かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

油勘商店(愛知県西尾市)

2011-11-30 | 西三河の近代建築

西尾建築散歩 その2~油勘商店

西尾小学校の東側、古い町屋の並ぶ須田町線の通りにひときわ目を引く瀟洒なタイル貼りの事務所が建っています。
玄関扉や窓枠がサッシに変えられ外壁も比較的美しく保たれているため、そんなに古い建物には見えませんが、昭和11年竣工の築75年になる近代建築です。
表通りに面した東側正面の外壁には全面タイルが貼られ、1階部分の腰壁は花崗岩が貼られています。
外観は平面的で端正なデザインですが、玄関廻りはテラッコタの装飾が施され当時流行の表現主義的な指向も感じられます。
古い町屋や商店が並ぶ通りで、ひときわ異彩を放つ昭和モダンな雰囲気を感じさせる貴重な近代建築です。

◆油勘商店/愛知県西尾市須田町64
 竣工:昭和11年(1936)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/25







玄関廻りのテラッコタが見どころ



隣の伝統的な日本家屋と対照的なタイル貼りの洋風建築


西尾劇場(愛知県西尾市)

2011-11-27 | 西三河の近代建築

西尾建築散歩 その1~西尾劇場(旧竜城劇場)

今回、西尾の町を訪れるのは6年ぶりです(前回は2005年)
6年前と比べ取り壊された近代建築もありますが、どこか懐かしい西尾の町並みは以前のままで、ゆっくり町歩きを楽しめました。

愛知県西尾市は西三河南部に位置し、古くから松平六万石の城下町として栄えました。
名鉄西尾駅の西側一帯は旧城下町の中心部で、城下町特有の細い路地や昔ながらの町並みが残っていて、昭和レトロな商店や戦前の近代建築も数多く残っています。

最初に訪れたのは西尾駅のすぐ西側の花ノ木町に残る昭和の映画館です。
前回訪問時もかなり老朽化が進んでいたので、とりあえず建物を確認して一安心。
文献によると昭和15年岡崎公園の西側にあった竜城劇場を現地に移築、建築年は不明ですが元々は芝居小屋として建てられたため、回り舞台や花道、桟敷席なども設けられていたようです。
戦後は演劇だけではなく映画上映、歌手の公演などに使われるようになり、昭和43年からは映画館として営業されています。

◆西尾劇場(旧竜城劇場)/愛知県西尾市花ノ木町4丁目12
 竣工:不明~昭和15年(1940)移築
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/25

 


まさに映画の黄金時代を今に伝える昭和レトロな映画館
昭和40年代頃まではこんな映画館が日本各地に存在しました






『これでいいのだ 映画★赤塚不二夫』を6月25日から公開中らしいが?もう3ヶ月のロングランです
ちなみに看板は手描きです!ニャロメとチビタが懐かしい~



角柱が並ぶファサードはかなりの年季が入っています
色のはげた「西尾劇場」の文字に哀愁がただよう



入場券売り場~周りに貼られた豆タイルが昭和を語る

 


旧青柳橋親柱(岐阜県美濃加茂市)

2011-11-25 | まちかどの20世紀遺産

飛騨川に架かる青柳大橋の傍らに旧青柳橋(2代目)の親柱と鉄骨の一部が保存されています。
初代は明治24年に木製の吊り橋として架橋、昭和2年に2代目に架け替えられ、平成9年にすぐ上流に現在の3代目青柳大橋が開通しました。
かつて2代目青柳橋が架かっていた跡地には、親柱の傍らに「青柳橋のうつりかわり」と題した掲示板が設置され、初代~3代目の青柳橋の写真と説明文が掲示されています。


2代目青柳橋跡地~かつての橋に続く道路が寸断され、親柱と鉄骨が残されています
すぐ右手(上流)に平成9年に開通したコンクリート製の青柳大橋があります



昭和2年7月竣功の文字が刻まれた立派な親柱

 


青柳橋の変遷を説明した写真つきの掲示板(撮影:2007/04/08)





木曽川橋梁~JR東海 太多線(岐阜県美濃加茂市~可児市)

2011-11-24 | 近代橋めぐり

◆木曽川橋梁~JR東海 太多線/岐阜県美濃加茂市川合町~可児市川合
 竣工:大正15年(1926)
 構造:鋼プラットトラス+プレートガーダー
 施工:鉄道院
 撮影:2007/04/08

木曽川に架かる太多線の橋梁で、美濃加茂市と可児市を結んでいます。
すぐ下流に今渡ダムと今渡発電所(S14)があります。

 


2連のプラットトラス部分~下流に見えるコンクリートは今渡ダム(可児市側から撮影)

 

 


可児駅~JR東海 太多線(岐阜県可児市)

2011-11-23 | 木造駅舎の旅

太多線は文字通り美濃太田と多治見を結ぶ路線で、可児駅は可児市の中心広見町の西に位置しています。
開業は大正7年で、昭和3年太多線全線開通と同時に現在地に移転しました。
赤い屋根に外壁は白ペンキ塗りのいかにもローカル線の木造駅舎らしい雰囲気です。
すぐ隣りに名鉄広見線新可児駅があります。

◆可児駅~JR東海 太多線/岐阜県可児市下恵土1254
 竣工:昭和3年(1928)
 構造:木造平屋建
 撮影:2011/10/10









駅舎の玄関前に昭和3年から61年まで使用された腕木式信号機が保存されています
全国でも当時のまま保存されている信号機は珍しいということです

 

 

 

 


可児川駅~名古屋鉄道 広見線(岐阜県可児市)

2011-11-20 | 木造駅舎の旅

名鉄は古い趣のある木造駅舎が多数残っていましたが、最近は谷汲駅や八百津駅、布袋駅などの名駅舎が取り壊され、戦前からの駅舎は数えるほどになってしまいました。
可児川駅も平成19年に駅集中管理システムが導入され、駅舎の外装やホームが改装されましたが、駅舎自体は取り壊しをまぬがれ現在も開業時の面影を残しています。

可児川駅は大正14年に「ライン遊園駅」として開業、ライン下りの起点が隣の今渡駅に移る昭和44年まで、ライン下りの下車駅として賑わいました。
観光駅らしく赤い三角屋根やファサードのアールデコ風の柱など遊び心が漂う木造駅舎でしたが、下見板の外装やホームの木造待合室が撤去されたのは残念です。

現在は駅の近くにカヤバ工業や大王製紙があり、工場の通勤駅になっていますが、休日には鳩吹山登山のために利用する人も見られ、往時の観光駅の面影が蘇ります。


◆可児川駅~名古屋鉄道 広見線/岐阜県可児市土田北割田1356‐7
 竣工:大正14年(1925)
 構造:木造平屋
 撮影:2011/10/10



柱や出入り口に幾何学的モチーフが見られるアールデコ風デザイン


待合室の木造ベンチが良い雰囲気を醸し出しています





平成11年当時の可児川駅
現在の駅舎(上の写真)と比べると外壁の下見板がトタン張りになり妻側のデザインも変更されています






ホーム側から見た駅舎~赤い三角屋根は健在ですが外壁はすべて改装されました






年代物の待合室とベンチもすべて撤去され、上の写真のようないかにも殺風景なホームになってしまいました


動物バリケード繁殖中

2011-11-16 | まち歩き

最近町で動物型のバリケードをよく見かけます。
形態としては、動物の形をした樹脂製のスタンドにポールを二本渡したもので、正式名称は「単管バリケード」と言うそうです。
これまでに、うさぎ、アヒル、カッパ(動物ではなく妖怪)の三種類を採取していますが、まだまだ他にも仲間がいそうです。
これからも工事現場にいろんな種類の動物たちが繁殖してくると見つけるのが楽しみです。

 


                                           (愛知県丹羽郡扶桑町)





アヒルの頭にお皿を載せ緑色に塗ればカッパにはやがわり(岐阜県各務原市)

 


岩田歯科医院(旧十六銀行広見支店)岐阜県可児市

2011-11-13 | 中濃の近代建築

昔からの広見の町並を通る土岐可児線沿いに、昭和初めに建てられたモダンな建築が残っています。
現在は歯科医院として使われていますが、当初は十六銀行広見支店として建てられた銀行建築です。
地方の銀行としては、昭和初めに建てられたとは思えないモダンなデザインの鉄筋コンクリート2階建造ですが、屋根が瓦葺きなのがいかにも時代を感じさせます。

◆岩田歯科医院 (旧十六銀行広見支店)/岐阜県可児市広見字桝田798-1
 竣工:昭和3年(1928)
 構造:RC2階建
 撮影:2011/10/10

 

 


歴史様式の装飾は一切無いモダンな外観





基礎の部分は石積みで外壁はコンクリート

 

 


川崎重工業(株)岐阜工場事務所(岐阜県各務原市)

2011-11-12 | 岐阜市周辺の近代建築

岐阜市の東隣に位置する務原市は、航空自衛隊岐阜基地と川重(川崎重工業)の町として東海地方では知られています。
航空機の町としての歴史は大正6年の陸軍の飛行場の建設に始まりますが、陸軍の航空部隊の拠点の一つになった各務原に目を付けた神戸の川崎造船所が、大正12年陸軍の飛行場に隣接する当時の蘇原村三柿野に川崎造船飛行機部の各務原分工場を建設したことにより航空機産業が大きく発展しました。
その後昭和12年には川崎の飛行機生産部門が独立し、川崎航空機工業株式会社が設立され、その当時建てられた岐阜工場の事務所が現在は川崎重工の岐阜工場事務所として今も現役で使われています。
岐阜工場の建物は大規模な空襲を受け、当時の建物として現存するものはほとんど無く、戦前からの航空機産業の歴史を語る貴重な産業遺産です。

◆川崎重工業(株)岐阜工場事務所/岐阜県各務原市川崎町1
 竣工:昭和12年(1937)
 構造:RC造3階建
 撮影2011/09/23

 


軍靴の足音が近づく昭和12年竣工、外観は歴史様式を脱したほとんど装飾の無いインターナショナルスタイル

 


玄関車寄の部分だけ天然石を使用し石張り風に目地を切っている

 

屋上の国旗掲揚ポールの根元に唯一装飾が見られる

 

 

 


琺瑯看板の旅/2011~自転車編

2011-11-07 | まちかどの20世紀遺産

今年は近代建築の現存確認と写真のリニューアルを目的に、数年前に訪れた町を再訪しました。
あらためて町を歩いてみると、新たな琺瑯看板の発見もいくつかあり、まずは2011年に採集した自転車関係の琺瑯看板を集めてみました。


もちろん社名はナショナル(現在はパナレーサー)です
自転車業界を輪界と言うとは知りませんでした(岐阜県白川村 2011/03/13)




「SS」といっても親衛隊ではありません(今や知ってる人が珍しい?)岐阜県恵那市岩村町 2011/09/18




山口自転車というのは余り聞きませんが、1914年創業の自転車・バイクの製造会社だそうです
1963年に倒産しているので今や幻のホーロー看板といえます
一文字の分割方式でレイアウトは自由自在、「転」が旧字体なのは泣かせます
(岐阜県恵那市明智町 2011/09/18)



1899年創業の老舗の自転車メーカーで正式には日米富士自転車といいます
現在日本には会社が無くアメリカの企業がフジブランドの名で販売を引き継いでいます
私もフジ自転車に乗っていたことがあり、自転車のハンドルの下に全く上の写真と同じフジヤマのエンブレムが付いていました(愛知県豊橋市 2011/10/09)


こちらも一文字分割レイアウト自由形です
ツバメ自転車は新家工業という鋼管製造の会社の自転車部門のブランド名
創業は大正8年(1919)の老舗で、現在はラレーのブランド名でも販売しています
(岐阜県岐阜市 2010/09/26)

 

 


中山道太田宿の初恋の味

2011-11-06 | まち歩き

岐阜県美濃加茂市の中山道太田宿を散策しました。
宿場町の古い町並みも良いけれど、私の目玉はいつしかとある廃業した古い店舗に吸い寄せられました。

そこで私の目にとまったものは、あの懐かしい『初恋の味』のフレーズで有名なカルピスの、かなり年代物の販促用店頭ステッカーです。
コーラやファンタなど、清涼飲料水の古い販促ステッカーは現在でも時々目にしますが、今回発見したのはカルピスの提供番組のキャラクター入り販促ステッカーです。


ハゲチョビてかろうじてカルピスの文字だけが残ったステッカーと一緒に、『欽ちゃん&トッポジージョ』と『母をたずねて三千里』のステッカーが貼ってあります。
 


欽ちゃん(萩本欽一)とトッポジージョが共演したテレビCM版ステッカー
1975年頃と思われますが35年前の欽ちゃんは若いですっ!
「おいしくってブルブル~~~」のフレーズが懐かし~い



こちらはフジTVのアニメ番組、カルピスこども劇場『母をたずねて三千里』のステッカー
アニメのキャラクターがカルピスにまたがり嬉しそうに手を振っています。(ご丁寧に放送時間ヨル7:30~8:00の表記もあります)

『母をたずねて三千里』については主人公がマルコ少年と言うことくらいしか知りません。
そこで『母をたずねて三千里』について調べてみました。

『母をたずねて三千里』~フジTV系の世界名作劇場枠で放送されたTVアニメシリーズのひとつ。
フランダースの犬(1975)、母をたずねて三千里(1976)、あらいぐまラスカル(1977)と続く今でも懐かしのアニメ番組では必ず紹介される鉄板シリーズで、1997年までスポンサーが変わりながら放送されました。
ちなみにムーミン(1969~1970)やアルプスの少女ハイジ(1974)もこの枠で放送されており、カルピス漫画劇場としての放送枠の初回は『どろろと百鬼丸』(1969)だそうです。
(ちなみにわたしは少年サンデー連載時に愛読しておりました)
このフジTVのアニメシリーズは、当時私がすでに中学生になっていたためほとんどリアルタイムでは見ていません。かろうじてムーミンだけはほんの数回見た記憶があるようです。(採集場所:美濃加茂市太田宿 2011/10/02)

追伸:今回の調査でマルコの後ろのサルと少女の名前が気になったのでついでに調べてみました。
少女はフィオリーナ・ベッビーノ、サルはアメデオという名だそうで、リアルタイムで放送を見ていた方はかなり懐かしいのでは。



古井町の洋館(岐阜県美濃加茂市)

2011-11-05 | 中濃の近代建築

中山道太田宿から古井に抜ける街道沿いにある洋風建築です。
建物の外観がちょっと変わっていて、向かって右から大・中・小に分かれ、中と小は下見板張りで真ん中に店舗風の玄関を設けています。
現在は住宅として使われているいるようですが、建物の構造から当初は店舗兼住宅として建てられたと思われます。
すぐ近くに下古井郵便局があるので、戦前に建てられた旧郵便局舎の可能性が高いのではないかと考えられます。

◆古井町の洋館/岐阜県美濃加茂市古井町下古井
 竣工:不明
 構造木造平屋一部2階建
 撮影:2011/10/02




郵便局か交番がっぴたりの玄関まわり~両脇の縦長の窓が洋風です

 



一番手前の大きな建物部分は二階建てにし側面に別の玄関を設けています
大の部分が住居、中と小を業務用として使用したのではないかと思われます

 

 


旧大垣共立銀行美濃加茂支店(岐阜県美濃加茂市)

2011-11-04 | 岐阜市周辺の近代建築

以前に美濃加茂市を散策した時に、国道21号線沿いで見つけたちょっとクラッシクな元銀行の建物を紹介しましたが、その後竣工年など詳細が判明しましたので再度アップしたいと思います。

◆旧大垣共立銀行美濃加茂支店/岐阜県美濃加茂市太田町3504
 竣工:昭和27年(1952)
 構造:RC2階建
 撮影:2011/10/02

建物全体はまさに豆腐と呼ぶのがふさわしい直方体で、味も素っ気もありませんが、ファサードは石貼り風に目地を切り、玄関周りには2階まで通しの溝の付いた4本の付け柱(ピラスター)を配して古典様式風な味わいを残しています。
初見では戦前ぎりぎりから昭和30年代前半までくらいの建築年と想像していましたが、、「大垣共立銀行九十年史」により昭和27年竣工と判明しました。

銀行建築は昭和30年代半ばまでは戦前の様式建築の面影を残していましたが、昭和40年代の高度成長期に入ると、急速に一切の歴史様式を排除した現代建築に変わっていきます。
昭和27年に建てられた大垣共立銀行美濃加茂支店は、戦前の歴史様式の残り香をまとった最後の銀行建築と言えるかもしれません。

 

 


現代の銀行には見られないレトロな外観は、古き良き昭和30年代の面影を残しています

 


旧古井郵便局(岐阜県美濃加茂市)

2011-11-03 | 中濃の近代建築

古井駅前の道を高山本線沿いに200mほど川辺方面に向かうと、森山町本町交差点の角に古い洋風建築が残っています。
木造下見板張り瓦葺き寄棟屋根の洋風建築で、よく見ると鬼瓦に「〒」マークが入っているので元々は郵便局舎として使われていたと思われますが、現在建物自体が使われている様子はありません。
建築時期は近代建築の文献等にデーターが無く一切不明ですが、私の勝手な推測では古井駅開業(大正11年)前後の大正末から昭和初め頃と思われます。
現在の古井郵便局は古井駅のすぐ南側に移転し営業しています。

◆旧古井郵便局/岐阜県美濃加茂市森山町3
 竣工:不明(大正末~昭和初?)
 構造:木造平屋
 撮影:2011/10/02

 






屋根の大棟の鬼瓦に2つ、四方の鬼瓦に4つ、当時の逓信省の〒マークが入る