1972年中学最後の夏休み、ぼくは旧友ヒロシの部屋に入り浸って洋楽三昧の日々を過ごしていた。いちおう受験生なので、一緒に勉強しようというのが本来の目的なのだが、エアコンのない部屋で午後の一番暑いときに勉強しようというのだからそもそも無理がある。たいてい勉強は長続きせず、「今日の勉強はここまで」という雰囲気になると、ふすま1枚隔てた隣の大学生の兄貴の部屋のサンスイのハイファイ・ステレオの登場となる。
ヒロシの兄貴は東京で下宿生活しているのだが、お盆まで帰省しないので、その間は自由にレコードを聴くことができたのだ。ステレオの横には大のロックファンの兄貴が集めたレコードコレクションがずらりと並んでいて、ヒロシはそこから適当にみつくっろてレコードをかけてくれるのである。いずれも兄貴が高校のときから集めた名盤ぞろいで、ポップスからハードロックまで、ぼくでも知っている有名どころが取り揃えてある。
冷えた瓶入りのキリンレモンを飲みながら扇風機の風にあたり、好きな洋楽を聴く夏の日の昼下がり。キャロル・キング、ニール・ヤング、エルトン・ジョン、シカゴ、サンタナ、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、レッド・ツェッペリン、ディープ・パープル、ユーライア・ヒープ、CCRなどなど、ステレオから流れてくる音楽は心地良く、受験のことなどしばし忘れ、ロックの桃源郷に身をゆだねる、まさにぼくにとっては至福のひと時だった。そんな中でもぼくが最も心惹かれたのがプログレッシブ・ロック(プログレ)と呼ばれるスタイルのロックだった。
プログレとは、ジャズやクラッシクの要素を取り入れた複雑な構成の楽曲を高度な演奏技術で表現するロックのスタイルことなのだが、初めてヒロシの家でキング・クリムゾンの『クリムゾン・キングの宮殿』を聴いたときの感想は、「なんじゃ、こりゃあ~」の一言に尽きる。今まで聴いてきたポップスやロックとは全然違う音楽体験で、当時のぼくにはすぐには良さが分からなかった。人は誰しも初めての体験には戸惑うものだが、その時の印象が強烈なほど嫌いになるか病み付きになるものらしく、ぼくの場合は完全に後者だったらしい。
当時のプログレ界をリードする、ピンク・フロイドやエマーソン・レイク&パーマー(EL&P)、イエス、ジェネシスなどのアルバムを聴き、ぼくは受験勉強もどこへやら、この年の夏休みはプログレに夢中になりあっという間に過ぎていった。ヒロシの家での様々なジャンルの音楽体験は、ぼくにとってはそれこそ洋楽10年分を一度に聴いたと同じくらい価値があるもので、ヒロシと兄貴の名盤コレクションは、その後のぼくの「ミュージック・ライフ」に大きな影響を与えることになった。
この夏の衝撃的なプログレ体験にハマってしまったぼくは、早速お年玉貯金を使って、イエス、ピンク・フロイド、EL&Pのアルバムを手に入れた。ぼくがプログレにハマった70年代前半は、ちょうどプログレが一大ムーブメントを築いた一番脂の乗り切った時期で、3枚のアルバムとも彼らの代表作の一つに数えられる名盤ぞろいである。
■『危機』/イエス(1972)
ヒロシの家で聴いた『こわれもの』が素晴らしかったので、9月にリリースされるや即買いした5作目のアルバム
A面1曲の大作『危機』はイエスのすべてが凝縮された最高傑作で
ジャケットデザイン担当のロジャー・ディーンの描くロゴとイラストは、イエスのイメージを決定づけた
また4作目『こわれもの』の『ラウンドアバウト』はアニメ『ジョジョの奇妙な冒険』のエンディングテーマに使われている
■『おせっかい』/ピンク・フロイド(1971)
キング・クリムゾンと双璧をなすプログレ界のカリスマグループ
『吹けよ風、呼べよ嵐』はブッチャー(プロレスラー)入場の際のテーマソングとして使われたので、日本ではかなり有名
片面1曲を占める大作『エコーズ』は彼らの代表曲の一つ
■『タルカス』/EL&P(1971)
20分を超える組曲『タルカス』のキース・エマーソンのキーボード・プレイは、まさに圧巻の一言
2012年の大河ドラマ『平清盛』では、吉松隆のオーケストラ・ヴァージョンが使われている