かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

神田(7)丸石ビルディング(旧大洋商会ビル)/千代田区

2017-09-30 | 東京の近代建築

中央区との区境、山梨銀行と道路を挟んで向かい側に、魅力的な近代建築があります。1階部分は石貼り、2階以上はスクラッチタイル貼りのロマネスク様式の建物ですが、1階開口部のアーチやコリント式付柱の柱頭のさまざまな動物や人面の彫刻が素晴らしく、思わず足を止めて見入ってしまいます。

大正末~昭和初期にかけて、スクラッチタイルと同時にテラコッタ装飾が大流行しました。丸石ビルの玄関廻りには、様式建築の大きな魅力の一つである装飾がこれでもかとばかり施され、通り過ぎる人の目を楽しませてくれます。装飾皆無のインター・ナショナルスタイルとは真逆の丸石ビル。まさに「神は細部に宿る」という言葉通りの、見どころいっぱいの近代建築ファン冥利につきる近代建築です。


■茶系統のスクラッチタイルと連続するアーチで壁面を構成する典型的なロマネスク様式の外観


■6階(人造石洗出し)と頂部の同蛇腹(テラコッタ製)で外観に変化を与えています



■各種動植物のテラコッタ装飾が施された玄関廻り
石貼り部分は播州産の黄龍石や赤龍石を使用し独特の色調を出しています



■玄関脇には2頭のライオンがお出迎え



■アーチ廻りの動物たちを探すのも楽しい(わたしが確認できたのは、白鳥、ライオン、羊、鷲、など)



■玄関廻りはまるで動物園(ライオンの下でささえるヤギさんも忘れないでね)



■コリント式の付け柱の柱頭(キャピタル)には人の顔、リス、フクロウなどが刻まれています



■アカンサスの上にちょこんと座るリスは木の実を持っています



■美しい状態で保たれた建物に感謝。大洋商会さん、ありがとう!


■丸石ビルディング(旧大洋商会ビル)/千代田区鍛冶町1-6-10
 竣工:昭和6年(1931)/昭和8年増築(1933)
 設計:山下寿郎
 施工:竹中工務店
 構造:SRC造地上6階、地下1階
 撮影:2017/08/11
 ※国登録有形文化財


動物のテラコッタ装飾といえば、かつて千代田区内幸町にあった大阪ビル一号館(昭和2年竣工)が有名です。
7階壁面には、ブタや鬼やライオンのテラッコタ装飾がズラリと取り付けられていました。(さぞや壮観だったことでしょう)
現在は建て替えられた日比谷ダイビルの壁面や隣の小公園に、解体時に救出されたブタや各種動物たちがひっそりと移り住んでいます。




神田(6)山梨中央銀行東京支店(旧第十銀行東京支店)/千代田区

2017-09-29 | 東京の近代建築

前身は明治7(1874)年に開業した「興益社」で、明治30年に私立「第十銀行」となりました。その後昭和16年に「第十」「有信」の2銀行が合併し、現在の「山梨中央銀行」が誕生しています。
外観は昭和戦前期の地方銀行建築によく見られる古典様式を簡略化したデザイン。


■正面にはオーダーが簡略化された角柱のピラスターが並びます



■細部の装飾は排除された平面的なファサードで、昭和初期の様式建築からモダンデザインへの流れが感じられます


■山梨中央銀行東京支店(旧第十銀行東京支店)/千代田区鍛冶町1-6-10
 竣工:昭和4年(1929)
 設計:徳永庸
 施工:不詳
 構造:不詳
 撮影:2017/08/11


神田(5)鷹岡東京支店/千代田区

2017-09-27 | 東京の近代建築

東京メトロ銀座線神田駅のすぐ北側、須田町交差点の角にある細長い5階建のこじんまりとしたオフィスビルです。外壁は1階部分が石積風、2階以上はスクラッチタイル張りで、装飾は軒と石積上部の帯飾りだけのシンプルな外観。
鷹岡は毛織物の商社として明治18年(1885)創業、東京支店は往時の姿を残し今も大切に使われています。


■須田町交差点から望む~軒には帯飾りが見られます



■エントランスの上にはT.K(鷹岡株式会社)のマークと中華風?幾何学模様の帯飾り


■鷹岡東京支店/千代田区神田須田町1-3
 竣工:昭和10年(1935)
 設計:谷口忠
 施工:不詳
 構造:RC造5階、地下1階
 撮影:2017/08/11


神田(4)学士会館/千代田区

2017-09-25 | 東京の近代建築

震災後の復興建築のひとつで、石張りの一階部分以外は、全面茶色のスクラッチタイルでおおわれた外壁は重厚感にあふれています。重厚な分ちょっと華やかさには欠けますが、各階の窓の形や大きさに変化をつけることで、外観にリズミカルな動きをつくりだしています。特に最上階の窓台を付けたアーチ窓と、コーナーのメダリオン風ワンポイント装飾は絶妙で、装飾排除のインター・ナショナルスタイルに占拠される前の昭和レトロな雰囲気が伝わってきます。

震災後の昭和戦前期(1920後期~30年代)に多数建てられたモダンな復興建築群も、今では希少な存在になっています。ツルピカの高層ビルに囲まれて、さらにその存在感が際立つ学士会館。昭和のモダンな街角の風景を今に伝える貴重な存在です。

■一ツ橋交差点からの建物全景



■建物西面



■建物東面





■2・3階の窓廻りは直線、最上階は曲線を基調としたデザインは当時流行した表現主義風



■半円大アーチのエントランス



■学士会館/千代田区神田錦町3-28
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:佐野利器+高橋貞太郎
 施工:戸田組
 構造:SRC造地上4階、地下1階
 撮影:2017/08/11
※国指定登録文化財


神田(3)旧主婦の友社ビル/千代田区

2017-09-24 | 東京の近代建築

御茶ノ水駅から駿河台の坂道を下ると左手に二つの四角い様式建築らしきビルが並んで建っています。戦前の近代建築かと思いきや、実はこのビルは取り壊された主婦の友社ビル(大正14年竣工)のファサードを新築復元したもので、後ろに高層ビルが増築されています。この高層ビル増築パターンはDNタワー21や明治生命館でおなじみの手法ですが、この主婦の友社ビルが最も先駆的な作品になります。

設計は日本のポストモダン建築を牽引した建築家磯崎新で、コンサートホールやオフィスなどの複合施設(A、B、C館の3棟)の御茶ノ水スクエアA館として1987年に建設されました。A館は室内楽専用のカザスホールとして運営されていましたが、日本大学に買収されたのち2010年に閉鎖されました。現在ホールの存続は白紙状態で、取り壊しか再開館か予断を許さない状態です。


■磯崎新によりファサードのイメージ保存で再建された旧主婦の友社ビル
山の上ホテルとともにヴォーリズ設計の建物が見られるのは嬉しい限り



■モダニズム建築で否定された装飾が、1980年代ポストモダン建築でよみがえりました



■旧主婦の友社ビル/千代田区神田駿河台1-6
 竣工:大正13年(1924)/取り壊し後、磯崎新によりイメージ保存(1987)
 設計: W.M.ヴォーリズ(ヴォーリズ建築事務所)
 施工:大林組
 構造:RC造3階
 撮影:2017/08/11


神田(2)山の上ホテル(旧佐藤新興生活館)/千代田区

2017-09-23 | 東京の近代建築

もともとは地域の婦人たちに欧米の生活様式を啓蒙するために石炭王・佐藤慶太郎の投資により佐藤新興生活館として建てられました。戦時中は帝国海軍に接収され将校宿舎に、戦後は米軍に接収されましたがその後昭和28年にホテルに転用されました。

作家など文化人の定宿としても有名で、現在も昭和のモダニズム溢れる雰囲気は健在、近代建築転用の幸せな形としてこれからも末永く営業を続けてほしいホテルです。


■外観はクリーム色のスクラッチタイル張り



■エントランス上部と塔屋部分の装飾は鉱物の結晶を思わせるアールデコ調のデザイン
「HILLTOP HOTEL」のロゴがオシャレです




■山の上ホテル(旧佐藤新興生活館)/千代田区神田駿河台1-1
 竣工:昭和11年(1936)
 設計:W.M.ヴォーリズ(ヴォーリズ建築事務所)
 施工:清水組
 構造:RC造7階、地下2階
 撮影:2017/08/11


神田(1)日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂(ニコライ堂)/千代田区

2017-09-20 | 東京の近代建築

おなじみコンドル設計のニコライ堂は日本で初の本格的なビザンチン様式の教会堂。
関東大震災で被災、昭和4年岡田信一郎により現在の姿に修復されました。
高台に建つ壮麗な姿は、時代を超えて駿河台のランドマークとして親しまれています。

■日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂(ニコライ堂)/千代田区神田駿河台4-1
 竣工:明治24年(1891)
 設計:J.コンドル+シチュールホフ
 修復:岡田信一郎/昭和4年(1929)
 施工:長郷泰輔
 構造:煉瓦造平屋
 撮影:2017/08/11
 ※国指定重要文化財






■教団事務局(旧ニコライ学院校舎)/竣工:明治18~24年(1885~91)


■主教館/竣工:明治18~24年(1885~91)




永田町~九段(7)旧九段会館(旧軍人会館)/千代田区

2017-09-19 | 東京の近代建築

九段下、牛ヶ淵沿いに建つ旧九段会館は、もともとは帝国在郷軍人会が「軍人会館」として建設したもので、昭和11年の2・26事件の際には、反乱軍鎮圧のための戒厳令司令部が置かれました。戦後は駐留軍に接収されましたが、昭和32年から日本遺族会が宿泊・結婚式場・貸しホールなどを運営してきました。平成23年、東日本大震災でホールの天井が崩落し死傷者が出たところから廃業に追い込まれ、現在建物はそのまま放置されています。

洋風の躯体に和風の瓦屋根をのせたスタイルは帝冠様式とよばれ、昭和10年前後の一時期に公共建築を中心に(神奈川県庁、愛知県庁、名古屋市役所、京都市立美術館など)全国でこのスタイルが採用されました。きわめて国粋主義的なデザインだったので、当時軍人会館に採用されたのもうなずけるところです。この帝冠様式はほんの一部で試みられたにすぎませんが、当時の時代的背景とマッチして国粋性を強く印象付ける表現方法として建築にも影響をあたえたようです。帝冠様式を代表する建築のひとつとして、これからの保存再生をぜひ望みたいところです。


■九段下交差点方面より建物を望む~渋めの茶色のスクラッチタイルに白の花崗岩が映えます



■建物北面エントランス



■建物東面





■旧九段会館エントランス



■旧日本遺族会エントランス



■旧九段会館前の公衆便所~スクラッチタイルや丸窓のデザインから同時期のものと思われます(現在は使用中止)


■旧九段会館(旧軍人会館)/千代田区九段南1-6-5
 竣工:昭和9年(1934)
 設計:川元良一
 施工:清水組
 構造:SRC造地上4階、地下1階
 撮影:2017/08/11


永田町~九段(6)東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)/千代田区

2017-09-18 | 東京の近代建築

終戦までは皇居を警護する近衛師団の司令部として使用されましたが、戦後近衛師団は廃止。建物は廃墟同然になり一時は取り壊しになるところでしたが、明治洋風建築の数少ない遺構として昭和47年重文指定を受け保存が決定。改修工事後の昭和52年(1977)東京国立近代美術館工芸館として再出発しました。

建物はネオ・ゴシック様式で、軍の施設ながら近衛師団ということもあり、赤煉瓦に白石を組み合わせた外観は華やかな印象です。美術館転用のための内装と展示設備が設けられましたが、中央階段とホールは竣工時の姿をとどめています。


■建物全景~赤と白のコントラストが北の丸公園の緑に映えます





■ゴシックアーチのエントランス



■換気口のグリルには陸軍の☆マークがあしらわれています



東京国立近代美術館工芸館(旧近衛師団司令部)/千代田区北の丸公園1-1
 竣工:明治43年(1910)
 設計:田村鎮(陸軍技師)
 施工:不詳
 構造:煉瓦造2階
 撮影:2017/08/11
 ※国指定重要文化財


永田町~九段(5)英国大使館/千代田区

2017-09-17 | 東京の近代建築

内堀通りに面して皇居にファサードを向けているので、道路からも建物が良く見えます。各国の大使館は戦前物件も結構残っていますが、道路から全景が確認できる英国大使館は希少な存在。
外壁は石張りでペディメントを載せたエントランスを中心に、シンメトリーに建物を展開、古典様式を基調にしながらも、細部を簡略、平面化してすっきりした外観に仕上げています。

番町は明治~昭和戦前期まで大邸宅や軍施設、大使館などが多かった地域で、英国大使館はその当時の面影を今に伝える数少ない建物のひとつです。



■かつての大英帝国の威厳と気品を感じさせる端正な外観



■ギリシャ神殿風のペディメント中央には英国王室の紋章が


■英国大使館/千代田区一番町1
 竣工:昭和5年(1930)
   設計:英国工務省
 施工:清水組+鴻池組
 構造:RC2階
 撮影:2017/08/11


永田町~九段(4)赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家邸)/千代田区

2017-09-16 | 東京の近代建築

東京メトロ半蔵門線永田町駅のすぐ北側に旧李王家邸があります。大韓帝国の李王家は日韓併合(1910)により日本の皇室に組み込まれ、現存する建物は李王家の東京邸として昭和5年(1930)に建てられたものです。

戦後は赤坂プリンスホテル別館として使われてきましたが、現在は「赤坂プリンスクラッシクハウス」として結婚式場に生まれ変わり再生活用されています。外観は昭和初期の住宅建築によく見られるチューダー様式で、壁面に柱や梁の木部を露出させカントリーハウス風に仕上げています。












■赤坂プリンス クラシックハウス(旧李王家邸)/千代田区紀尾井町1-2
 竣工:昭和3年(1928)
 設計:宮内省匠寮
 施工:不詳
 構造:木造2階
 撮影:2017/08/11




永田町~九段(3)日本水準原点標庫/千代田区

2017-09-13 | 東京の近代建築

国会議事堂正門のすぐ前、国会前庭様式庭園の林の中に日本水準原点がひっそりと置かれています。水準原点とは標高を測るときに基準にする地点のことで、富士山をはじめ全国の標高はここを基準点としています。ではなぜここを水準原点にしたのかというと、かつてここに陸軍参謀本部が置かれていたからです。明治期陸軍は軍事上の目的で全国の統一した地図を作る必要に迫られ、参謀本部の敷地に測量の基準になる水準原点を設置したというわけです。

水準点を収める建物は小さいながらもギリシャ・ローマ神殿を思わせる正式な古典様式建築で、正面は三角形のペディメントを載せたオーダーで構成されています。設計者の佐立七次郎は工部大学造家学科(現東大建築学科)の一期生で、同期には辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵ら明治期を代表するそうそうたる名建築家が名を連ねています。同期生に比べるといささか地味な存在の佐立ですが、日本水準原点標庫は日本人建築家が手がけた現存最古の近代洋風建築として、これから先も受け継がれていきます。


■ミニギリシャ神殿といった風情の外観



■装飾が施されたペディメントの下には「大日本帝国」の文字が刻まれています



■建物裏側



■青銅の扉のなかには水晶板(水準標石)がはめ込まれた台座が格納されています



■標庫の横に設置された案内板


■日本水準原点標庫/千代田区永田町1-1
 竣工:明治24年(1891)
 設計:佐立七次郎
 施工:清水組
 構造:石造平屋
 撮影:2017/08/11
 ※東京都指定有形文化財


永田町~九段(2)総理大臣公邸(旧総理大臣官邸)/千代田区

2017-09-12 | 東京の近代建築

昭和3年の竣工以来総理大臣官邸として使われ、2.26事件などの大きな歴史的事件の舞台になりました。
2002年現官邸に移行したため、旧官邸は曳き家工事後改修され、2005年からは総理大臣公邸として利用されています。
建物はスクラッチタイル張りで、当時流行したアールデコや表現主義の影響が感じられ、帝国ホテル設計者のフランク・ロイド・ライトの作風に似ていることからライト式建築とも呼ばれています。




■総理大臣公邸/千代田区永田町2-3-1
 竣工:昭和3年(1928)
   設計:大蔵省営繕管財局(下元連)
 施工:清水組
 構造:RC造3階
 撮影:2017/08/11

 


永田町~九段(1)国会議事堂/千代田区

2017-09-10 | 東京の近代建築

日本で一番有名な近代建築と言えば国会議事堂、ひと目見るだけでほとんどの人が分かります。全面石張りの外壁は重厚、堅牢そのもの、ピラミッド状の塔屋などはどこか霊廟を思わせます。ひと目で議事堂と分かる独特のデザインはある意味秀逸と言えるのかもしれませんが、近代建築の魅力に欠けるのは否めません。

現在の議事堂のデザインが決まるまでには、かなりの紆余曲折があったようです。当初設計は大蔵省の妻木頼黄とほぼ決まっていました。ところが東京駅や日銀を設計した辰野金吾から横やりが入り、コンペ(公開の設計競技)開催ということで話しは落ち着きました。ところがこのコンペは、審査委員長の辰野が選んだ応募案に自らが手を加え最終案にするというとんでもないお手盛りコンペ。最終的に辰野は当選案を見ることなく死去、妻木も亡くなったためコンペの当選案(無名の新人)に大蔵省の技師が大幅に手をくわえ現在の議事堂のデザインが決定しました。

建築は一人の建築家の自己表現(スタイル)というものがあって初めて作品となります。近代建築ファンとしては、日本建築界の巨匠である辰野や妻木が手がけた議事堂も見てみたかったと今更ながら思ってしまいます。


■建設資材は鉄骨、石材、木材に至るまですべて純国産、全国から名工が集められ工事に当たりました



■列柱を前面に配したエントランス



■最上部はドームではなくピラミッドの様な塔がのります


■国会議事堂/千代田区永田町1-7-1
 竣工:昭和11年(1936)
 設計:大蔵省臨時議院建築局
 施工:直営
 構造:SRC造3階
 撮影:2017/08/11

 


日比谷~霞が関(6) 文化庁(旧文部省)/千代田区

2017-09-09 | 東京の近代建築

東京中央郵便局や第一生命館と同様、後方に高層ビルを建設して一部保存という形で旧庁舎を残しています。
現在は文化財保護の本丸である文化庁が入っていますが、旧庁舎を全面取り壊しではなく一部保存することで何とか面目を保ったという所でしょうか。
外壁はスクラッチタイル張りで、エントランス上部はゴシック風でテラコッタ装飾もみられます。


■後方のビルは文科省が入る中央合同庁舎7号館(霞が関コモンゲート東館)






■文化庁(旧文部省庁舎)/千代田区霞が関3-2
 竣工:昭和8年(1933)
   設計:大蔵省営繕管財局
 施工:大林組
 構造:SRC造5階
 撮影:2017/08/11
 ※登録有形文化財