かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

古井駅~JR東海 高山本線(岐阜県美濃加茂市)

2011-10-31 | 木造駅舎の旅

◆古井駅(JR東海 高山本線)/岐阜県美濃加茂市森山町1-1-39
 竣工:大正11年(1922)
 構造:木造平屋
 撮影:2011/10/02

美濃加茂市を代表する主要駅である美濃太田駅から高山に向かって次の駅が古井駅になります。
大正11年開業の古井駅も坂祝駅同様木造下見板張りのシンプルな外観ですが、屋根を半切妻(切妻屋根の隅を切り落としたように傾斜をつける)にすることによって、より洋風らしさが演出されています。
現存する高山線の木造駅舎は、ほとんどが同じデザインの簡素な外観ですが、古井駅は白く塗られた下見板と半切妻のドイツ屋根があいまって、大正期の木造駅舎らしいモダンな雰囲気が感じられます。

 




いかにもローカル線らしいのんびりとした雰囲気が漂う木造駅舎
駅舎前のソテツの大木がムード満点です





板に彫られた駅名は「JR東海」の表記が無いので旧国鉄時代のものでしょうか
坂祝駅には無いアールデコ風の金属製の持ち送り(コーベル)も当時のままです



開業年が記された建物資産標

 


上り線ホームから駅舎を望む



跨線橋から駅舎を望む~写真上が美濃加茂・岐阜方面

 

 


坂祝町の洋館(岐阜県加茂郡)

2011-10-30 | 中濃の近代建築

坂祝駅のすぐ南で戦前に建てられたと思われる古い和洋折衷の建物を見つけました。
東西に長い建物で、西側の玄関のある建物と東側の洋風の建物がつながってひとつの建物になっています。
とにかく外観が和洋折衷変化に富んでいて、いかにも戦前に建てられたレトロな雰囲気が漂う物件です。



西側の玄関部分
下見板張りの和洋折衷の外観で、正面真ん中に観音開きの玄関を設け、脇には受付のような小窓も設置されています。



東側にはやたら窓の多い洋風の建物がつながっています。
現在は住宅として使われているようですが、建物のつくりから建築当初は普通の住宅ではないことは明らかです。
事務所、医院、郵便局、旅館、アパート、用途は色々考えられますが、謎は深まります。
(撮影:2011/10/02)


坂祝駅~JR東海 高山本線(岐阜県加茂郡)

2011-10-29 | 木造駅舎の旅

◆坂祝駅(JR東海 高山本線)/岐阜県加茂郡坂祝町取組363
 竣工:大正10年(1921)
 構造:木造平屋
 撮影:2011/10/02

高山本線は岐阜駅(岐阜市)から高山駅を経由して富山駅(富山市)に至るJR東海の鉄道路線で、大正9年に岐阜駅~各務原駅間が開業し、翌年に各務原~美濃太田間が開業しました。
岐阜~鵜沼間の駅舎は全て建て替えられましたが、坂祝~高山間は開業当時の木造駅舎がまだまだ現存しており、坂祝駅も大正10年当時の姿をとどめています。

 


駅舎玄関~木造下見板張りの端正な外観で装飾などは全く見当たりません

 


駅舎北側を跨線橋から望む



駅舎の接する1番線ホーム(上り岐阜・名古屋方面)



玄関脇に大正10年10月登録の建物資産標が貼り付けてありました

 

 


マンホール紀行(6)~岐阜県恵那市明智町・岩村町

2011-10-28 | ご当地マンホール紀行

岐阜県恵那市にある明智町と岩村町は、2004年周辺市町村と合併し恵那市になりました。
それまでは恵那郡明智町、岩村町として独立した自治体でしたので、町独自のオリジナルデザインのマンホールが現在もそのまま使われています。
どちらも町章と町の木、町の花がデザインされていますが、岩村町は古い城下町をアピールした「女城主の里」のフレーズ入りです。

 


明智町~カエデ(町の木)、キキョウ(町の花)



岩村町~岩村城とヒメコマツ(町の木)、ヤマツツジ(町の花)
「女城主の里」は岩村観光のキャッチコピー

 

 


岩村町の看板建築(岐阜県恵那市)

2011-10-25 | まち歩き

岩村町の本町通りは昔ながらの古い商店が軒を連ねていますが、出桁造の伝統的町屋建築に混じって2軒の洋風のファサードを特徴とした、いわゆる看板建築を見つけました。
建築年は不明ですが洋風デザインの看板建築が地方にも広まった昭和初め以降と思われます。

ちなみに看板建築とは~
江戸時代以来一般的だった商店(店舗兼住宅)は、軒を大きく全面に張り出した「出桁造」と呼ばれるものでした。
看板建築は大正12年に発生した関東大震災後の復興過程で生まれたバラック建築の商店が発展したもので、ファサードを立て板のように平坦にして木造の骨組みにモルタルやタイル、金属板を貼って、表通りに面した壁面だけ洋風の商店建築が東京を中心に各地に建てられました。
看板建築の特徴はファサードが平坦なため、地元の大工の棟梁や施主が、キャンパスに絵を描くように勝手気まま自由にデザインできることでした。
当時流行のアールデコや表現派のデザインを見よう見真似で取り入れたり、洋風に江戸趣味の造形を混在させたり、看板建築は日本の伝統建築には無い「自由」が庶民レベルで始めて建物に反映された、ある意味でエポックメーキング的建築様式なのです。(参照:看板建築/藤森照信)

ァサード(建物正面)はモルタル塗りで、石張り風に目地を切って洋風に仕上げています。
現在1階は駐車場に改造されていますが、当初は商店の売り場だったと思われます。
最近外壁を塗り直した様子ですが、外観は当時のまま細部の装飾や屋号も健在で、
2軒ともファサードが同じデザインから同一人物(地元の大工梁?)の設計と思われます。


水野薬局(岐阜県恵那市)

2011-10-24 | 東濃の近代建築

岩村建築散歩 その4~水野薬局

本町通りにある江戸時代から続く老舗の薬種商ですが、現在の店舗は比較的新しく昭和20年に建てられたものです。
古い薬局は伝統的な町屋風と当時の流行を取り入れた洋風建築の2パターンに分けられますが、水野薬局は典型的な町屋様式で、軒下にずらりと木製の古い看板が並ぶ様子はまさに壮観です。
また明治15年、自由民権運動で有名な板垣退助が遊説で岩村を訪れた際に水野家に宿泊、その数日後に岐阜で暴漢に襲われたと言う記録も残っています。

◆水野薬局(水野得歓堂)/岐阜県恵那市岩村町本町335
 竣工:昭和20年(1945)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18

 


軒下にずらりと並ぶ欅(けやき)製の特注看板
マスメディアの無い当時、看板の宣伝効果は抜群で、製薬メーカーから特約店の証として屋号入りの一点もの特注看板が寄贈されたそうです。



マルミのマークと水野得歓堂の屋号が入った手彫りの特注看板
隣の女性のイラスト入り「新月丸」の宣伝看板はもう芸術品です

 


ショーウィンドーはレトロな看板が所狭しと並べられまさに路上博物館



正面の軒瓦は屋号入りの特注品



ショーウィンドーにも金箔の屋号が入ります


まち並みふれあいの館(旧岩村銀行本店)岐阜県恵那市

2011-10-23 | 東濃の近代建築

岩村建築散歩 その3~まち並みふれあいの館(旧岩村銀行本店)

岩村の中心街本町通の真ん中に建つ土蔵造の建物で、明治41年に岩村銀行設立時に本店として建設されました。
その後昭和6年に濃明銀行を吸収合併、恵那銀行と改称しそのまま本店として使用、昭和17年に十六銀行に営業譲渡されるまで岩村の経済の中心として商工業の発展に寄与しました。

現在は「まち並みふれあいの館」として、恵那市観光協会岩村支部と城下町ホット岩村の事務局が置かれ、観光案内所として岩村観光の拠点施設として再活用されています。

◆まち並みふれあいの館
 (旧岩村銀行本店→旧恵那銀行本店→旧十六銀行岩村支店)/岐阜県恵那市岩村町263-2
 竣工:明治41年(1908)
 構造:土蔵
 撮影:2011/09/18

 

 


明治期の銀行に多く見られる土蔵造の擬洋風建築
玄関正面には古典様式の三角ペディメント風の屋根を設け、銀行建築らしい威厳を演出しています


旧岩村郵便局(岐阜県恵那市)

2011-10-22 | 東濃の近代建築

岩村建築散歩 その2~旧岩村郵便局

古い町並の残る本町通りは、重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、古い商家や町家が軒を連ねています。
旧岩村郵便局は本町通りに面して建つ数少ない戦前の洋風建築で、建築当時の昭和初期の郵便局の様子を今に伝えています。

◆旧岩村郵便局/岐阜県恵那市岩村町本町4
 竣工:昭和3年(1928)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18



現在は特に使われている様子は無く、観光施設などの再利用が望まれます



外観はシンプルですが、建物角に唯一洋風の装飾が見られます



岩村駅(明知鉄道明知線)岐阜県恵那市

2011-10-20 | 木造駅舎の旅

岩村建築散歩 その1~岩村駅

明知鉄道明知線は岐阜県恵那市の恵那駅から明智駅に至る鉄道路線で旧国鉄から1985年に第三セクターの明知鉄道に転換されました。
終点の明智駅と並び主要駅である岩村駅は昭和9年開業、現在も当時の外観をとどめています。
最近明智駅がリニューアルされツルピカになったため、良い具合に古びている岩村駅は、開業時の雰囲気を伝える最後の貴重な駅舎になりました。
駅舎は町の中心から東側のやや離れた所にあり、駅の西側一帯本町通を中心に岩村の古い町並みが残っています。


◆岩村駅(明知鉄道明知線)/岐阜県恵那市岩村町2367-2
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:木造平屋
 撮影:2011/09/18

 


◆程よく古びた駅舎が歴史のある岩村の町並みにマッチしています




◆旧字体で右から書かれた手書きの駅名が味わい深い


大正村展示館(旧町営発電所電気事業部)岐阜県恵那市

2011-10-19 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その7~大正村展示館(旧町営発電所電気事業部)

大正村役場のすぐ隣に昭和はじめに建てられた旧町営発電所電気事業部の建物が残っています。
その後中部電力の事務所、個人所有の住宅として使われ、現在は大正村展示館として色々な企画展示が行われています。
私が訪れた時は大正村の生みの親として知られる、写真家の澤田正春氏に関する企画展示を開催していました。






 ◆大正村展示館(旧町営発電所電気事業部)/岐阜県恵那市明智町1848-2
 竣工:昭和初期
 構造:木造平屋
 撮影:2011/09/18

 


東美濃農業協同組合 明智支店(岐阜県恵那市)

2011-10-18 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その6~東美濃農業協同組合 明智支店

当初は地方の金融機関の支店として建てられたと思われますが、現在は東美濃農業協同組合明智支店として使われています。
昭和10年築の木造2階建、瓦葺きのシンプルな外観の和風の建物ですが、縦長の窓と寄棟の大屋根、軒下のブラケットに洋風意匠がうかがえます。

◆東美濃農業協同組合 明智支店/岐阜県恵那市明智町875
 竣工:昭和10年(1933)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18


割烹旅館笹乃屋(岐阜県恵那市)

2011-10-17 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その6~割烹旅館笹乃屋

明治40年に開業した旅館が現存しています。
地下には大正10年開業の元カフェーがあり、当時の雰囲気を残しながら現在も喫茶レストランとして営業中です。

◆割烹旅館笹乃屋/岐阜県恵那市明智町1270-2
 竣工:明治40年(1907)
 構造:木造2階建







古色蒼然としたスナックバーAMI(アミー)の入り口
店名入りのステンドグラスが開業当時のカフェーの様子を伝えています



アミーの向かい側に残る昭和9年開業の元カフェー
グリル田中として営業していましたが(ソースカツどんが名物)、残念ながら現在は閉店(廃業?)中です。

◆グリル田中/岐阜県恵那市明智町870-2
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18



元カフェーのアミーとグリル田中がある中馬街道
生糸が全盛の明治末~大正にかけてこの界隈は大変な賑わいで、芸妓置屋から料亭に通うための渡り廊下が現在も残っており、往時を語ります。

 


旧保母歯科医院(岐阜県恵那市)

2011-10-16 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その5~旧保母歯科医院

昭和元年に建てられた洋風の歯科医院ですが、大正村の現存する建物の中で、一番大正モダンな雰囲気を残す洋館建築です。
建物正面中央部を屋根の上に突き出し、歯科医院のマークと名称を入れ、1階の出窓風に張り出した上部に手摺を付け、小さなバルコニーを設けてモダンな洋館らしさを演出しています。

◆旧保母歯科医院/岐阜県恵那市明智町1837
 竣工:昭和元年(1926)
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18

 



 

 


明智回想法センター(旧大塩医院)岐阜県恵那市

2011-10-14 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その4~明智回想法センター(旧大塩医院)

大正初めに開業された医院が、高齢者福祉施設「明智回想法センター」として再活用されています。
旧大塩医院は明智町出身の大塩金弥氏が開業した産婦人科医院で、昭和25年に亡くなるまでの40年間、地域医療に貢献してきました。その後平成の初めまで医療活動を続けてきましたが、後継者が無く60年にわたる歴史に幕を下ろしました。
明智町は大塩医院の功績と佇まいを後世に残しながら建物を改装し、医院の跡地を「回想法センター」として高齢者の福祉施設として再活用しています。

回想法とは~
大正村に残る古い町並や建物、懐かしい生活道具を通し、過去を振り返り思い出を語り合うことにより、特に高齢者の脳を活性化し、生き生きとした力を取り戻し維持する目的で行う療法です。
回想法センターで高齢者が色々な人とコミニュケーションをとることにより、家に閉じこもったり介護が必要な状態になるのを予防します。

旧大塩医院の建物は、道路に面した診療所に使われた建物と、中庭を挟んで奥に位置する病棟に分かれており、回想法センターの本館(病棟)と別館(診療所)として使用されています。

◆明智回想法センター(旧大塩医院)/岐阜県恵那市明智町1142-1
 竣工:本館(旧病棟)昭和20年代/別館(旧診療所)大正初
 構造:木造2階建
 撮影:2011/09/18



◆旧診療所~道路に面した細長い建物で、全体は和風の外観



◆旧診療所玄関~玄関周りに腰壁風にスクラッチタイルを貼り、上部に洋風の装飾も施しています



◆玄関の上に貼られた琺瑯の古いプレート~旧字体の文字が時代を語ります

 


◆かつての診察室には古い医療器具や椅子が置かれ当時の診療の様子が偲ばれます



◆診療所の裏にある旧病棟(明智回想法センター本館)~外観は木造校舎のようです

 


◆「明智回想法センター 想い出学校」の看板がかかる玄関



◆二階展示室廊下~生活、学校、遊びなどテーマ別に当時の懐かしい品々が展示してあります



◆昭和の暮らしを再現したコーナー


日本大正村資料館(旧濃明銀行繭蔵)岐阜県恵那市

2011-10-12 | 東濃の近代建築

大正村建築散歩 その3~日本大正村資料館(旧濃明銀行繭蔵)

明治42年に濃明銀行(明治13年設立)の繭保管用の蔵として建てられました。
当時銀行には、農家から預かったり買い取った「繭」を収納するための繭倉があり、旧濃明銀行の繭倉は、木造一部4階建、百畳敷きの規模があり、手動のエレベーターが付いています。
明智町が生糸町として栄えたまさに時代を語る貴重な近代産業遺産で、現在は大正村資料館として、明治から昭和初期にかけての教育、文化、生活に関する用品が展示されています。

◆日本大正村資料館(旧濃明銀行繭蔵)/岐阜県恵那市明智町1860-6
 竣工:明治42年(1880)
 構造:土蔵
 撮影:2011/09/18