かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

マンホール紀行(38)~愛知県豊川市

2014-06-28 | ご当地マンホール紀行

豊川市も宝飯郡一宮町、音羽町、御津町(みとちょう)、小坂井町が合併しているため、旧町章入りのマンホール蓋が多数存在します。


■豊川稲荷のキツネとクロマツ(市の木)



■雨水管マンホール蓋~傘とてるてる坊主、周囲には雨だれとお日様?



■旧小坂井町汚水管マンホール蓋~町章入り、JIS規格模様



■旧小坂井町雨水管マンホール~町章入り、JIS規格模様



■旧御津町汚水管マンホール蓋~町章入り、正方形模様



■旧御津町汚水管マンホール蓋~町章入り、JIS規格模様



■旧御津町汚水管マンホール蓋~町章入り、テトラポット模様



■旧御津町汚水管マンホール蓋~町章入り、ハチノス模様



■旧御津町汚水管マンホール蓋~旧御津町の豊かな自然と海(三河湾)をデザイン化したもの



マンホール紀行(37)~愛知県新城市

2014-06-25 | ご当地マンホール紀行

新城市は2005年に南設楽郡鳳来町、作手村と合併しました。
その時に新たに市章を制定しているため、マンホールも新旧の市章が混在し、汚水だけでもかなりの種類が確認できました。


■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~ブロック模様



■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~テトラポット模様



■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~ハチノス模様



■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~正方形模様



■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~ヤマザクラ(市の木)模様



■旧新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~小型版



■新城市章が中央に入った汚水管マンホール蓋~菱形模様



■旧市章と桜淵公園の桜と笠岩橋



■ハンドホール蓋~バルブ



■ハンドホール蓋~仕切弁



■テトラポッド模様に市章が入った消火栓蓋



旧今泉医院診療棟(愛知県豊川市)

2014-06-22 | 東三河の近代建築

 旧御津郵便局を後に県道384号線を南に向かい、今回最後の探訪物件旧今泉医院を目指しました。東海道線の踏切を超え、東三河環状線から住宅街の細い路地に入りしばらく歩くと、敬圓寺という大きなお寺のすぐ南側、木立に囲まれた閑静な一角にお目当ての建物は建っていました。ひと目で戦前に建てられた西洋館だと分かる怪しくも重厚なたたずまいは、まさに長い年月をを経て醸し出された本物だけが持つヴィンテージ感が漂います。

 西側道路に面した診療棟は昭和2年築、1階の外壁はドイツ壁、2階は洗出し仕上げで大正~昭和初に各地で見られた典型的な洋風建築の意匠を備えています。西側ファサードは左右対称で、中央玄関部にバルコニー付の大きな車寄を設け、その上に医院名のレリーフが施された額を掲げています。玄関車寄の意匠や窓割り、建物両隅を張り出して強調した外観は、ルネサンス、バロック建築の様式を取り入れた手法で、当時の洋風建築の姿をよく残しています。

 今回は一日で新城~豊川の飯田線、東海道線沿線をまわったので取りこぼした物件も多く、近いうちの「奥三河~東三河地域建築探訪パート2」の決行を心に決め帰路に就きました。
 

◆旧今泉医院診療棟/愛知県豊川市御津町御馬西37
 竣工:昭和2年(1927)
 構造:木造平屋一部2階建
 撮影:2014/05/03
 ※国指定登録文化財
 (同敷地内に隣接する和風意匠の病室棟と、前庭に残る手洗い場も国の定登録文化財に指定されています)
 
 
■建物西側正面



■建物北側



■窓割りのデザインに大正~昭和の洋館らしさが漂う



■洋風意匠が際立つ車寄



■右から書かれた医院名に時代を感じる



旧御津郵便局(愛知県豊川市)

2014-06-19 | 東三河の近代建築

 JR東海道線愛知御津駅から北西へ100mほどの所、県道384号線沿いに旧御津郵便局の建物が残っています。閉鎖されてからどれくらいの年数が経過したのか、荒れ放題の建物は崩壊寸前、まさに廃墟と呼ぶのがぴったりなちょっと怪しい雰囲気が漂います。
 
 外観は大正期に流行ったセセッション風なモダンデザインで、左右対称のファサード中央頂部を山型に立ち上げてメダイオン風の装飾を配し、外壁や玄関上部には幾何学模様の帯を廻しています。大正~昭和戦前期の地方の町の郵便局と言えば、圧倒的に木造平屋の簡素な局舎が多いなかで、RC造2階建のモダンな局舎は、御津の町を代表するランドマーク的な存在だったと思われます。

 現在御津郵便局は駅の南東部に移転し、取り残された旧郵便局の建物は、すかっり人々から忘れ去られた存在になってしまいました。大正・昭和・平成と時代は変わり、御津の町の風景も大きく変わっていく中で、当時と同じ場所で町の人々とともに年を経てきた郵便局舎。時代の記憶をとどめるその姿がいつまで見られるのか、行く末が心配です。


◆旧御津郵便局/愛知県豊川市御津町西方字中通
 竣工:大正12年(1923)
 構造:RC造2階建
 撮影:2014/05/03


■大きな玄関と中央上部の壁を山型に立ち上げたファサードが印象的です



■玄関は板で厳重にふさがれ、その上にはかつて窓だった部分がぽっかりと開いて廃墟感が漂います


■外壁は思ったより良い状態で、側面の窓枠は当時のまま残っています



■玄関上部中央には、お約束の逓信省〒マークが入ります



■外壁のキャタピラー様の幾何学模様は、大正~昭和初の頃によく見られたデザイン



■メダイオン風の装飾が大正モダンな雰囲気を醸し出しています



御津町の建築散歩(愛知県豊川市)

2014-06-17 | まち歩き

 JR飯田線小坂井駅から豊橋経由で東海道線に乗り換え愛知御津(みと)駅で下車、今回訪問の最後は旧御津郵便局と旧今泉医院です。駅のすぐ北西にある旧御津郵便局を訪ねたあと、県道384号線を南に向かい旧今泉医院まで御津の町を散策しました。


■愛知御津駅の西側を南北に通る県道384号線を南へ歩きます。
左手の廃墟のような建物が旧御津郵便局。



■かつては御津町の中心として栄えた県道沿いには、数は少ないながら往時の面影を残す古い商店が点在しています



■タイル使いが味わい深い元洋服店







■かつてはどこの町でも見られた完全飼料の琺瑯看板(各メーカーごとのバージョンあり)ですが、最近はめっきり見かけなくなりました



撮影:2014/05/03


旧小坂井町郷土資料館/旧青年学校~旧小坂井東小学校(愛知県豊川市)

2014-06-15 | 東三河の近代建築

 牛久保から伊那街道を豊橋方面に2kmほど行くと、小坂井東小学校の北、豊川市消防署小坂井出張所に隣接した駐車場の片隅に小さな木造の建物があります。建物は昭和7年築の旧青年学校(旧小坂井東小学校)の木造校舎のを一部移築したもので、昭和53年から平成22年まで小坂井町郷土資料館として使用されました。
 
 全体は洋風の木造下見板張りですが、玄関車寄部分には和風意匠を残しています。このような和洋折衷の外観は、明治~昭和戦前期頃までの地方の役所や校舎などの公共建築によく見られた様式で、この建物も当時の学校建築の面影をよく残しています。現在は資料館が閉鎖され空き家状態ですが、取り壊さず何らかの形で保存再利用されることを願います。


◆旧小坂井町郷土資料館(旧青年学校~旧小坂井東小学校)/愛知県豊川市宿町字光道寺40
 竣工:昭和7年(1932)
 施工:太子講組合・竹尾和三郎他
 構造:木造平屋建
 撮影:2014/05/03


■建物正面外観





■玄関車寄は寺社建築のような純和風のつくり



■玄関破風には學の文字入り鬼瓦と蕪懸魚



■扉には閉館のお知らせの小さな紙がポツンと貼ってありました・・・ちょっと行く末が心配です



牛久保駅~JR東海飯田線(愛知県豊川市)

2014-06-12 | 木造駅舎の旅

 旧星野医院から伊那街道を100mほど豊橋方面へ向かい、常盤通の信号を南へ入ると牛久保駅があります。牛久保駅は明治30年(1897)豊川鉄道が豊橋から豊川まで開通した際、唯一の途中駅として開業しました。現在の駅舎は昭和18年に建てられたもので、外観は隣駅の豊川駅舎とよく似たデザインですが、4本の柱が並ぶファサードの横幅一杯に張り出した玄関の大きな車寄が印象的です。

◆牛久保駅~JR東海飯田線/愛知県豊川市牛久保町城跡55
 竣工:昭和18年(1943)
 構造:木造
 撮影:2014/05/03


■正面妻壁の換気ガラリと腰のタイルが洋風建築らしい外観を演出しています






■玄関車寄の持送りは丸みを帯びた表現主義風のデザイン





■昭和18年12月の表記のある建物資産標


旧星野医院(愛知県豊川市)

2014-06-10 | 東三河の近代建築

 JR牛久保駅の北、町の中心街の伊那街道沿いに残る昭和戦前期の医院建築です。道路側に面したファサードは落ち着いた茶系色のスクラッチタイル貼りで、玄関、窓廻りは白にしてアクセントをつけています。建物全体の印象は、直線を基調としたモダニズム建築ですが、玄関脇のオーダーと壁面頂部のロンバルジアバンドに古典様式も残す昭和初期に流行った代表的な洋風建築のスタイルです。建物は随時手を入れているようで、保存状態は極めて良好、オーナーの建物に対する愛情が伝わってきます。 


◆旧星野医院/愛知県豊川市牛久保町常磐59-1
 竣工:昭和6年(1931)
 構造:木造2階建
 撮影:2014/05/03


■建物北東側~茶褐色のスクラッチタイルに白く塗られたモルタル部分が際立ちます


■伊那街道に面したファサード~壁面頂部の小アーチが並ぶロンバルジアバンドが効いています



■道路沿いに並ぶ石柱にも時代が感じられます



■玄関脇の柱頭に古典様式の意匠を残す






久しぶりの日曜散歩

2014-06-09 | ありふれた日常

 2週間ぶり日曜恒例の夕方の散歩に出かけました。今日の天気は一日晴れたり曇ったりの梅雨空したが、夕方までなんとか雨は降りませんでした。西の空を覆う黒い雲の隙間から時々日がさす一瞬の光景が息をのむほど美しく、散歩の途中思わずシャッターを切りました。


 

■昭和の風情を残す小さな橋



■おそろいの前掛けに、昔と変わらない日本の心が感じられます
 


今日のおともはキース・ジャレット
やっぱりピアノトリオでスタンダードを演奏するキースが一番好きです。
最近は年のせいか、落ち着けるピアノトリオばかり聴いています
 


旧牛久保郵便局(愛知県豊川市)

2014-06-08 | 東三河の近代建築

 県道495号線を姫街道の交差点からさらに南へ進み、名鉄豊川線の手前で旧伊那街道と合流、JR飯田線沿いに牛久保方面へ向かいます。伊那街道をそのまま進むとほどなく牛久保の町並みに入り、八幡社の向かいにタイル貼りの昭和モダンな建物が見えてきます。昭和7年築の旧牛久保郵便局で、現在は西隣に新しい局舎が建てられています。

 戦前の地方の郵便局は個人所有がほとんどで、牛久保郵便局も東隣に和風の住宅が付属しています。局舎はファサード全面に、白っぽいスクラッチタイルが貼られたモダンな洋風意匠で、200mほど先にある同じく洋風の旧星野医院とともに、戦前の昭和の牛久保の町並みを今に伝える貴重な近代建築です。


◆旧牛久保郵便局/愛知県豊川市牛久保町常盤12
 竣工:昭和7年(1932)
 設計:花田栄一
 施工:井桁屋(現花田工務店)
 構造:木造2階建
 撮影:2014/05/03

■和風の住宅部分と洋風の郵便局舎がセットで残っています



■タイル貼りのファサードだけ見るとRC造に見えますが、横から見ると看板建築風の木造なのが良く分かります



■端正な直線的デザインで装飾はありませんが、外壁にまわした石貼りの帯と2階の連続する上げ下げ窓が外観上のアクセントになっています



■淡い色合いのスクラッチタイルがなかなかお洒落で、モダンな雰囲気を演出しています
向かって右側の通用口の扉は当時のままの木製です



■豊川牛久保郵便局の文字がうっすらと残っています



■雨どいも逓信省の〒マークが入った特注品



■掲示板もレトロなデザイン



 旧街道沿いには戦前の郵便局舎がそのまま残されているケースをよく見かけます。使われなくなった建物は老朽化が進む一方なので、手遅れにならないうちに保存再活用する手段が望まれます。滋賀県の旧醒井郵便局では、町の資料館として再生し、貴重な地域の近代化遺産を保存活用しています。
 
 牛久保には牛久保城跡や今川義元の胴塚、山本勘助の墓など多くの歴史遺跡が残されています。これらの歴史遺跡と近代建築を組み合わせて、人々が訪れたいと思うような魅力的な町づくりができないものかと素人の浅知恵で思ってしまいます。どこの自治体も予算には余裕がなく、費用対効果とか考えるとなかなか難しいのが現実なのでしょう。あと10年もすれば、現存する近代建築は文化財指定の建物か、運よく資料館などとして保存活用された一握りの建物だけになってしまうのでしょうね。それまでに今はまだかろうじて現存している街角の近代建築を、ひとつでも多く紹介したいとあらためて思う今日この頃です。


松井線香製造所/旧日本駆虫品製造(愛知県豊川市)

2014-06-07 | 東三河の近代建築

 豊川稲荷の総門前の道を南へ向かうと、姫街道との交差点にちょっと変わった古い木造2階建の建物があります。大正5年に建てられた松井線香(旧日本駆虫品製造)の工場で、道路に面した東側は線香の乾燥室になっています。板張りの壁はブラインドのように板が開閉可能で、線香を自然乾燥させるための空気調整ができる昔ながらの工夫が見られます。

◆松井線香製造所(旧日本駆虫品製造)/愛知県豊川市中央通1-11
 竣工:大正5年(1916)
 構造:木造2階建
 撮影:2014/05/03 


■乾燥室の板がブラインドのように開いているのが分かります



 


飯田線沿線散策~豊川稲荷門前通商店街の琺瑯看板(愛知県豊川市)

2014-06-06 | まちかどの20世紀遺産

 豊川稲荷の門前通商店街は「懐かし青春商店街」と銘打って、昭和レトロな雰囲気を売りにしているようです。商店街入り口には、懐かしい琺瑯看板がギャラリーのように展示してあり、商店の壁にも色とりどりの琺瑯看板を貼り付けてあります。昭和をテーマにした博物館など、琺瑯看板を展示してある所は結構ありますが、実際の商店の壁に貼って展示する「路上ギャラリー形式」は、本来の看板の特性が生かせるのが良いですね。

 琺瑯看板はほとんど絶滅の危機に瀕していて、コレクターの間ではかなりの高額で取引されていると聞きます。なかなかこれだけ多くの種類を集めるのは大変だったと思いますが、もう街中ではほとんど見ることのできない貴重なものも多く、コレクターが自宅に死蔵しておくよりは、多くの人が実物を見られる路上展示は大歓迎です。これからも随時種類を増やしてくれることを切に望みます。


■商店街入り口に展示してある多くの琺瑯看板



■大塚オールスターズ勢ぞろいと思ったら・・・浪花千栄子、水原弘、由美かおる、大村崑ときたら松山容子が無いのは残念!
金鳥の美空ひばりの看板はかなりの希少種です。



■こちらは常滑で見つけた松山容子のボンカレーの看板
これで大塚お役者五人衆が勢ぞろい



■ブラック・ニッカとオミズ~しみじみ昭和の哀愁が漂う



■学生服の琺瑯看板は種類が多く楽しめる~富士ヨット、官公、ダイヤ、旭ツバメ、乃木服、忠臣、まるいし、などなど









飯田線沿線散策~豊川稲荷界隈(愛知県豊川市)

2014-06-04 | まち歩き

 新城の建築探訪を終え、再び飯田線に乗って豊川駅で下車。近代建築ではありませんが、せっかく豊川に来たので、日本三大稲荷のひとつ豊川稲荷に寄りました。豊川駅から右手に向かうと、ほどなく門前通商店街に出ます。商店街入り口には「豊川いなり表参道・なつかし青春商店街」のアーチがかかり、たくさんのお詣りの人でにぎわっていました。

 実は愛知県人ながら豊川稲荷を訪れるのは今回が初めてです。岐阜県境の犬山から豊川は結構な距離があり、今までなかなか訪れる機会がありませんでした。初詣もせいぜい名古屋の熱田神宮止まりでしたが、これを機会に次回はぜひ初詣に訪れてみたいものです。


■JR豊川駅前~たくさんのキツネが踊っています



■門前通商店街の入り口



■古い町屋が観光案内所として利用されていました



■この界隈は味のある古い建物が残っています



■これぞ昔ながらの食堂



■商店街を抜けると豊川稲荷の総門です



■豊川稲荷前のにぎわい



■さすが日本三大稲荷、境内が広いです





■豊川稲荷本殿



撮影:2014/05/03


新城駅~JR東海 飯田線(愛知県新城市)

2014-06-01 | 木造駅舎の旅

 新城駅は私鉄豊川鉄道の駅として明治31年(1898)開業、昭和18年(1943)に国鉄、昭和62年(1987)にJR東海へと移管されています。現在の駅舎は玄関上の建物資産標から、昭和15年12月(1940)竣工と思われます。駅舎外観は直線を基調とした端正なデザインですが、玄関に張り出した大きな車寄が特徴で、外壁の基礎部分を石貼りにして、木製の窓枠や持ち送りにセセッション風の装飾がみられます。

 新城駅周辺は、駅橋上化や自由通路の整備などを盛り込んだ活性化計画が進んでおり、数年後には現駅舎が取り壊されるのは確実と思われます。東海地区ではおなじみの名鉄も、ここ数年で戦前の木造駅舎がほとんど建て替えられてしまいましたが、比較的多くの戦前の駅舎が残るJRのローカル線も、これから同じ運命をたどることになりそうです。


◆新城駅(JR東海 飯田線)/愛知県新城市宮ノ西30
 竣工:昭和15年(1940)
 構造:木造
 撮影:2014/05/03


■駅舎全景







■軒の持送りと窓廻りの木枠に装飾的なデザインがみられます





■駅待合室~壁の最下部、床に接する部分にスクラッチタイルが貼られています



■「S15.12」の表示がある建物資産標