的に仕上げて柱が並んだような効果を出し、随所にある簡略化された装飾がアクセントになっているので、細部を見る楽しみは残されています。








イビデン(株)西大垣変電所(岐阜県大垣市)

2014-01-06 | 西濃の近代建築

大垣駅の南西、養老線の西大垣駅のすぐ北側に大正期に建設された煉瓦造の変電所が残っています。そのレトロな外観から受けるイメージとは異なり、正門の脇には「イビデン(株)西大垣変電所エネルギー統括部・イビデンエンジニアリング(株)メンテナンス事業部」といういかにも現代風の名称がつけられています。大正期の煉瓦造の建物が、発電所の遠隔操作など、エネルギーを統括する集中センターとして有効活用されている様子は、近代建築ファンにとっては嬉しい限りです。旧鐘紡の煉瓦倉庫と同様、赤煉瓦の建物にはノスタルジーをかき立てる魅力があり、いつまでも街角の原風景として残してほしい建物のひとつです。


◆イビデン(株)西大垣変電所エネルギー統括部/岐阜県大垣市西崎町4-1
 竣工:大正10年(1921)
 構造:煉瓦造2階建
 撮影:2013/11/23


■屋根などは葺き替えられ改修を受けていますが、煉瓦造の外壁は竣工時のままで美しい姿を保っています











三甲テキスタイル(株)事務所・倉庫(岐阜県大垣市)

2014-01-04 | 西濃の近代建築

大垣は10年以上前に一度訪れていますが、今回は現存確認と画像の更新もかねて、JR大垣駅周辺の徒歩圏内の近代建築を訪ねました。

まずは大垣駅の北西、県道18号線(赤坂街道)沿いにある旧鐘紡大垣工場に向かいました。大垣駅から線路沿いに西へ向かい、県道18号で東海道本線の下をくぐると左手に白い洋風建築の事務所と赤煉瓦の倉庫らしき建物が見えてきます。元々は大正2~3年頃に後藤毛織の大垣工場として建てられたものですが、昭和11年に鐘淵紡績(後のカネボウ)に合併され、その後売却され現在は三甲(サンコー)テキスタイルの所有となっています。

岐阜県西濃地方は、豊富な地下水と水力発電所による安定した電力、東海道線沿いという好立地条件から、大正期以降多くの繊維工場が進出しましたが、その頃の建物は戦災を受けたり、その後取り壊されてほとんど残っていません。現在残る事務所と倉庫は、大正期の織物工場の様子を今に伝える貴重な近代化遺産で、また後藤毛織関連の建物としては、木曽川別邸と長良別邸(後関の孫六苑「阿房宮」)が取り壊されたため、県内では最後の遺構になってしまいました。


◆三甲テキスタイル(株)事務所・倉庫(旧鐘紡大垣工場・後藤毛織大垣工場)/大垣市室村町3-74
 竣工:事務所/大正2年(1913)、倉庫/大正3年(1914)
 構造:事務所/RC造2階、倉庫/煉瓦造
 撮影:2013/11/23


■街道沿いに建っているのでよく目立ちます



■外壁が白く塗られた事務所棟
軒先の蛇腹や窓廻り、壁面、隅の柱、玄関の装飾などに大正期の洋風建築らしさがうかがえます



■玄関の庇はむくり屋根風で、鉄骨の支えは蔦草をあしらったアール・ヌーボー風



■赤坂街道沿いに南北に建つ煉瓦造の倉庫
当初は南北二棟の倉庫が残されていましたが、現在は南棟のみが現存しています