かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

マンホール紀行(13)~岐阜県羽島郡笠松町

2012-07-29 | ご当地マンホール紀行

中央は町章ですが周囲の同心円状の模様はトンボをデザイン化したものです。~残念ながら私はわかりませんでしたが・・・(^^ゞ
笠松町は木曽川右岸に位置し、河跡湖として残った大小6つの池には30種以上のトンボが生息していることから、池の周辺は笠松トンボ天国と名付けられ自然公園として環境が保護されています。



こだわりの金物(岐阜県笠松町)

2012-07-28 | まち歩き

金物といっても鍋・釜の類ではなく、建物に使われる建築金物です。
特に職人さんが作る特注の一点物装飾金物はデザインが面白く、古い住宅や商店のファサードに見られるアイアンワークは見どころです。


■昭和30年代の香りがする建具店です。2階の窓に注目すると・・・


■2階の窓の金属製の手すりは特注の屋号入で、ちゃんと左右対称になっています


■こちらはかなり年季の入ったふとん店



■2階窓の全面を覆う面格子はもう芸術品です

岐阜県羽島郡笠松町(撮影:2012/05/05)


名古屋鉄道名古屋本線 木曽川橋梁(岐阜県羽島郡笠松町~愛知県一宮市)

2012-07-25 | 近代橋めぐり

木曽川橋のすぐ上流にある名鉄名古屋本線の鉄道橋で、木曽川堤駅と笠松駅の間に昭和9年に架橋され、翌昭和10年に新一宮~新笠松間が開業しました。

◆名古屋鉄道名古屋本線 木曽川橋梁/岐阜県羽島郡笠松町若葉町~愛知県一宮市北方町
 竣工:昭和9年(1934)
 構造:鋼ワーレントラス(下路)
 撮影:2006/10/08、2012/05/05
 

■右岸下流(岐阜県笠松)側より撮影~下流の木曽川橋と同様7連のトラス橋
 

 


柳原橋(岐阜県羽島郡笠松町)

2012-07-23 | 近代橋めぐり

 岐阜市と愛知県稲沢市を結ぶ県道14号岐阜稲沢線が笠松町と一宮市に架かる木曽川橋周辺を岐阜街道と呼びます。笠松町を通る岐阜街道が、木曽川橋に向かって上り坂になるあたりに柳原橋という小さな高架橋があります。
 私はたまたま高架下を自転車で通ったのですが、上を見上げると小さいながらも戦前特有のモダンな親柱と連続アーチの高欄が目に入り、思わず自転車を止めて見入ってしまいました。親柱の表現主義風デザインから昭和初期の竣工と当たりをつけ、近くによって親柱の年号を見ると、「昭和十三年八月竣功」の銘がばっちり入っていました。
 岐阜街道は古くから交通の要所で、木曽川橋の架橋以前は渡し船や木造の橋が設置されていました。木曽川橋竣工(昭和12年)の翌年に架けられた小さな柳原橋ですが、当時の人々の新しい橋と道路にかける思いが伝わってくる力の入ったデザインです。

◆柳原橋(やなぎはら)岐阜県羽島郡笠松町朝日町
 竣工:昭和13年(1938)
 撮影:2012/05/05




 


木曽川橋/木曽川(岐阜県羽島郡笠松町~愛知県一宮市)

2012-07-22 | 近代橋めぐり

 木曽川橋は木曽川にかかる県道岐阜稲沢線の車道橋で、現在の名岐バイパスができるまで、名古屋市と岐阜市を結ぶ主要国道(22号)でした。この橋の架かる場所は古来より交通の要所で、すぐ上流には笠松渡船場や木造の橋も設けられていましたが、昭和12年に国道12号の木曽川の永久橋として開通、その後昭和37年には国道22号(岐阜市~名古屋市)の橋になりました。
 橋の構造は鋼ブレーストリブ・タイドアーチと呼ばれるもので、7連のアーチがリズミカルな美しい景観をつくり出しています。


◆木曽川橋(きそがわ)木曽川/岐阜県羽島郡笠松町藤掛~愛知県一宮市
 竣工:昭和12年(1937)
 設計:増田淳
 構造:鋼ブレストリブ・タイドアーチ(下路)
 撮影:2012/05/05 


■右岸上流側(岐阜県笠松町)より望む




■西橋詰(岐阜県笠松町)



■東橋詰(愛知県一宮市)撮影:2006/10/08
 


技工記念館/旧岐阜県工業試験場本館(岐阜県羽島郡笠松町)

2012-07-21 | 岐阜市周辺の近代建築

現代的なコンクリートの校舎が建ち並ぶ岐阜工業高校の正門を入ってすぐ右側、木立に囲まれた一角に木造下見板貼りの洋風建築が建っています。
旧岐阜工業試験場の本館で、元々は地元の繊維産業振興の目的で設置されましたが、昭和47年試験場は移転され、敷地は隣接する岐阜工業高校へ移管されました。
試験場は取り壊されましたが、本館の一部は、明治~昭和初期にかけて隆盛を極めた岐阜県の繊維産業を偲ぶ記念館として遺され、現在も技工記念館として大切に保存されています。

◆技工記念館(旧岐阜県工業試験場)/岐阜県羽島郡笠松町常磐町1700
 竣工:昭和4年(1929)
 構造:木造2階建
 撮影:2012/05/05
 ※国登録有形文化財・近代化産業遺産 
 


■旧本館正面(南側)~1階部分外壁は下見板張り、2階部分はモルタル塗りにして変化をつける
 正面玄関車寄の上部の壁を屋根の上まで立ち上げ、門柱のようなデザインにして装飾を施しています


     



■旧本館東側~東玄関上部の出窓の意匠が見所


     



旧西笠松駅舎~名古屋鉄道 竹鼻線(岐阜県羽島郡笠松町)

2012-07-20 | 失われた建物の記憶

 名古屋鉄道は駅集中管理システム導入を機にほとんどの路線で駅舎の廃止や改築を行いました。ローカル路線の多い名鉄は開業時からの木造駅舎が比較的多く残っていましたが、2007年駅集中管理システム、トランパス(現在はmanacaに移行)導入時にほとんどの戦前の木造駅舎は新駅舎に建て替えられてしまいました。
 笠松駅と江吉良駅を結ぶ竹鼻線にある西笠松駅は、大正10年の開業以来の雰囲気のある洋風の木造駅舎でしたが、今ではその姿を見ることはできなくなりました。

◆旧西笠松駅舎~名古屋鉄道 竹鼻線/岐阜県羽島郡笠松町天王町45
 竣工:大正10年(1921)
 構造:木造平屋
 撮影:2006/10/08
 ※取り壊し、新駅舎に建て替え


■在りし日の西笠松駅(東側正面)~大正モダンを感じさせるマンサード屋根の洋風駅舎



■北側出入り口~軒下の持送りや2連のガラリ(屋根裏換気口)が洋館らしさを演出しています
 


■北東側から見た旧駅舎と新駅舎
名鉄さんに限りませんが、90年の歴史を刻んだ建物をあっさり建て替えてしまうのが経済、効率優先の企業というものです。
わかちゃいるけど、なんだかな~
 


■新駅舎には旧駅舎のデザインを継承するという試みは一切ありません。
この時期に建てられた新駅舎は、ただただコストパフォーマンスを優先させた四角い箱型の同じデザインで、金太郎飴ならぬ金太郎駅舎です。
金太郎飴は職人さんの技が光る銘菓ですが、はたして金太郎駅の90年後は?
 

 


出血多量!(愛知県半田市)

2012-07-19 | まち歩き

半田の本町で見つけた石柱に彫られたお寺案内。
浮き彫りの指差し案内マークはリアルに彫られていますが、問題なのは十九番を指している右手の人差し指です。
なんと指先からの出血が、下にある二十番を指している左手の手首からの出血と一緒になって、ドボドボという感じで下に流れ落ちています。
これはもうかなりの大量出血で、お寺を案内しているどころではありません。 
 

■出血は道路まで達する重傷です



■よく見ると左手の人差し指からも出血が!

 


木製牛乳箱はテトラパックの夢を見るか?

2012-07-18 | まち歩き

軒先に忘れ去られた古い木製の牛乳箱。
使われなくなってからどれだけの年月が流れたのでしょうか?
わざわざ撤去するのも面倒なのでそのまま放置され、その存在を気に止める人もありません。

私の子どもの頃は、新聞と同様牛乳は自宅まで配達してもらうのが当たり前の時代でした。
登校前に配達されたばかりの水滴の付いた牛乳ビンを箱から取り出し、そのまま一気に立ち飲みした美味しさは今でもよく覚えています。
今でも駅の売店や銭湯で瓶入り牛乳を見かけることがありますが、配達された牛乳を自宅で飲んだのは遠い昔です。

軒先の忘れられた古い牛乳箱は、牛乳瓶が触れ合う音と、こどもたちの笑い声のした遠い日の夢を見ながら軒先で朽ち果てていきます。
ところで一世を風靡したテトラパック(給食の牛乳はビンのあとはこれでした)はどこへ行ってしまったのでしょう?
   

■写実的な牛の絵が印象的(愛知県半田市)



■愛知県民なら誰でも知っている名糖牛乳(愛知県犬山市)



■こちらは名古屋圏ではメジャーなシャチのマークの名古屋牛乳の販売店
 店構えが昭和30~40年代を彷彿とさせます(愛知県小牧市)


半田の琺瑯看板

2012-07-16 | まちかどの20世紀遺産

 半田は古くから醸造業で栄えた町で、板張りの蔵も多いので現役の琺瑯看板を期待したのですが、採取できたのは意外にもキッコートミだけでした。半田レンガ建物とミツカンの酢の里には琺瑯看板の展示がありましたが、琺瑯看板も博物館で保存展示するのが当たり前になってしまいました。
 路地の板塀にずっと前から貼ってあった、街角の風景と一体化したフツーの琺瑯看板を見ることのできるのもあと少しかもしれません。


■蔵の板壁に琺瑯看板、これぞまさしく絵に描いたような「昭和30年代・三丁目の夕日」的風景と申せましょう



■トミーの醤油2枚貼り
 


■カブトビールと三ツ矢サイダー(半田赤レンガ建物内)
   


■ミツカン酢(酢の里)~文字が右から書いてある戦前もの
   
撮影:2012/05/04





知多白木綿組合会館(愛知県半田市)

2012-07-15 | 失われた建物の記憶

今回訪れた半田市で取り壊された近代建築を確認しました。

知多半島は古くから木綿の産地で「知多木綿」の名で知られていましたが、電動力の利用が可能になった大正期に企業による大規模な織布工場が進出し、昭和初めには輸出量もイギリスを超え隆盛を極めました。
旧知多白木綿組合会館は、大正15年に新築された当時ではまだ珍しいRC造の建物で、正面中央に2階分の高さのある御影石の円柱を2本配した外観は、まさに白亜の殿堂、木綿で栄えた往時の姿を伝えていました。
戦後は半田市図書館→半田市立郷土資料館→中埜倶楽部(ミツカングループの社員厚生施設)として利用されてきましたが、数年前に取り壊され現在は蔵が建っています。


◆知多白木綿組合会館/愛知県半田市北末広6
 竣工:大正15年(1926)
 構造:RC造2階建
 撮影:2006/06/04
 取り壊し確認:2012/05/04






■取り壊された跡地には半田特有の黒色の蔵が建っています。
「蔵のまち半田」ならではの風景ですが、近代建築を知多木綿の歴史を語る産業遺産として活用する方法はなかったのでしょうか?非常に残念です。
 


半田の建築散歩(愛知県半田市)

2012-07-14 | まち歩き

■国盛 酒の文化館
中埜酒造が実際に酒造りが行われていた江戸時代の酒蔵をそのまま利用し創設した酒の博物館。
黒塗りの壁に白く縁どられた漆喰窓の蔵が酒造りの伝統を感じさせます。 




■「蔵のまち」だけあって市内の至る所で古い蔵を見かけます











■日本情緒たっぷりの古い和風住宅


■玄関に妻飾りのある木造下見板の洋風住宅




■古い蔵を改装した美容室


■かなり年代物の旧歯科医院。隣に新しいデンタルクリニックが開院しています。



■窓枠のデザインがちょっと凝っています



■紺屋海道沿いにあるレンガ造の社

撮影:2012/05/04

 

 


半田のレトロ商店(愛知県半田市)

2012-07-13 | まち歩き

歴史のある半田の町には昔ながらの懐かしい商店がまだまだ残っています。

■和風の建物の前面を長い壁で覆った商店。壁の上からちょっとだけ屋根が見えるのがご愛嬌。



■純和風建築の半田物産所



■「はんだ食べ歩きスイーツ」でお邪魔した老舗の和菓子屋さん。4枚綴り500円のチケットで参加店のスイーツを食べ歩きできます。
 街歩きをしながら手軽に色々なスイーツが楽しめる企画でおすすめです!



■印章と白衣・作業服の取り合わせは何かわけがあるのでしょうか?



■ひょうたんマークのある看板が良い味出してます



■昭和のプラモ屋さん
 プラモデルや切手取集が全盛の昭和40年代頃の看板が懐かしい
 小学生ではプラモづくり(ほとんど戦闘機と戦車)に熱中、中学の頃は郵便局に並んで記念切手を買ったものでした

撮影:2012/05/04