かどの煙草屋までの旅 

路上散策で見つけた気になるものたち…
ちょっと昔の近代の風景に心惹かれます

旧稲葉郵便局(稲沢市)

2011-02-27 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その3

旧中部電力稲沢営業所から美濃街道を200メートルほど西に向かうと、左手にレトロな洋風建築が建っています。
5年ほど前はじめて訪れた時も使われている様子は無く行く末が心配でしたが、今回も全く同じ状態で残っておりまずは一安心。
ファサードは看板建築風で、凸状に飛び出した部分に残る〒マークから当初は郵便局として建てられたものと思われます。

◆旧稲葉郵便局/稲沢市稲葉3
 竣工:戦前
 構造:木造2階?
 撮影:2011/02/20

 




◆郵便局が移転した日から時が止まっています




◆郵便局の〒マークの跡が残るファサード




◆木製の窓枠は当時のままです





◆美濃街道沿いにはまだ古い町並が残っています

 


旧中部電力稲沢営業所(稲沢市)

2011-02-23 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その2

名鉄国府宮駅の西側一帯、特に美濃街道沿いの中本町界隈はかつて中心街としてにぎわった頃の昭和の面影が残っています。そんな古い町屋や商店が点在する街道沿いに、ひときわ目を引くモダンなビルが建っています。

この建物は昭和の初め頃、稲沢電気(株)の本社として建てられたもので、その後東邦電力、中部電力稲沢営業所と変わり、現在は稲沢市の所有になっています。
茶色のスクラッチタイルで覆われた外壁は今も美しく、美濃街道を行きかう人々でにぎわった往時の街角の姿を伝えてくれます。

◆旧中部電力稲沢稲沢営業所(稲沢電気本社)/稲沢市稲葉3-13
竣工:昭和8年頃(1933)
構造:RC造2階、一部3階
撮影:2011/02/20



◆建物南東側より~引きが無い為わたしのカメラのズームレンズの広角ではおさまりません



◆建物南西側~隣の町屋もかなり古いです



◆建物北側~裏側なのでタイルは省略、一部3階になっているのがわかります



◆建物正面2階庇~くし目のあるスクラッチタイルと彫塑的装飾が良くマッチしています



◆正面東側に設けられた玄関


◆丸みを持たせた庇のデザインは当時流行の表現主義風




◆美濃街道を挟んだ向かい側の酒屋さんがすごく良かったのでちょっと紹介



◆これぞ由緒正しき伝統的酒屋看板なのだ!



中高記念館(稲沢市)

2011-02-20 | 尾張の近代建築

稲沢市建築散歩~その1

国府宮神社の参道脇に明治時代に建てられ、高等小学校に使われた洋風建築が保存されています。

建物は明治13年に建てられたもので、明治20年から中島郡高等小学校として使用され、その後稲沢町役場、稲沢高等小学校、稲沢町農会などを経て、昭和15年「中高記念館」として竣工しました。
昭和38年に現在地に移築された後、昭和51年~53年に架けて保存修理が行われ原型に修復されました。

尾張地方では唯一現存する明治期の学校建築として貴重な存在で、現在は市の所有となり、稲沢市の文化財として保存されています。

◆中高記念館(旧中島郡高等小学校校舎)/稲沢市国府宮2丁目7-17
竣工:明治13年(1880)
構造:木造2階
撮影:2011/02/20
※稲沢市指定文化財





◆建物全景~木造下見板貼り、2階の窓から上や車寄部分は一部漆喰塗り
ペンキもきれいに塗り直され大切に保存されています




◆建物中央に張り出した車寄が洋風建築らしさを演出




◆2階バルコニーの洋風の手摺とペディメントの「中高」のロゴが明治の学校建築らしいデザイン






  


 


旧丹葉銀行(愛知県小牧市)

2011-02-15 | 失われた建物の記憶

このブログで近代建築を紹介するにあたり、その時点で現存が確認できた建物を中心にと心がけていますが、近代建築はその性質上、よほどの名建築でもない限りいつ取り壊されてもおかしくありません。
わたしのHPでも地域別に近代建築を紹介していますが、すでに現存しない建物も増えてきました。
そのつど最新の情報に更新すればよいのですが、なかなか手が回らず、このブログで取り壊し物件をアップしていきたいと思いますのでよろしくお願いします。

と言うわけで今回は大正期の小牧市の銀行建築です。
名鉄小牧駅の西側旧市街地に位置し、元々は丹葉銀行として建てられました。
その後小牧農協、数軒の歯科医院などに転用されましたが、取り壊される数年前から使われていない状態でした。
大正末期の建築らしく古典様式の装飾はかなり簡略化されていますが、茶のタイルとコンクリートの柱のコントラストが外観のアクセントになり、地方の銀行建築としてはなかなかセンスの良い建物でした。

◆旧丹葉銀行/小牧市小牧4-76
 竣工:大正12年
 構造:RC造2階
 撮影:2006/06/11

 





◆銀行建築らしい歴史様式を残しながらも装飾を平面化し、時代の新しいスタイルを取り入れています




扶桑中央公民館(愛知県丹羽郡扶桑町)

2011-02-14 | 失われた建物の記憶

このところめっきり取り壊された建物の紹介が増えてきました。

古い建物との出会いはまさに「一期一会」、偶然通りかかった路地裏にひっそり建つ西洋館を発見した時の喜びはひとしおで、恋人に会った時のように胸がときめきます。(注:決してアブナイ人ではありません)
数年後に現地を訪れその建物の現存が確認できた時はもちろん嬉しいのですが、取り壊され駐車場(このケースが多い)や新築物件に変わっていた時の喪失感はかなり大きいものがあります。
歴史的文化財として保護される近代建築は近年増加傾向にありますが、そんな運のいい建物はほんの一握り、街の片隅の個人所有の無名の建物は、遅かれ早かれいつかは取り壊される運命にあります。

そこで物好きなおっさんは、それこそどこの町にでもあるちょっと古い建物たちをカメラに収め、かつてこの町にこんな建物があったという事実を、皆さんの「記憶の片隅にでも小さくメモして」もらおうと東奔西走している次第です。
まあただ単に「とにかく近代建築が好きだ!」というだけなんですが、大好きな古い建物をひとりでも多くの人に見ていただければ、それだけで幸せでございます。

そこで今回は、自転車で散策中偶然見つけた古い公民館の紹介です。道から奥まったところにあったので車で前を通っても気づかなかったのですが、やはり建築探訪には徒歩か自転車が一番です。

木造下見板貼りの公民館としてはかなり立派な建物で、かつてわたしの母校の中学にあった古い講堂に良く似ていて、見つけた時は前にも来たことがあるような不思議な懐かしさを覚えました。
先日久しぶりに車で通りかかると、きれいさっぱり取り壊され更地になっていました。

◆旧扶桑中央公民館/丹羽郡扶桑町(扶桑中学隣)
竣工:昭和初?
構造:木造
撮影:2006/05/05

 

 

 


◆かつてはどこの町にもあった下見板貼りの公民館建築~正面車寄の装飾が見所




◆この時にはすでに使われている様子は無くひっそりとしていました




◆玄関車寄の上に装飾用の豆タイルが貼ってあります

 

 

 

 


在りし日の布袋駅界隈(愛知県江南市)

2011-02-13 | 失われた建物の記憶

布袋駅周辺は、明治時代には駅南の小折地区に旧丹羽郡の役所が置かれ、小折と名古屋を結ぶ岩倉街道が開かれたため、経済、交通の要所として賑わいましたが、戦後は古知野町、布袋町などが合併し江南市になり、市の中心は市役所のある江南駅周辺の古知野地区に移りました。
そのため開発が遅れた布袋地区は、大正元年築の布袋駅に象徴されるように昭和の香りが漂う静かな町並が残っていましたが、駅の高架化に伴う再開発で町の様子も変わり、木造の布袋駅舎をはじめ、わたし好みの古い建物はほとんど姿を消してしまいました。

下の建物は5~13年ほど前に布袋町界隈で撮影したものですが、現在は全て取り壊され現存していません。


◆旧布袋駅舎(撮影:1998/08/23)



◆木造下見板の洋館(撮影:1998/08/23)



◆小折の公会堂(撮影:1999/10/17)



◆駅前通にあった布袋支所(撮影:1998/08/23)



◆元は愛北信用金庫だったのですが、この時点で「信」と「金」の文字しか残っていませんでした
 (撮影:2006/09/17)
 


さらば旧布袋駅舎(愛知県江南市)

2011-02-12 | 失われた建物の記憶

昨年になりますが名鉄犬山線の布袋駅舎がついに取り壊されました。 

名鉄布袋駅は大正元年に竣工、周辺の古い町並とマッチした擬洋風建築の木造駅舎で、同じ犬山線の犬山、扶桑、古知野(江南)の木造駅舎が次々に建て替えられる中、名鉄最古の現存駅舎として1世紀近く現役でがんばってきました。
しかし布袋駅も遅まきながら駅の高架化が決定、2009年10月に工事が開始され、旧駅舎は仮駅舎の新設に伴い2010年2月で使用を終了しました。

その後市民の間から旧駅舎の保存の声も高まりましたが、駅舎全体の保存は費用の面で断念され、車寄や飾り天井、ベンチや備品などを市が譲り受け保存展示されることになり、旧駅舎は惜しまれながら2010年10月に解体撤去、100年に及ぶ長い歴史に幕を下ろしました。
 
近代建築ファンのひとりとしては、できれば名鉄現役最古の大正時代の木造駅舎をそのまま保存して欲しかったのですが・・・、やはり問題は移築保存にかかる莫大な費用(6000万円とか)です。
そこで現実的方法として、車寄や備品を一部保存し別の施設で展示することになり、旧駅舎の記憶がこれからも引き継がれることになりました。
ちょっと前なら取り壊される駅舎の一部が保存されるのは珍しく、最近になって近代化遺産として古い駅舎の価値が見直されてきたのは嬉しい限りです。


◆名古屋鉄道犬山線 旧布袋駅舎/江南市布袋町西布212
 竣工:大正元年(1912)
 構造:木造平屋





◆在りし日の旧布袋駅舎
 玄関車寄に透かし彫りになった名古屋電気鉄道時代の社紋が残ります(撮影:2006/05/05)



◆100年近く布袋の町を見つめてきた古い駅舎、更地にぽつんと建つ姿は寂しそう





◆工事用トラ柵に囲まれ最後の時を待ちます(撮影:2010/06/20)
 この後9月20日に車寄部分が保存の為取り外され、駅舎は解体撤去されました


江南市建築散歩~番外編

2011-02-11 | 尾張の近代建築

江南市の街角で見つけたちょっと気になる古い建物たち。
決して文化財には登録されない無名の建物ですが、いつもの場所にちゃんと建っているとほっとする、そんな町の記憶を語る愛すべき建物たちです。


◆木造下見板の洋風建築
大正から昭和にかけて建てられたどこの町にでもある木造の洋風建築ですが、最近はめっきり少なくなりました

撮影:2006/05/04(高屋町)


撮影:2011/02/06(布袋町)


撮影:2006/06/18(宮田町)


◆このあたりでは珍しい煉瓦造りの蔵を改築したモダンな住宅
住む人のセンスの良さが偲ばれます

撮影:2006/05/04(高屋町)


◆和風住宅にちょこっと洋風の応接間をくっつけた戦前のモダン住宅

撮影:2007/02/27(石枕町)


◆まさに町のお医者さんと言う呼び方がぴったりの昭和レトロな医院

撮影:2006/05/05(寄木町)


 


宮田用水の小さな橋~河沼橋・神明橋(江南市)

2011-02-09 | 近代橋めぐり

犬山頭首工から取水する宮田用水は木曽川に沿って西進し、江南市宮田町で大江用水と新般若用水に分かれます。
江南市草井町から御囲堤沿いに宮田町に至るその水路には戦前に造られた良いデザインの小さな橋がいくつか残っていたのですが、宮田用水の暗渠化工事に伴いその行く末が心配でした。
そんなわけで、数年ぶりに宮田西元杁を新たに撮影するついでに気になる橋の様子を確認しました。

昭和12年に架けられた和風デザインの「河沼橋」はちょうど工事の真っ最中で、橋の下はすでに暗渠になって水路は全く見えなくなっていました。
タマネギのような擬宝珠(ギボウシ)の載った和風デザインの親柱は健在でしたが、橋の欄干はステンレスに、親柱本体は新しく作り直されていました。それでも擬宝珠と橋の名前、竣工年を刻んだ金属製の銘板は竣工時のものを取り付けたようで、竣工当時のままというわけにはいきませんが、何とか昔の姿を残していました。
しかしコンクリートでフタをされた川に架かる橋に当時の面影はなくなってしまいました。

◆河沼橋/江南市宮田町宮東四谷
竣工:昭和12年(1937)
構造:RC桁

 




川の上がコンクリートでふさがれ、もはや橋とは呼べません(撮影:2011/2/6)






川の上に架かる本来の河沼橋(撮影:2006/10/8)






親柱と欄干はリニューアルされましたが擬宝珠と銘板は当時のままです

 






◆神明橋/江南市宮田新明町春日
竣工:昭和10年(1935)
構造:RC桁
撮影:2002/07


河沼橋の上流に幾何学的デザインの親柱がいかにも昭和モダンな神明橋がありましたが、こちらは今回の暗渠化工事で残念ながら撤去されてしまいました。


 

 


宮田西元杁・遺構(江南市~一宮市)

2011-02-06 | 尾張の近代建築

江南市の北を流れる木曽川流域には明治から昭和のかけて造られた近代土木遺産が現在も多数現存しています。
宮田町に残る宮田西元杁は、江戸初期の宮田用水の元杁を明治43年に改築したもので、明治中期~末期にこの地方でたくさん造られた、「たたき閘門」と呼ばれる人造石を使用した明治特有の工法で造られています。

人造石とは愛知県三河出身の服部長七が、日本古来の「たたき」に改良を加えた日本版コンクリートと呼べるもので、当時は輸入品のセメントが超高価だったので、安価な人造石工法は各地の土木工事で重宝されました。

宮田西元杁はその後廃止され、用水路自体がコンクリートで固められ閘門も完全に失われ、全く当時の面影を見ることができません。
ただ閘門に使われた服部人造石は、現在も当時となんら変わることない堅牢な状態が維持されており、明治の近代化を支えた先達の創意工夫に、あらためて日本のもの造りの原点を見る思いでした。


◆宮田西元杁・遺構/江南市宮田町~一宮市浅井町
竣工:明治34年(1901)
構造:たたき閘門(服部人造石工法)
撮影:2011/02/06







自然石と石灰に風化花崗岩と水、砂を混ぜ練ったものを交互に積み固めると
コンクリート並みの超堅牢な構造物が出来上がる(昔の人はすごい!)









用水に架かる橋の親柱には「明治34年改築」の銘が刻んであります
一宮市側に唯一残るモダンな洋風建築が当時の様子を今に伝えます