かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

看板の多い薬店(愛知県一宮市)

2013-03-31 | まち歩き

愛知県江南市と一宮市を結ぶ県道64号線沿い、瀬部の信号交差点近くにある薬局です。
これでもかとばかり『くすり』の看板を出して薬局であることをアピール、ついには店の前の石にまでペンキで「クスリ」と書いてしまうほどの念の入れようです。 
(撮影:2013/02/03)
 


一宮市建設部維持課分室倉庫/旧伝染病隔離病棟(愛知県一宮市)

2013-03-29 | 尾張の近代建築

一宮駅から西へ1km、八幡5丁目交差点南側に東西に長い木造平屋建の古い建物があります。
資料によると、大正8年に伝染病隔離病棟として建てられた建物で、現在は一宮市建設部維持課が倉庫として使用しています。
建物は瓦葺寄棟、横板張りの木造平屋建で、玄関のある北側には出窓や大きなガラスの引き戸を設け、開口部を大きくとっているのが特徴です。
北側に大きなガラス窓や戸を設けるのは当時の病棟建築ではよく見られる形式で、日当たりのよい南側に病室、暗い北側の廊下に欄間付の大きなガラスの引き戸を設け、採光や風通しを配慮した設計になっています。

ところでなぜ敷地の中央あたりに1棟だけポツンと大正の建物が残っているのか、その理由をわたしなりに勝手に推理してみました。
敷地の広さから、竣工当初から病棟が1棟だけというのは考えにくく、現存する病棟の南北に複数の病棟が存在し、現存する1棟を残し他の病棟は取り壊されたと考えるのが最も妥当なのではないでしょうか。
玄関だけが増築したような外観で、大正期の病棟とアンバランスなのが気になっていましたが、病棟をつなぐ渡り廊下の部分を途中でちょん切って玄関に改築したとすればつじつまが合います。
一宮市の施設として再利用されなければ、おそらく取り壊されていたであろう大正時代の病院建築、これからも末永く現役で使われると良いですね。


■外観はまったく装飾がなく実用一点張りの質素な造り。
近代建築としての面白みはありませんが、県下でも数少ない戦前の病棟建築を伝える貴重な建物です。




◆一宮市建設部維持課分室倉庫/旧伝染病隔離病棟(愛知県一宮市神山3丁目7-2)
 竣工:大正11年(1922)
 構造:木造平屋建
 撮影:2013/03/03


■明治村に移築保存されている日本赤十字社中央病院病棟(明治23年築)
こちらも中庭を囲み南北に病棟を配置する分棟式で、北側の廊下は全面ガラス張になっています。
一宮市の隔離病棟とは対照的に、下見板張りにハーフティンバー風の装飾を施し明るい雰囲気を演出しています。


■明るいガラス張の廊下~右手は病室


旧起第二尋常小学校奉安殿(愛知県一宮市)

2013-03-27 | 尾張の近代建築

美濃路の起宿から一宮市街へ向かう途中、三条小学校の隣に国登録有形文化財に指定された戦前の奉安殿が残っているということで寄ってみました。
そもそも奉安殿とは何ぞや?という基本的な疑問を解決するためにネットで調べたところ、「戦前の日本において、天皇と皇后の写真(御真影)と教育勅語を納めていた建物」(ウィキペディア)とありました。
当初は講堂や校舎内に奉安所として設けらましたが、御真影と教育勅語を天災や火災から守るために、耐火耐震構造の鉄筋コンクリート造や煉瓦造の独立した奉安殿が建築されるようになりました。
また御真影を納めているため、おのずとその外観は荘厳重厚なデザインになり、洋風のギリシャ建築風から日本古来の神社風建築まで意匠を凝らした物が建てられました。
戦後はGHQの指導により、奉安殿の多くが廃止、解体されましたが、一部は神社などに移築されその姿を現在に伝えています。

旧起第二尋常小学校奉安殿は昭和4年に落成、戦後隣接する三条神社境内に移築され取り壊しをまぬがれました。
神社本殿の脇に建つ純和風の奉安殿の建物は、何の違和感もなく神社の一部として周囲に溶け込んでいて、これからも神社の境内の片隅で静かに時を刻んで行くことでしょう。




◆旧起第二尋常小学校奉安殿/愛知県一宮市三条苅2
 竣工:昭和4年(1929)/昭和22年(1947)頃移築
 構造:RC造
 撮影:2013/03/03
 ※国登録有形文化財 

 

一宮建築散歩(15)~起小学校周辺

2013-03-25 | まち歩き

美濃路の起宿本陣跡のすぐ東にある起小学校周辺は、織物産業で栄えた旧尾西市の戦前~昭和の懐かしい街角の風景が今も残っています。


■起小学校のすぐ北側にある起青果卸売市場の建物





■昭和の哀愁が漂う古いアパート



■なぜか織物工場の煉瓦塀が住宅と一体化して残されていました



■煉瓦塀と給水塔と煙突のある風景



■起小学校西側にあるのこぎり屋根の毛織物工場



■工場脇のコンクリート造の倉庫?



■火の見が懐かしい尾西消防団第一分隊の建物



■尾西ならではの織物工場の煙突のある風景

撮影:2013/03/03



一宮建築散歩(14)美濃路編~起定渡船場跡界隈

2013-03-22 | まち歩き

木曽川に沿って美濃路を北上、今回のポタリングの終点起宿の定渡船場跡に到着。
美濃路は起の渡船場から木曽川を渡り墨俣宿へと続きます。


■起渡船場跡の碑がある金毘羅神社





■渡船場跡の近くにある起第一陸閘~昭和29年の竣工ですが親柱は戦前の昭和モダンなデザインの流れを受け継いでいます



■渡船場跡の美濃路沿いには蔵を持つ立派なお屋敷が残っています





■和風の町屋が建ち並ぶ美濃路沿いでは珍しいタイル貼りの洋風蔵

撮影:2013/03/03


一宮建築散歩(13)美濃路編~旧尾西市の織物工場建築

2013-03-20 | まち歩き

萩原宿を後に美濃路を北へ向かい日光川を渡ると旧尾西市に入ります。
西萩原を過ぎると国指定史跡富田の一里塚がありますが、史跡関係はわたしの守備範囲外ということで他の方にお任せし、ひたすら近代の風景を求めて街道を起宿へとひた走ります。
富田の一里塚を過ぎて700mほど進むと右手に下見板張りの洋風建築を発見(上の写真)
現在は学習塾として使われているようですが、この手の建物は織物工場の施設として建てられることが多く、他の物件を求めて周囲をしばらく探索しました。

旧尾西市は織物工業の本場ということで、やっぱりありました。
美濃路からちょっと東へ入った西五城須賀前で、戦前築と思われる織物工場関連の洋風建築を見つけました。
いずれの建物も木造下見板張りで、軒下の部分だけは白漆喰で仕上げるという同じデザインになっています。
一宮周辺の織物工場関連の洋風建築はほとんどがこのタイプで、織物産業が全盛期だった昭和初め頃までにこぞって建てられたものと思われます。






■すぐ脇には一宮周辺では定番、のこぎり屋根の工場も残っています



■一枚の大きな看板にせず、あえて菱形の小さな看板を並べるところなどは、昭和っぽくて時代を感じさせます



■工場の金属製ドアにはちゃんと装飾が施してあります



■西五城神明神社前の大徳会館~この建物もかなり古そうです

撮影:2013/03/03


旧村瀬銀行萩原支店(愛知県一宮市)

2013-03-16 | 尾張の近代建築

旧美濃路萩原商店街沿いには旧萩原郵便局とともに、大正期の銀行建築の貴重な遺構、旧村瀬銀行萩原支店が現存しています。
村瀬銀行は明治31年(1898)名古屋で開店、昭和初期の金融恐慌により昭和7年(1923)に休業になりました。
尾北地方では布袋支店、萩原支店、犬山支店が現存しており、萩原支店と犬山支店は同じ棟梁の手によるもので、外観は明治期によく見られる和洋折衷の土蔵造の銀行建築になっています。
大正期に入ると都市の銀行はほとんどRC造の洋風建築が採用され、和風の土蔵造の銀行建築は姿を消して行きますが、地方ではまだまだ和洋折衷の土蔵造の銀行が建てられたようです。
建物外観は白黒のツートンにきれいに塗装され、最近まで店舗として再利用されていましたが、現在は閉店しています。


◆旧村瀬銀行萩原支店/愛知県一宮市萩原町萩原下町
 竣工:大正8年(1919)
 設計:棟梁 鈴木仁蔵
 構造:木造2階建塗籠造
 撮影:2013/03/03


■2階の開口部は洋風縦長の上げ下げ窓(現在はサッシの引き戸に改変)、内部にはカウンターを設けた吹き抜けの客溜が残っています。

撮影:2013/03/03


旧萩原郵便局(愛知県一宮市)

2013-03-14 | 尾張の近代建築

旧街道美濃路沿いの萩原商店街に大正期に建てられた2軒の洋風建築が現在も残っています。
まず1軒目は萩原下町の交差点を西へ向かってすぐ左手に見える、街道沿いの建物のなかでもひときわモダンな雰囲気の建物旧萩原郵便局です。
使われなくなってかなりの年数が経過していると思われますが、ほぼ当時の大正モダンな面影(窓や玄関などは一部改変あり)を残しています。
とはいえこのまま朽ち果ててゆくのは個人的には誠に残念で、昭和レトロな商店街活性化の拠点として再活用される日が来るのを心より願っております。

◆旧萩原郵便局/愛知県一宮市萩原町串作女郎花1649
 竣工:大正15年(1926)
 構造:木造2階
 施工:清水組
 撮影:2013/03/03


■ファサードには歴史様式の名残のオーダーを配しつつ、玄関上のアーチは当時流行の表現主義風のモダンなデザイン
縦長の窓は上下に分割されサッシに変更されていますが、当初は上げ下げ窓だったと思われます



■玄関扉は撤去されガラスブロックがはめ込まれています。
アーチ中央部の縦筋の入った立体的な装飾は、まるで絞り出した生クリームのようでおいしそうです。 


一宮建築散歩(12)美濃路編~萩原商店街界隈/その2

2013-03-12 | まち歩き


■旧萩原郵便局を過ぎ西へ進むと、右側に土蔵造の旧村瀬銀行萩原支店があります
最近まで乳母車店として使われていましたが、現在は看板も撤去され閉店した模様



■旧村瀬銀行隣の商店~こちらは元気に営業中です



■旧村瀬銀行向かいの商店~ホルモン焼き・ハンコ・自転車・たこ焼きと、歴史を感じさせる店舗が並んでいます







■正瑞寺(上のたこ焼き屋さんの隣)から右手に曲がり南北に延びる美濃街道~萩原商店街もここで終わりです

撮影:2013/03/03


一宮建築散歩(11)美濃路編~萩原商店街界隈/その1

2013-03-10 | まち歩き

まだまだ続く一宮建築散歩、今回は一宮の西南部旧美濃路の萩原宿から起渡船場跡まで例によってのんびりポタリングしました。
今回の出発地点美濃路の萩原宿の中心にある萩原商店街は、現在も昭和の面影を色濃く残す昔ながらの商店街で、まさに私が少年時代を過ごした昭和30~40年代にタイプスリップした気分にさせてくれる、懐かしい町並みが残っています。 


■美濃路の名鉄尾西線の踏切のすぐ西側にある萩原商店街の入口~今回はここから旧美濃路を起の渡船場跡まで走ります
 


■萩原下町の交差点にある古い床屋さん(現在は残念ながら閉店しているようです)~この交差点から商店街は美濃路沿いに西へ延びています
 

■玄関廻りも看板も木製の昭和レトロな理容店
 


■萩原下町の交差点から西へ延びる商店街を望む~向かって右側の洋品店の壁に「富士ヨット学生服」の琺瑯看板の一部が覗いています
 


■商店街を西へ向かうと左手に旧萩原郵便局の建物が見えてきます
 


■旧郵便局隣のレトロな煙草屋さん


■タイル貼りのショーウインドーが懐かしい、まさに「昭和の煙草屋さん」
  
撮影:2013/03/03 


一宮建築散歩~タイル貼り商店編

2013-03-08 | まち歩き

一宮駅の東側、真清田神社前から南に延びる本町通り(旧岐阜街道)界隈は昔ながらの商店街で、ファサードに豆タイルを貼ったレトロな商店が残っています。


■ファサードに豆タイルを貼った昭和30年代の雰囲気を伝える古い店舗


■茶色の豆タイルが落ち着いた雰囲気の洋食屋さん(数年前までは喫茶店でした) 


■洋食屋さんの店舗の側面の壁には、レトロなデザインの木製の窓枠がありました




■店舗の2階の壁に「ワタナベ」と色違いのタイルで屋号が描かれています





■玄関廻りに豆タイルを貼り窓枠も木製の昭和な床屋さん

(撮影:2013/02/03)


一宮建築散歩(10)~野口・末広界隈

2013-03-05 | まち歩き

商店街が広がる一宮駅東側とは対照的に、駅の西側は古くからの住宅街で、特に野口~末広界隈には戦前からの古い住宅が残っています。
ほとんどが和風の木造家屋ですが、一部洋風の建物も見られます。


■木造横板張りの洋風建築(末広1丁目)






■現在外壁はトタン張りですが、当初は板張りだったと思われます(野口2丁目)

撮影:2013/02/24


昭和面格子図鑑(愛知県一宮市)

2013-03-03 | まち歩き

窓につける手すりは落下防止用ですが、面格子は防犯対策として、窓全体に金属の格子を取り付けたものです。
やはり格子だけだと面白みがないので、手すりと同様ワンポイントの装飾が施されているものが多いようです。


■格子に唐草模様の組み合わせ









■格子に〇を組み合わせたパターン