かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

堀川の橋(13)~岩井橋(名古屋市中村区・中川区~中区)

2012-03-31 | 近代橋めぐり

洲崎橋のすぐ下流、大須通に設けられた岩井橋は、納屋橋ほどの知名度はありませんが、大正期の橋梁技術とデザイン様式を伝える近代土木遺産としては堀川の橋のベスト1にあげられます。
現存する大正期の橋としては中橋(大正6年)が架橋時の姿を留める最も古い橋ですが、岩井橋は中橋と比較すると幹線道路の大須通にあり、交通量が比較にならないほど多いので、90年後の現在まで拡幅工事による架け替えもなく現役で使用されているのは、当時の設計と技術の優秀さを証明しています。

岩井橋の近代土木遺産としての優れた特徴は、
1.国内に現存する鋼製アーチ橋としては大阪の本町橋に次ぐ2番目に古い橋
2.大正12年竣工以来90年、架け替えられることなく現在もほぼ当時の構造と外観を保っている
3.現存する戦前の橋で飾り板を有する唯一の存在
4.橋詰の4か所に設けられた親水階段
などがあげられまが、当時国内トップの橋梁技術者関場茂樹(設計)と日本を代表する建築家武田五一(意匠)のコラボレーションによって、100年先を見据えた先端の技術とデザインが融合し、現在も竣工当時と変わらぬ美しい姿は全く古さを感じさせません。

岩井橋は知名度の高い納屋橋の陰に隠れてあまり注目されることもない地味な存在ですが、大正期の先端技術とデザインを受け継ぎ、現在も色褪せることなく現役で活躍する堀川唯一の近代の橋として文化財的価値も高く、これからの保存有効活用が望まれます。


◆岩井橋(いわいはし)/名古屋市中村区名駅南3、中川区松重町~中区大須1、松原1
 竣工:大正12年(1923)
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ
 設計:関場茂樹
 意匠:武田五一
 製作:日本橋梁
 撮影:2012/02/26
 ※土木学会選奨土木遺産

■武田五一について~
岐阜の近代建築探訪でも紹介しましたが、武田五一は東海地方に縁が深く、大正7年~9年にかけて名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)の校長を務め、名古屋の都市計画事業にもかかわりました。その時に建築家として岩井橋のほか記念橋(新堀川)の意匠設計を手がけていますが、記念橋は昭和52年に拡幅工事のため架け替えられました。



■岩井橋全景(下流日置橋より撮影)
 アーチの曲線が水辺の都市景観に安らぎを与えます(背景に見える直線の高架道路とは対照的です)



■東詰下流側親水階段より撮影



■橋の側面に取り付けられた飾り板~三連の飾りアーチの端は渦巻き状に巻かれ、アーチの間には四角錐状の装飾が施される



■御影石で造られた親水階段(東詰下流側)~橋詰の四隅に船の荷揚げ用に設けられた



■1999年老朽化に伴う床板改修工事が行われましたが、オリジナルの構造はそのまま保たれています



■西詰下流側のアーチに取り付けられた銘板~『大正十一年 日本橋梁株式会社 製作 大阪』



■大正12年9月竣功の銘が入る親柱~橋灯は竣工時のものではなく新設されています


堀川の橋(12)~洲崎橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-28 | 近代橋めぐり

堀川の橋めぐりも納屋橋を過ぎると残る橋もあとわずか、名古屋高速の下をくぐると州崎橋です。
すぐ北側を新洲崎橋のある若宮大通が通りますが、洲崎橋の通りは一方通行で道路幅も狭く、昭和10年架橋当時の面影を残しています。

◆洲崎橋(すざきはし)/名古屋市中村区名駅南3~中区大須1
 竣工:昭和10年(1935)、昭和61年(1986)改築
 構造:RC
 撮影:2012/02/26



■上流の新州崎橋より撮影~橋脚上部に扇形の装飾が施され橋灯や高欄も和風デザインで統一されている



■下流右岸(中村区)より撮影~すぐ上流は新州崎橋、上には名古屋高速2号東山線の高架道路が通る



■東詰(左岸中区側)



■昭和10年架橋の銘が入った親柱の上には立派な和風の橋灯が載る


堀川の橋(11)~納屋橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-26 | 近代橋めぐり

いよいよ堀川の橋めぐりも錦橋を過ぎ、名古屋の古くからのメインストリート広小路通にある納屋橋です。
名古屋で一番有名な橋と言えばなんといっても納屋橋です。(そのものずばり納屋橋まんじゅうは、名古屋の老舗の銘菓です)
愛知県民なら誰でも知っている納屋橋ですが、堀川開削時はすぐ上流に架かる美濃街道の通る伝馬橋のほうが人の往来が多くにぎやかでした。

江戸から明治に時代は移り、東海道線全線開通(明治22年)にあわせ広小路通が名古屋駅まで延伸されたのを機に、大正2年(1913)納屋橋は近代的な鉄製のアーチ橋として架けかえられました。
現在の橋は昭和56年に老朽化と拡幅のため架けかえられたものですが、橋の外側にアーチを取り付け、青銅鋳鉄の欄干(再利用)や橋灯(復元)も大正期の姿を再現しています。

厳密に言えば戦後架けかえられたため、近代の橋ではありませんが、戦前の納屋橋の景観を残すため、外観はオリジナルに近い姿に再現されているので、堀川の近代の姿を伝える橋のひとつとして紹介することにしました。


◆納屋橋(なやばし)/名古屋市中村区名駅南1、2(右岸)~中区錦1(左岸)
 竣工:大正2年(1913)→昭和56年(1981)拡幅・構造変更
 構造:鋼ソリッドリブ・アーチ→アーチ風飾り桁
 設計:吉町太郎一(伝承)
 撮影:2012/02/26



■上流右岸(中村区側)より東詰を撮影~納屋橋と旧加藤商会ビル(昭和6年築)



■下流右岸より撮影~橋の下のアーチは装飾で、構造上はなくても支障がありません



■中央部のテラスの欄干には、堀川開削を行った福島正則の紋と三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の紋が入っています


 
■親柱と橋灯(西詰下流側)~背の高い石造りの重厚な親柱、橋灯も立派です 


堀川の橋(10)~錦橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-25 | 近代橋めぐり

今回探訪の堀川の橋に限らず竣工年の古い橋は、老朽化や交通事情の変化で、その後拡幅や改修を受けているものが少なくありません。
伝馬橋のすぐ下流にある錦橋も、昭和62年に錦通を拡幅した際大規模な改修を受けた模様で、親柱には当初の竣工年ではなく「昭和62年9月拡幅」の銘が入っています。
愛知県や名古屋市の近代化遺産の調査書によると、当初の竣工は昭和11年になっていますが、拡幅工事によってオリジナルの構造や外観がどの程度保たれているのか定かではありません。
すぐ下流の納屋橋も昭和56年の拡幅工事により架け替えられましたが、外観はオリジナルの姿が再現されていますので、錦橋も親柱や橋灯、高欄などは当時の景観を残していると思われます。


◆錦橋(にしきはし)/名古屋市中村区名駅5~中区錦1
 竣工:昭和11年(1936)→昭和62年(1987)拡幅(どこまでオリジナルか不明)
 構造:RC桁
 撮影:2012/02/26



■下流の納屋橋より撮影




 
■昭和62年9月拡幅の銘が入った親柱~親柱や欄干はオリジナルと思われます

 


堀川の橋(9)~伝馬橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-23 | 近代橋めぐり

桜橋の下流50mにある伝馬橋は、上流の五条橋、中橋とともに堀川七橋の一つで、中部地方で現存する最古期のRCアーチ橋です。
五条橋や中橋と同じように幹線道路とつながっていないため、比較的交通量が少なく、道路の拡幅や大規模な改修をまぬがれ、当初の面影をよく残しています。
昭和63年の修景で、高欄や橋灯はリニューアルされているようです。


◆伝馬橋(てんまはし)/名古屋市中村区名駅5(右岸)~中区錦1(左岸)
 竣工:大正9年(1920)、昭和63年修景(1988)
 構造:RCアーチ
 撮影:2012/02/26



■上流の桜橋より撮影



■右岸(中村区側)より撮影~道路幅も狭く、幹線道路の桜通と錦通に挟まれ、行きかう車も少なく閑散としています



■親柱の銘板や橋灯は新しく、昭和63年修景時のものと思われます

 


堀川の橋(8)~桜橋(名古屋市中村区~中区)

2012-03-22 | 近代橋めぐり

中橋から100mほど堀川を下ると桜橋です。
桜橋は名古屋駅の正面から東へ延びる桜通りの橋で、昭和12年名古屋汎太平洋平和博覧会開催時に桜通り開通とともに架橋されました。
名古屋の玄関から栄へ延びるメインストリートに架かる石積風のアーチ橋は、名古屋の近代化を物語るように歴史の重みを街の景観に与えています。
桜橋の名の通り、親柱や橋灯、高欄などに桜をモチーフにした装飾が施されているのも見どころです。


◆桜橋(さくらはし)/名古屋市中村区名駅5、那古野1(右岸)~中区錦1、丸の内1(左岸)
 竣工:昭和12年(1937)
 構造:RCアーチ
 撮影:2012/02/26


■下流の中橋から撮影



■上流の伝馬橋から撮影



■アーチ中央部の装飾




 
■親柱と橋灯~照明の桜の透かし彫りが和風の雰囲気です。橋の中央部の大きな照明は桜の木をあらわしているのでしょうか?



■欄干の装飾



■親柱に埋め込まれた金属製の桜のレリーフ


 
■銘板にもさりげなく桜の花びらが


堀川の橋(7)~中橋(名古屋市西区・中村区~中区)

2012-03-21 | 近代橋めぐり

五条橋のすぐ下流にある中橋は、堀川に架かる架橋当時の姿を留める最も古い橋で、堀川の現存する大正期の橋として岩井橋とともに大変貴重な存在です。
中橋は国内で現存する4番目に古い道路用の鋼桁橋で、鋼製橋脚と石積橋台は大正期のオリジナル構造が残っています。
特に橋脚の柱は、鋼材にリベットで金属片を交互に縫い合わせたもので、同時期の鉄道橋などでよく使われた形式です。
ちなみに中橋という名称は、堀川開削時に五条橋と伝馬橋の中間に位置したことから名付けられたそうです。


◆中橋(なかはし)/名古屋市西区那古野1・中村区那古野1~中区丸の内1
 竣工:大正6年(1917)
 構造:鋼I桁 
 撮影:2012/02/26



■下流の桜橋より撮影~中橋の上流に小さく見えるのが五条橋



■大正期の構造が残る橋脚と橋台(右岸から撮影)





■右岸(西区側)より撮影
 大通りにつながっていないので交通量が少ないことが幸いし、現在まで架け替えられることなく昔の姿を留めています


 
■大正6年9月の銘が入る御影石の親柱~欄干の幾何学模様でデザインされたアールデコ風の装飾が楽しい

 


医療法人復明館/旧水谷医院(名古屋市西区)

2012-03-20 | 名古屋の近代建築

五条橋から中橋にいたる堀川沿いの西区那古野界隈には昔ながらの街並みが残っています。特に四間道は、清州越え商人が店を開いた町並みが残り、古い町屋と白壁の土蔵が軒を連ねています。

四間道からさらに西側に入った古い町屋が並ぶ通り沿いに、一軒だけぽつんと古い洋風の建物が建っています。
昭和5年に医院として建てられた建物で、道路に面した西側はモルタル塗りの洋館風、建物東側(裏側)は和風建築になっています。
通りに面した洋館部分は医院として、奥の和風部分は住まいとして使われたと思われます。
 


■北西角より撮影~建物正面(西側)の通りは北へ向かうと円頓寺商店街へ、東側の通りは四間道方面へ続きます
 

 
■建物北側の路地からは洋風部分と和風住宅部分の境目が良く分かります
 

 
■建物の角と軒下には装飾が施されています
 


■建物正面の柵にも昭和レトロな雰囲気が漂う


◆医療法人復明館(旧水谷医院)/名古屋市西区那古野町1-22
 竣工:昭和5年(1930)
 施工:北川組
 構造:木造2階建
 撮影:2012/02/26

 


堀川の橋(6)~五条橋(名古屋市西区~中区)

2012-03-19 | 近代橋めぐり

朝日橋からさらに堀川を下ると巾下橋、小塩橋、景雲橋と戦後の比較的新しい橋が続き、いよいよ名古屋の中心部に入ると五条橋があります。
那古野の円頓寺商店街と丸の内の間に架かる五条橋は、
「堀川七橋」と言われる堀川開削当時(1610~1611)に架橋された堀川でも最古参の橋のひとつです。ちなみに堀川七橋(ほりかわななはし)とは、上流から五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋のことを言います。

五条橋は擬宝珠(ぎぼし)高欄を持つ和風の橋で、もともと清州城下の五条川に架けられていた木製の橋を、 慶長15年(1610)に移築したものです。(五条橋の名称は五条川に架かっていた時の名称をそのまま継承)
現在の橋は昭和13年に、木造の橋の意匠を残しコンクリート製に架け替えられたもので、御影石の親柱や高欄、擬宝珠、石張りの舗装は当時の雰囲気を今に伝えています。
ただ五条橋は昭和60年の改修で大幅な修景を受けているので、昭和13年当時のオリジナル部分がどこまで残っているのか不明です。

◆五条橋(ごじょうはし)/名古屋市西区那古野1~中区丸の内1
 竣工:昭和13年(1938)→昭和60年(1985)修景
 構造:RCラーメン
 撮影:2012/02/26
 ※都市景観重要建築物 



■五条橋全景~上流の景雲橋より撮影



■右岸(那古野)側~和風の擬宝珠高欄と石畳が落ち着いた雰囲気を与えます
 


■左岸(丸の内)側~右岸に円頓寺商店街のアーケードが見えます
  


■左岸北側(上流側)には古い煉瓦積みの壁と川へ降りる石の階段が残っています
 

 
■擬宝珠には五条橋の銘が彫り込まれています(現在の擬宝珠はレプリカで本物は名古屋城に展示)
 他の擬宝珠の一つに「慶長七年壬刀六月吉日」の銘があり、いわゆる清州越し(名古屋城築城に伴い清州から名古屋へ都市機能が移転)の際に移転されたものと思われます。(詳細はこちらのサイトへ→堀川と五条橋) 
 
  


堀川の橋(5)~朝日橋(名古屋市西区)

2012-03-18 | 近代橋めぐり

大幸橋から下ること100m、名古屋能楽堂のすぐ西側に朝日橋があります。
ここから下流は川幅がぐっと広くなり、船の運行も可能になるので、朝日橋の左岸に堀川で最上流の船着場が設けられています。

 ◆朝日橋(あさひはし)/名古屋市西区城西1(右岸)~樋の口町(左岸)
 竣工:昭和7年(1932)
 構造:鋼桁、無筋C
 撮影:2012/02/26 

 
■すぐ下流の国道22号線にある巾下橋から撮影~船着場には堀川下りの遊覧船の姿が見られます
 


■左岸(樋の口町)から撮影



■右岸(城西)から撮影
 


■石積みのシンプルな親柱~銘板はリニューアルされた模様

 


堀川の橋(4)~大幸橋(名古屋市西区)

2012-03-16 | 近代橋めぐり

筋違橋から堀川沿いを南下、左手にウエスティンナゴヤキャッスルホテルを見てさらに堀川を下ると大幸橋です。
堀川の橋はそれぞれデザインが違うので、橋ごとの個性が際立ち、次の橋をめぐるのが楽しみで足取りも軽くなります。
大幸橋はこれまで紹介した上流の橋と同じ昭和8年竣工、親柱と一体になった欄干はコンクリート製ですが、手摺とそれを支える支柱は金属製、親柱の上には立派な橋灯が載っています。
特に金属製の欄干の支柱は、ひとつおきに植物の細工を施す芸の細かさで、さすが戦前物件、見ごたえがあります。


◆大幸橋(たいこうはし)/名古屋市西区城西1、2(右岸)~樋の口町(左岸)
 竣工:昭和8年(1933)
 構造:RC桁 
 撮影:2012/02/26 
 


■大幸橋全景~樋ノ口町側(左岸)より撮影



■城西側(右岸)より撮影



■こんな所にまで!
 中央部にふくらみを持たせ、植物を浮き彫りにした細工を施こしたこだわりの逸品です

 


■橋灯も立派できっちり造り込んであります


堀川の橋(3)~筋違橋(名古屋市西区)

2012-03-15 | 近代橋めぐり

堀端橋から下ること200m、名古屋城の北側に残るお堀のちょうど北西角に筋違橋があります。
この橋は東側(上流)と西側(下流)で構造が異なり、西側部分は戦前では珍しい鋼方丈ラーメン構造になっています。
親柱から欄干まですべて金属製で、淡いグリーンに塗られています。

◆筋違橋(すじかいはし)/名古屋市西区城西、数寄屋町(右岸)~西区堀端町、樋ノ口町(左岸)
 竣工:昭和8年(1933)
 構造:鋼方丈ラーメン、鋼桁
 撮影:2012/02/26


■西側(下流側)~橋桁を支える橋脚を斜めに配した方丈ラーメン構造が残る


 
■東側~橋の下がフラットな単純鈑桁橋。戦後増築された部分でしょうか?



■欄干は堀端橋と同じアールデコ調のデザイン


  
■親柱も欄干と同じ金属製


堀川の橋(2)~堀端橋(名古屋市西区)

2012-03-14 | 近代橋めぐり

当たり前の話ですが、近代建築探訪は目的の物件が近代建築であることが大前提になります。
建築は見た目だけでは正確な竣工年は分かりませんので、何はともあれ訪れる前にガイドブックなどで建築年を確認しておく作業が必要です。
その点同じ近代の構造物でも、橋は竣工年が必ず親柱に明示されているので、偶然見つけた橋が年代物かどうかその場で確認でき大変便利です。

ところで橋には4本の親柱がありますが、たいてい竣工年、橋の名称(漢字とひらがな)、河川の名称が明示してあることが多いようです。
堀端橋は改築時に3本の親柱がコンクリート製に変更され、そのひとつには竣工年の代わりに「昭和53年10月改築」の名板がはめ込まれていました。
ひとつだけ残された「ほりはたはし」と刻まれた竣工当時の石の親柱が、唯一当時の面影を残しています。 



■堀端橋全景(右岸より撮影)~橋桁の下の鉄骨が良く分かります

 


■左岸側~上流側(向かって右)の親柱は石造で当時のまま

 


■右岸側~親柱は2本ともコンクリート製に変更、下流側(向かって右)の親柱には改築年を表示

 

  
■新旧2本の親柱~鋳鉄製の欄干は円と直線のアールデコっぽいデザインで当時のままと思われます


◆堀端橋(ほりばたはし)/名古屋市西区数寄屋町(右岸)~堀端町(左岸)
 竣工:昭和8年(1933)
 構造:鋼桁、RC造
 撮影:2012/02/26   


堀川の橋(1)~中土戸橋(名古屋市西区~北区)

2012-03-12 | 近代橋めぐり

 名古屋市の中心を南北に流れる堀川、その歴史は1610年の名古屋城築城に際し、資材運搬を目的として掘削された水路までさかのぼります。堀川の船運により多くの物資が水路により城下へ運ばれ、川沿いには商人の邸宅や蔵、貯木場などが設けられ、庶民の交通手段として乗合船も運行されました。
 
 戦後になって輸送手段は陸路に変わり、河川の汚染も急速に進んだため、堀川は人々から忘れ去られた存在になっていました。しかし近年になって、堀川の再生をめざし木曽川の水の導入など、昔の堀川の清流を取り戻す試みが始まりました。平成17年には堀川再生のシンボルとして、納屋橋の旧加藤商会ビルがよみがえり、堀川の情報発信の場として活用されています。また船着場(宮の渡し、名古屋国際会議場、納屋橋、朝日橋)の整備に合わせて遊覧船の運行も始まり、都心と港を結ぶ交通路や新たな観光資源として、沿川地域の活性化も期待されています。
 
今回は堀川に架かる昭和の面影を残す戦前の橋を訪ねて、まずは名城公園の北西にある中土戸橋を出発点に下流に向かいます。 

◆中土戸橋(なかつちとはし)/名古屋市西区城西5~北区名城1
 竣工:昭和7年(1932)
 構造:上=Cラーメン、下=RC
 撮影:2012/02/26



右岸(西区側)より望む~橋を渡ると名城公園です
堀川もまだ川幅が狭いので橋も小さいですが、高欄の造形はなかなかのものです


左岸(北区側)より望む~欄干の連続するアーチのデザインが昭和っぽい



昭和7年架設の名板がはめ込まれた親柱~デザインはシンプルながら立派な橋灯付き