かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

おうち時間の愉しみ(4)40年来の愛機とともに

2021-12-27 | 音楽・オーディオ

今日は朝から本格的な雪になりました。
しんしんと降る雪を見ながらストーブに当たり、お気に入りの音楽を聴く。ささやかな幸せを実感するひと時です。
拓郎の『雪』の一節~窓にもたれ思う冬の旅を~が頭をよぎり、「あ~冬の温泉行きたいよお~」と妄想にふけります。

ところで最近何気に音楽を聴いていると、以前聴いていた音より確実に良くなっていることに気づきました。
わたしのオーディオは40年以上前の年代物ですが、音の深み、柔らかさ、艶が確実に増してきて、ここに至って歴代ベストの音が出ているではありませんか!

そこで思い当たるのは、4月からの強制おうち時間でほとんど一日中音を流しっぱなしにしている今の環境です。
現在のオーディオは、大学以来の付き合いになりますが、就職してから転勤、結婚、子育てと忙しい日々が続き、じっくり音楽を聴く時間がほとんどありませんでした。
子どもたちに手がかからくなった15年ほど前から、音楽と向き合う時間が増え、休日にはアンプに灯を入れる時間が多くなりました。
それでもある程度音量を上げて聴くのはせいぜい休日の週2回、用事があるとそれもままなりません。

ところが4月から音楽環境が激変。
毎日12時間の稼働に加え、昼間もアンプ、スピーカーの本来の性能が発揮できる音量まで上げて聴くことができます。
そんな半年の慣らし運転で、40数年休眠していた愛機たちが、本来の持つパフォーマンスを発揮できるようになりました。
あらためて昭和のアナログオーディオの底力、奥深さを再認識しました。

年を経て輝きを増す愛機たちのおかげで、毎日充実したおうち時間を過ごしています。
最新の高級オーディオの音はわかりませんが、今では40年来の付き合いの愛機たちとともに過ごす時間は、私にとってかけがえのないものになりました。
この歳になってようやく、オーディオの本当の愉しみにたどり着いた思いです。

円熟の愛機サンスイ(AU-D707F)とヤマハ(NS-1000M)が今日も老骨に鞭打ってけなげに鳴っています。
最近ハマっているアールグレイを濃いめに出したミルクティーを飲みながら、ケニーバロンのピアノとサックスをゆったり聴く午後のひと時。
こんな小さな幸せですが、わたしの人生を最高に豊かにしてくれます。
今日という日と、最後までお付き合いいただいた皆様に感謝です!

George Robert, Kenny Barron Peace

Tracks: 1 Peace 00:00 2 I Didn't Know What Time It Was 02:37 3 Soft...

youtube#video

 

 


処女航海/ハービー・ハンコック(1965年)

2017-07-30 | 音楽・オーディオ

このアルバムもジャズを聴きはじめたころ、よく聴きました。
いわゆる「新主流派」の代表作として、必ずとりあげられる一枚です。
50年代のハード・バップとは明らかに空気感が違います。
ジャズ評論家の中山康樹氏は、この空気感を「新しい叙情」と表現して、それ以前のジャズとは大きく一線を画すと『ジャズの名盤入門』のなかで書いています。
「ハード・バップ」が地下室のライブハウスなら、「新主流派」は青空の下の野外フェスが良く似合います。

50年代後半に円熟期をむかえたハード・バップは、60年代の若い世代のミュージシャンたち(ハービー・ハンコック、ウェイン・ショーター、トニー・ウィリアムスなど)により、新しい感覚と理論で発展・進化し、その後70年代のフュージョンへとつながります。


■処女航海(Maiden Voyage)/1965 
ほとんどのメンバーがマイルスグループの若手たちで、楽曲はすべてハービー・ハンコックのオリジナル



~今日の散歩道~
■日本ラインロマンチック街道
木曽川沿いの岐阜県坂祝町~美濃加茂市にサイクリングロードが整備されています。
日本ラインの景観を眺めながらの快適なツーリングは、本当に気持ちがいいです。








ヘヴィー・ウェザー/ウェザー・リポート(1976年)

2017-06-17 | 音楽・オーディオ

ジャズを聴きはじめたころ、チック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」、ハービー・ハンコックの「処女航海」、それとウェザーの「ヘヴィー・ウェザー」は毎日のように聴いていました。
いずれのアルバムも、60年代から70年代にかけて新しい方向に向かったジャズなので、ロック少年だった僕にはジャズへの入り口としては最適だったようです。
とくに「ヘヴィー・ウェザー」はロック色の強いジャズ・フュージョンで、エレキ楽器を駆使したファンキーでポップな演奏は、ロック耳にも心地良く入ってきました。

ウェザー・リポートは電化マイルス・グループの中心だったジョー・ザヴィヌル(キーボード)とウェイン・ショーター(サックス)が1971年に結成、70年代のジャズ・フュージョンシーンをリードしました。
特にこのアルバムは、当時革新的なベース奏者だったジャコ・パストリアスが参加、グループの人気を決定づけた一枚です。


■ヘヴィー・ウェザー(Heavy Weather/1976年
一曲目の「バードランド」のつかみのリフは、いっぱつでロック少年の心をわしづかみにしました



■近代建築を再活用したレトロモダンな喫茶店~ジャズが似合いそうです
(岐阜県美濃加茂市旧中山道)


アンダーカレント/ビル・エヴァンス&ジム・ホール(1962年)

2017-05-28 | 音楽・オーディオ

僕が大学時代に初めて買ったジャズのレコードです。
ピアノ好きのS君の部屋でよく聴かせてもらったビル・エヴァンスと、ギタリストのジム・ホールのデュオ作品。
ビル・エヴァンスと言えばピアノトリオが有名ですが、ジム・ホールのギターとの相性は抜群、特にリリシズム溢れる「ドリーム・ジプシー」が素晴らしい。
同世代の二人はこのアルバムの録音当時30歳前半で、脂の乗ったジャズのマイスター同士の丁々発止のインタープレイ(即興演奏)が堪能できます。
演奏はもちろん、モノクロのジャケットのセンスの良さもふくめ、僕にジャズの奥深さを教えてくれた思い出の一枚。


■アンダーカレント(Undercurrent)/1962年
アートとしも一級品のアルバムジャケットは、CDよりもLPレコードの大きさがぴったり



~今日の散歩道~新緑の犬山城と木曽川


ザ・ケルン・コンサート/キース・ジャレット(1975年)

2017-05-14 | 音楽・オーディオ

このアルバムも、大学時代の同じ学生アパートの住人S君の部屋で、よく流れていました。
最初に聴いた印象は、当時僕のイメージしていたジャズとは全然違い、どのジャンルにも当てはまらないとにかく美しい音楽でした。
S君からこのアルバムが全て即興演奏(インプロビゼーション)ということを聞いて、こんな音楽もあるんだと驚きました。
LPレコード2枚組をカセットに録音させてもらい、毎日寝る前にラジカセで聴きました。
キースのピアノは、森の中の湖の鏡のような水面に浮かぶ小舟に揺られているようで、いつもPartⅠが終わる頃には心地良い夢路についているのでした。


■ザ・ケルン・コンサートThe Köln Concert)/1975年



■満開のヒトツバタゴ~まるで雪が積もっているようです(小野洞砂防公園/犬山市富岡)
ヒトツバタゴ:5~6月、小さな白い花をたくさんつける。日本では木曽川流域と対馬にだけ自生する。



リターン・トゥ・フォーエヴァー/チック・コリア(1972年)

2017-05-07 | 音楽・オーディオ

最近散歩とジャズにハマっています。
四季折々の風景を楽しみながらの週末散歩は、心身ともにリフレッシュさせてくれます。
散歩のおとものBGMはジャズが最適で、昔のCDを愛用のウォークマンにおとして出かけます。
ジャズを本格的に聴くようになったのは大学に入ってからで、高校まではロック少年でした。
きっかけは同じ学生アパートの住人S君との出会い。
彼の部屋で最初に聴いたのがチック・コリアの「リターン・トゥ・フォーエヴァー」でした。
いわゆるフュージョン系(当時はクロス・オーバーとも言った)の「リターン・トゥ・フォーエヴァー」は、ロックばかり聴いていた私にも親しみやすく、本格的なモダン・ジャズへの扉を開くきっかけになってくれた1枚です。
 

■リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return to Forever)/1972年
電化マイルスグループでエレクトリック・ピアノの腕を磨いたチック・コリアが、ベーシストのスタンリー・クラークを誘って結成。
その後はメンバーを変えながらよりロック色の強いバンドになっていきます。
カモメが水面を飛翔するジャケットは印象的で、そのままチックの音楽を表現しているようでした。



■里山のレンゲ畑(犬山市今井にて)


シャマール「砂の迷宮」/ゴング (1975年)

2017-04-09 | 音楽・オーディオ

ゴングの中心人物だったディヴィッド・アレン脱退後の7作目のアルバム。
それまでのサイケデリック路線から一転して、エスニックなワールド・ミュージック風で、アルバムジャケットもオリエンタルなムードが漂う。
一昔前のプログレの残滓を引きずりながら、サックスとパーカッションを中心としたジャズロック路線へ舵を切り、サウンド的にも非常に聴きやすい。
次作の「ガズース」では、さらにフュージョン色を強め、完全にインスト・ジャズ・ロックバンドに変身している。

■シャマール「砂の迷宮」/ゴング (1975年)
パーカッションを前面に出したサウンドは心地良く、今聴いても古さを感じさせない。
 


■ガズース(1976年)
アラン・ホールズワースのうねるギターとパーカッションの絡みが聴きどころ。
 


■フライング・ティーポット - Flying Teapot (1973年)
サイケなジャケットが時代を語る~ディヴィッド・アレン在籍時の作品


ヴォヤージ・オブ・ジ・アカライト「侍祭の旅」/スティーブ・ハケット(1976年)

2017-02-12 | 音楽・オーディオ

〇ジャケットはB級だが、中身は超A級
ジェネシスのギタリスト、スティーブ・ハケットが在籍中の1976年に発表した初のソロアルバム。
実はこのアルバム、大学生の頃に東梅田(大阪)の輸入盤専門店で購入したのだが、ほとんどジャケ買いだった。
ジャケット全体はファンタジー系の雰囲気なのだが、ドアから出てくる白目をむいた幽霊?(足がない!)はかなりおどろおどろしくて、いかにもB級プログレバンドの匂いがプンプンする。

ところがジャケットのクレジットを見ると、なんとあのブリティッシュ・プログレバンドの雄ジェネシスのギタリスト、スティーブ・ハケット御大の名が。
参加メンバーにはフィル・コリンズマイク・ラザフォード といったジェネシスの豪華な面々も名を連ねている。
僕は当時、熱心なジェネシスのファンというわけではなかったのだが、Nursery Cryme「怪奇骨董音楽箱」やSelling England By The Pound「月影の騎士」で聴いたスティーブ・ハケットのギターは結構好みだったので、まあはずれはなさそうということで即購入。 

中身はまさにこれぞ大英帝国の様式美を思わせるブリティッシュ・プログレの 王道。
ほとんどインストの楽曲は美しく繊細でドラマッチクな展開を基調としながらも、ドライブ感のあるタイトな演奏も織り交ぜ、本家ではピーター・ガブリエルちょっと遠慮してできなかったことを、ここぞとばかり伸び伸びやっている。
プログレ界稀代のギタリスト、スティーブ・ハケットのベストに数えられる傑作アルバム。


■ヴォヤージ・オブ・ジ・アカライト/Voyage of the Acolyte「侍祭の旅」(1976年)
70年代ならではのB級プログレバンド風のベタなジャケットが良い味を醸し出している。


■タロットをコンセプトにした幻想的なイメージの中開イラスト
「隠者」「法王の陰」「恋人」などタロットカードにちなんだ曲名がいかにもといったかんじで泣かせる


一触即発/四人囃子(1974年)

2016-10-10 | 音楽・オーディオ

〇70年代日本のプログレハードの金字塔~「一触即発」

僕が青春時代を過ごした70年代、ロックといえば洋楽が全盛だった。なかでも60年代にビートルズやストーンズといったビッグネームを送り出したイギリスは、70年代になっても世界のロックシーンをリードしていた。当時はブリティッシュロックと呼ばれ、僕の好きだったハード・プログレ系はほとんどがイギリスのバンドだった。日本のロックバンドはというと、数えるほどしかなく、ましてやプログレ系にいたっては皆無に近かった。

そんな洋楽全盛期の1974年、ついに和製プログレバンド四人囃子が「一触即発」というアルバムでデビューした。
四人囃子は当時国内では珍しい本格派のプログレハード系のバンドで、ブリティッシュハード・プログレ系が大好きだった僕はすっかりこのアルバムに魅了されてしまった。

ギターの森園勝敏をはじめメンバー全員が20歳そこそこながら、高校生の時にはすでにピンク・フロイドを完コピしていたという演奏力は、デビューアルバムとは思えない完成度の高さである。当時は日本のロックバンドはほとんど英語の歌詞だったのだが、全編日本語のちょっとシュールでノスタルジックな歌詞からは、彼らの「日本のロックバンド」にこだわった姿勢が強く感じられた。

シュールなタッチで描かれた「パイプをくわえたナマケモノ」のレコジャケもかなりのインパクトで、僕の中では70年代の日本のプログレといえば「一触即発」がすぐ頭に浮かぶのである。


■一触即発/四人囃子(1974)
「一触即発」を初めて聴いた時の興奮は今でも鮮明に覚えている。
高校2年の夏休みに聴いた「空と雲」はなんだか心にしみて、ちょっと切なかった。
 


■ゴールデン・ピクニックス/四人囃子(1976)
彼らの2ndアルバムは前作よりポップな感じで楽しめたが、僕は1stの心地良い緊張感がよかったなあ。
 


キース・エマーソンを偲ぶ

2016-03-13 | 音楽・オーディオ

ELP(エマーソン・レイク&パーマー)のキーボード奏者キース・エマーソンが亡くなりました。
中学3年の時に友人の影響で、いわゆるプログレ(プログレッシブロック)にハマったのですが、ELPはイエス、ピンク・フロイド、キング・クリムゾン とならぶ「わが青春のロック・ミュージック」なのです。

ELPとの出会いは『展覧会の絵』で、友人宅で初めて聴いた時はその強烈なライブパフォーマンスに圧倒されました。
その後NHKの「ヤング・ミュージックショー」というTV番組で、ELPのライブを放映したのですが、その時の『ナット・ロッカー』でのキース・エマーソンの鬼気迫るキーボードプレイは、スゴイ!のひとことでした。 


イエスのベーシスト、クリス・スクワイアに続くキース・エマーソンの訃報は、プログレの全盛期を知る私のようなファンには寂しいかぎりですが、彼らの音楽はこれから先もずっと新しいロックファンに受け継がれてゆくに違いありません。 


 


70年代ステレオ事情Part2~蘇るサンスイ

2015-07-22 | 音楽・オーディオ

今年になって思いもかけずサンスイが復活、往年と変わらぬ音が帰ってきました。
だめもとでアンプ内をエレクトリッククリーナーで清掃したところ、ガサガサだった左チャンネルとセレクターが復活。
もう骨董品だからとあきらめていたのですが、ものは試しやってみるもんですねぇ~
やっぱりあの時代(昭和50年代)の電化製品は造りが違います。
とにかくアンプ、プレーヤー、スピーカー、すべてがでかくて重い!

シュワちゃんのターミネーターもおじいちゃんになって帰ってきましたが、わたしの昭和生まれのアンプも奇跡的によみがえりました。
大好きな50~60年代のジャズを70年代のオーディオで楽しむ毎日です。


■復活した「SANSUI AU-D707F」の雄姿
人間にたとえればまだまだ30代半ばの働き盛り。これからもがんばってもらいましょう。



■プレーヤー:YAMAHA GT-2000、スピーカー:NS-1000 MONITOR



プレーヤーのカートリッジがMCなので、オンキョーのアンプでは聴けなかったのですが、このたびMC対応のサンスイが復活。
久しぶりに学生時代の古いレコードを引っ張り出して聴いています。
レコードを聴くという行為自体が、音楽に夢中だった若いころを思い出させてくれて、この齢になるとなかなか新鮮です。
紙ジャケットから指紋が付かないように慎重にレコードを取り出し、プレーヤーにセット、そっと針を落として「さあこれから聴くぞ」と身構える。
CDや携帯プレーヤー、PCで聴くときには無い、音楽にしっかりと向き合う姿勢がやっぱりレコードは良いですね。
紙ジャケットもCDよりかなり大きいので見ごたえがあり、一つのアート作品として楽しめます。
そう言えばレコードの時は「ジャケ買い」のしがいもありました。 

こちらは大学の頃、美しいジャケットに惹かれて買った「ジャケ買い」の一枚。
70~80年代はフュージョン全盛期で、ジャズ界の大御所たちもこぞってフュージョンに流れていました。
 
■アート・ファーマーとジョー・ヘンダーソンの「YAMA」/1979 







オペラ座の夜/クイーン(1975年)

2014-02-05 | 音楽・オーディオ

 ぼくが中学~高校時代に洋楽(特にロック)にハマるきっかけは、その道の師匠ともいえる友との出会いがあったからだが、高校時代にはロックの第2の師匠ともいえるK君との出会いがあった。高2の時に同じクラスになったK君は色白の細面、髪をビートルズのマッシュールームカットのようにしたいわゆる優男、今で言う草食系男子の典型のようなタイプだった。ひょんなことからK君が大のロック好きと分かり、中学時代にヒロシ(第1の師匠)の影響で洋楽にハマっていたぼくは、すぐにK君と意気投合したのだった。

 K君はこの当時すでに、輸入盤を中心に洋楽アルバムを300枚以上所有していて、ハードからプログレまであらゆるジャンルのロックに精通していた。今思うと高校生で300枚ものアルバムを持っていたのだから、かなりの良いところのお坊ちゃまということだが、彼は月々のこづかいはもちろん、昼飯代もほとんどレコード購入につぎ込んで、メロンパン1個でがまんしていたかなりのツワモノでもあった。そんなK君からの薫陶もあり、ぼくは増々ロックにハマっていったのだが、一般庶民の息子だったぼくは、当時月1枚のペースでレコードを買うのが精いっぱい(当時レコードは高価で2000円以上した)、K君から借りるレコードはまさに頼みの綱だった。

 ある日そのK君が、「これ聴いてみ」と貸してくれたのが、リリースされたばかりのクイーンの3枚目のアルバム「シアー・ハート・アタック」だった。今でこそクイーンといえばロック界の大御所、洋楽ファンでなくても知らない人はいないビッグネームだが、この当時日本では一部の熱狂的なファンはいたものの、まだそれほど認知されていなかった。ぼくは一度もまともに聞いたことがないのに、どうせビジュアル重視のキワモノバンドくらいに高をくくっていたのだ。

 どうせ大したことはないだろう、と軽い気持ちでレコードに針を落とし全曲聴き終わると、これがまさしく「ムムムッ」なのである。曲はポップでキャッチー、バライティーに富んでいるのだが、音の厚みもあり、何より既成のロックバンドにはないクイーン独自の美学の世界をしっかりと構築していた。楽曲、テクニック、ビジュアルと三拍子そろったロックバンドは稀有な存在で、ツェッペリンやパープル、イエスなどの大御所に次に来る、新しい世代のロックバンドを渇望していた高校生のぼくには、はまさしく「ビンゴ!」だったのだ。翌年リリースされた「オペラ座の夜」の大貫憲章氏のライナーによると、デビュー当時はイギリス国内でもかなり酷評され、「ションベン桶」とか言われていたようだが、あらためてメロンパン1個でロック道を究めていた師匠K君の慧眼には感服するばかりだった。


■オペラ座の夜/クイーン(1975年)
 4枚目にして彼らの70年代黄金期を代表する1枚。たとえるならビートルズの「アビーロード」のようなアルバムで、メンバー4人全員が楽曲を提供し、曲想も変化に富んでいるが、トータルアルバム的な味わいもあり、ぼくの中では文句なしの彼らのベストアルバム。
 
 ブライアン・メイのカッコいいギターフレーズが印象的な「デス・オン・トゥ・レッグス」に始まり、最後のイギリス国歌「ゴット・セイヴ・ザ・クイーン」まで捨て曲なしで一気に聴かせる。当時このアルバムを初めて聞いたときの印象は、「カッコいい!」の一言に尽きた。特に今は亡きフレディ・マーキュリーがピアノの弾き語りで歌う「ボヘミアン・ラプソディー」は何度聴いてもトリハダもので、ぼくの中ではツェッペリンの「天国への階段」と並び、ロック史上に燦然と輝く不朽の名曲。






■クイーン・ライヴ・キラーズ(1979年)
 「オペラ座の夜」と並びぼくのお気に入りの1枚で、70年代最後を飾るクイーン初のライヴ盤。音質は今一つだが、70年代黄金期の楽曲が彼らの絶頂期のライヴ・パフォーマンスで堪能できる。
 クイーンと言えばやはりフレディ・マーキュリーの存在が絶大で、1991年彼の死によってクイーンの実質的なバンド活動は終焉を迎えたのである。


反射率0.39/ヴァンゲリス(1976年)

2013-11-08 | 音楽・オーディオ

ヴァンゲリスと聞いてすぐピンとくる人は少ないだろうが、1980年~90年代、映画『炎のランナー』や『ブレードランナー』、『南極物語』などのサントラを手がけた音楽家と聞けば、たいていの人は思い当たるに違いない。特に『炎のランナー』は名曲で、ビルボードのアルバム/シングルチャートの1位を獲得しているのだが、全編インスト曲のアルバムで全米1位になったのはこのアルバムだけである。

ぼくが初めてヴァンゲリスを知ったのは1975年頃、イエスのリック・ウエイクマンの後任として取りざたされた時で、イエスの大好きだったぼくは、それをきっかけにマルチキーボード奏者の彼の音楽に興味を持つようになった。今回紹介するアルバムのタイトル反射率(Albedo)とは、「惑星や非発行体の反射力」のことで、『Albedo 0.39』とは地球のことを指す。このタイトルとジャケット写真を見ればヴァンゲリスの指向する音楽性はおおよそ想像がつき、その当時のぼくはイエスと同じプログレとしてこのアルバムを聴いていた。

ヴァンゲリスの音楽の特徴は、シンセサイザー、キーボード、ピアノはもちろん、ドラムス、パーカッションなど多彩な楽器をすべて一人で演奏し、スタジオでの多重録音で一枚のアルバムつくりあげてしまうことで、ひとつのテーマを基に緻密に構成した、シンフォニックで壮大なスケールの作品が展開される。
現在は喜多郎やエンヤ、エニグマなどと同じニューエイジミュージックとして認知されているようだが、もともとロック、ジャズ、クラッシク、ポップスなど様々な要素を取り入れたノンジャンルな音楽性が特徴で、76年にリリースされた当時、このアルバムはぼくにとってまさにプログレッシブな一枚だった。


■反射率0.39/ヴァンゲリス(1976年)
ヴァンゲリスのアルバムの中では最も印象に残るジャケット。ソリッドでSF的なデザインは出色のでき。



ブラザーズ&シスターズ/オールマン・ブラザーズ・バンド(1973年)

2013-11-01 | 音楽・オーディオ

オールマン・ブラザーズ・バンドは、その名の通りデュアン、グレッグ兄弟が結成したバンドで、アメリカ南部のカントリーやブルースをベースとしたサザン・ロックと呼ばれるジャンルの草分け的存在。このアルバムがリリースされた73年、ニューヨーク州で開催された野外ロックフェスの「サマー・ジャム」にはザ・バンド、グレイトフル・デッドとともに参加、12時間にわたる演奏が行われ60万人の観客を動員した。(ライナー・ノーツより)
サザン・ロックは70年代に最盛期を迎え、 レーナード・スキナード、マーシャル・タッカーバンド、エドガー・ウィンター・グループ、ZZトップ、など南部出身のグループがアメリカ・ロックシーンを席巻した。


■ブラザーズ&シスターズ/オールマン・ブラザーズ・バンド(1973)
このアルバムでビルボード全米1位を獲得、シングルカットされた『ランブリン・マン』も大ヒットし、70年代のアメリカロックシーンを代表するバンドとして一躍脚光を浴びた。
このバンドは野外コンサートなど「ジャム」での長いインプロビゼーションが聴きどころで、このアルバムでも7分を超えるインスト曲『ジェシカ』でのギター、キーボードにパーカッションが加わる演奏は圧巻。
ジャケットの表紙は、枯葉の中にたたずむ男の子と女の子で、アメリカの南部の田舎を彷彿とさせます。



■見開きジャケット内側は、バンドメンバーの家族や関係者の集合写真。
男女とも髪型はストレートのロングにジーンズという、いかにも70年代のファッションが時代を感じさせる。
そういえばぼくも大学時代は、長髪にジーンズという、「俺たちの旅」の中村雅俊を地で行くファッションでした。


ワン・ライヴ・バジャー/バジャー(1973年)

2013-10-27 | 音楽・オーディオ

音楽はとにかく聴いてみなければ始まりませんが、レコードジャケットを見るだけでも、そのアーティストの世界の一端に触れることができます。ぼくが音楽に夢中だった70~80年代に聴いた、ロック・ジャズ・フュージョンなど、お気に入りのレコジャケのアートな世界を紹介します。

LPレコード(アルバム)は30cm四方の大きさですが、見開きジャケットでは30cm×60cmと倍の大きさになるので、表紙いっぱいを使ったイラストや写真は、ひとつのアート作品としてかなり見ごたえがあります。特に70年代のロック・フュージョン系のレコジャケは傑作が多く、聴いたこともないミュージシャンのアルバムをジャケットに惹かれて衝動買いすることも多々ありました。ジャケットの雰囲気とライナーノーツの解説(ただし国内盤のみ)だけを参考に、中身を想像し買ってしまうのですから、自分好みの音かどうかは聴いてからのお楽しみで、まあこれがジャケ買いの醍醐味でもあるわけです。当時はネットという便利なものもなく、音楽雑誌やFMからの情報がすべてなのですが、ぼくの好きなプログレは曲が長尺なので、ラジオなどでもほとんどかかることがありませんでした。そこで同好の友人からの情報や、お気に入りのアーティストの作品を過去にさかのぼり探したり、そのグループのメンバーのソロアルバムや、脱退したメンバーが結成したグループの作品など、好きなアーティストに関連する人脈をたどって新たな鉱脈を探索するわけです。その作品はまさに玉石混交。それゆえレコード店をめぐり、お目当てのアルバムを探し当て、それが「ビンゴ!」だった時の喜びはまたひとしおなのです。


■ワン・ライヴ・バジャー/バジャー(1973)
元イエスのキーボード奏者、トニー・ケイによって結成されたグループのライヴ盤。ジャケット・デザインがイエスと同じロジャー・ディーンというのが一目でわかり、トニー・ケイ以外のメンバーは誰も知らなかったのだが、即ジャケ買いしてしまいました。
イエス風のクラシカルで緻密な音作りかと思ったら、もっとストレートでハードなブリティッシュ・ロックを聴かせてくれます。
グループ名の「バジャー」は穴熊のことで、見開きジャケットの表紙いっぱいに、ロジャー・ディーンならではの幻想的な世界が広がります。



■ジャケットを開くとライヴでの4人のメンバー写真の中央に、飛び出す絵本風に穴熊が立ち上がります!



■レコジャケならではの遊び心が楽しい。